【メモ】林浄因命の帰国理由(梅と鶴の末裔)
今回はまた適当なお話しで、失礼しました。
これでやっと下準備がととのって、次回からメインストーリーです。
妻子を置いて元に帰国してしまった林浄因。
理由は、下賜された妻が高ピーでノイローゼになったから、だなんて。
この御説の出所はどこなんでしょう?
やっぱ、天下の司馬遼太郎先生なの?
あのさ、その仮説で高ピーな妻は、その後も綿々と饅頭作りを続けた訳でしょう。
面白いけど、ちょっと失礼に過ぎる。
一時よりは中国人観光客も減りましたけど、接触する機会は昔よりずいぶん増えました。
ラ・ムーあたりへ買い物に行ったら、中国人どもが大声で中国語喋りながら自転車に大量の食料積んでる。
あいつら怪しいからって、店長は接触しようとしませんけど。
ウチも酷かったですよ。
親類が関空に夕方到着、その足でアベノハルカス、でもブランドショップは高価いから次はドンキに行け。
翌日からは、アウトレットだ、ダイソーだ、ドラッグストアだ、スキーに行くだ。
観光地も行きましたとも、京都も奈良も淡路島も、おかげで建仁寺も両足院も漢国神社も見れましたとも。
店長に東大寺案内してもらって、自分と娘は漢国神社。
店長に清水寺案内してもらって、自分と娘は建仁寺を見に行ったら、たまたま両足院も一般開放してた。
3日か4日でガソリン満タンたしか4~5回、きっと2000kmぐらい走ってる。
あいつらが、
ノイローゼで帰国すると、思います?
金が溜まったから帰る、の方がよっぽどありそう。
もうちょっとロマンティックに、「日本に居たら先祖を祭祀できないから」とか。
ましてや室町時代、遭難して当たり前の船便だけ、それも10年に1便。
帰国しなきゃ、って考えた方がよっぽどノイローゼになれそうです。
という訳で、シミュレーション。
奈良を出発。
まず、和歌山で柿の葉寿司を食べます。
大阪でタコヤキたべて、神戸では風月堂のゴーフルで一服。
明石の本家きむら屋で玉子焼き。
高砂の一平でカツ飯たべて、
姫路で駅ソバすすって、
相生では新鮮な牡蠣のフルコース。
そして、赤穂で塩味饅頭に衝撃を受ける。
このあたりで、きっとノイローゼ吹き飛んでる。
岡山でキビ団子、広島で伊藤博文のもみぢ饅頭(伊藤さんのスケベ)、山口でフグちり。
〆に博多で明太子とトンコツラーメン。
はい、元気になって、お土産にひよ子買って、奈良に戻ってきてしまいました。
妻が高ピーだっら、当時の習慣(今も?)としてお金持ちは別宅を拵えても全然OK。
林浄因は、当時推定35歳かせいぜい40歳まで、全然郷愁に駆られるような年齢ではありません。
大陸人のあのバイタリティにもの凄くそぐわない、鑑真和尚のあの不尭不屈のしつこさを思い起こすべきです。
因みに、日本に砂糖を持ち込んだ第1号は、たぶん鑑真和尚。
だから、林浄因は新たな冒険に旅立って行ったのです。
お話し本編:【実話系】梅と鶴の末裔(7)梅祖渡来
お話し本編:【実話系】梅と鶴の末裔(8)絶家した梅譜
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