2018-02-27

梅と鶴の末裔(7)梅祖渡来

 室町時代、日本に饅頭を伝えた林浄因命 

 梅と鶴の末裔(7)梅祖渡来 

 (饅頭@杭州) 



本当について来てしまった青年を、龍山徳見禅師としては嗤いも出来まい。

禅師自身が元に密航をして寧波(ニンポー)に上陸してから、かれこれ40年ほどにもなる。

元の大都(北京)へ学僧として来たものの、臨済宗の本拠は大都ではなく江南にあった。

そこで、この青年の知己を得たのだが。


今、朝廷からの召還命令とはいえ、日本に帰ろうとしている。

やはり、釘は刺しておかねばなるまい。


「浄因さん、この世で一番に良い場所

 そういうものは、あります

 それは何処だと考えますか?」


林浄因は当然のように応えた。


「そりゃなんといっても師匠、杭州でしょう

 ナントカいう外国人冒険家も絶賛したそうですよ」


変に博識な青年ではある、妙な事をよく知っていた。


「馬可波羅(マルコ ポーロ)ですよ、元の大都の食客の

 やはり50年ほども前に帰国してしまいました

 でも正解ですよ、浄因さん

 この世で一番良い場所、それは、自分が生まれ育った場所なのです」


この青年はいつも目を輝かせて人の話を聞く。

日本に入る以前から、日本語はあらかた覚えてしまった。

南宋の時代とは違い、交易船の数は少ない。

朝廷から帰還命令が出たことを伝えると、この青年は「チャンスはハゲだから」、そんなことを言いながらついて来た。


「じゃあ師匠、杭州って宇宙で一番いい場所なんだ」


「そうですね、杭州はまさしく地上天堂です」


宇宙とはまた、宇宙の『宇』は無限空間を、『宙』は無限時間を指すが、そんな仏教用語を使う奴は見たことがない。


「師匠、月へ行ってみたいですねえ」


「月、ですか、唐玄宗じゃあるまいし」


「月まで行ったら、須弥山(しゅみせん)が見えるんじゃありませんか?」


須弥山(しゅみせん)

いや、それは布教用の嘘も方便、どこまで本気なものやら。

スケールが大きいのか莫迦なのか、どうにも量(はか)りかねる。


「元の南の方にはね、師匠、大きな国が幾つも幾つもあるんです

 海の向こうにだって、大きな国はあるでしょう

 日本まで行ったら、きっともっと大きな国が見えるかもしれません」


「そんなもの有りませんよ、元まで来て初めて実感しましたが、日本はどん詰まりの国です」


「まさか、誰か海の向こうまで行ってみたんですか?」


海の向こうは普陀落浄土、思わずそう言いそうになってしまった。

確かに、その通りだ。

自由な発想、自在な視点、この青年の目は既に日本に向いていた。



林神社

船が岸壁を離れた。

船はたったの2隻、本当は1隻にしたいのだ。

だがそれでは、事故があった時に対応が取れない。

だから、2隻。

出費が大きいから元の朝廷は、本音では朝貢貿易を嫌っている。


果たして無事に辿り着けるものかは分からない。

ましてや、何時帰れるとも知れはしない。

自分のように密航でもしない限り、船が出るのはせいぜい10年に1度だ。

青年は旅立った、ここはやはりその旅立ちを祝福せねばなるまい。


「日本に行ったら、どうなさるのかな

 やはり、出家なさいますか?」


「まさか、日本で饅頭(マンヂウ)を作ります」


「饅頭ですか、・・難しいかも知れませんよ」


難しい、南宋の頃から幾度となく饅頭を日本に持ち込んだ者はあった。

その頃の博多津には宋人の中華街が有ったのだ。

しかし結局、饅頭が日本で根付くことはなかった。

今では数少ない留学僧、だからこそ噂も良く入る。

麺食(小麦料理)で日本に根付き得るとしたら、湯麺ぐらいではなかろうか。

(注:林浄因ウドンの始祖説もあるようです)


漢国神社参道

「知ってますよ、だからいっぱい積み込んできました」


「積み込んだ?」


「砂糖ですよ」


「砂糖?」


「はい、甘い饅頭を作ります」


主食としての饅頭が駄目、根付かない、なら点心(菓子)としての饅頭だったら?


 お茶と一緒に一点心意 ── 心に点(とも)すもの  


「あるでしょマーケット、確か日本に茶を持ち込んだ栄西禅師は師匠の師匠でしたよね」


違う、栄西(ようざい)禅師は、師匠の師匠の師匠だ。

あ、いや、だからって、甘い饅頭?

頭がクラクラしてきた。

そんなもの後にも先にも聞いた事が無いし、日本には材料も無い。


「日本にも有るんでしょ、砂糖?」


「無い、砂糖は有りませんよ」


「 え、無いの? 」


「ありません、サトウキビが大きくは育たないんです」


周到なのかバカなのか良くわからない。


「でも甘味のある食材、何かあるでしょ」


「え・・甘味、・・甘葛煎(あまづらせん)かな

 でも、手間がかかるし高価だし・・・」


「ほら、有るじゃないですか、何処で採れますか?

 商売に差し支えないように、人がいっぱい居るとこで」


「え、甘葛が採れて、人が居る場所?」


甘葛の産地は九州か備中か、尤も、甘葛は深山に入れば何処でも採れる。

基本的には紅葉する種類の蔦(つた)であれば何でもよい。

その蔓を糖度が上がる冬に採取し、中の樹液を回収する。

それを煮詰めた物が、甘葛(あまづら)だ。



甘葛を入手可能な場所という意味なら、業務の利便性を考慮するなら、

やはり、場所は製品の消費地に近い方がいい。

九州で作った饅頭を京都に出荷することは出来ないが、京都近辺なら原料の入手は却って易い。


奈良の吉野葛(よしのくず)は根の部分を使うが、甘葛は茎の部分を使う。

奈良で甘葛を生産すれば効率的、以前にそんなことを考えたことがあった。


「奈良、かなあ、古い都で京も程近い

 でも、甘葛は高価で貴族専用なのです

 宮中に献上するような、高級品になってしまいます」


「ふんふん、マーケットは朝廷と、つまり皇帝に売ればいいのですね」


決断力が有ると言っていいのかどうか、よく分からない。

しかしそんな事が出来るのか、青年はそんな疑問を一蹴する。


「大丈夫ですよ、家伝の秘術ってのがね、あるんです

 なにしろウチの御先祖様の一族にはね、料理の大研究家があるんですよ

 そのまた御先祖はね、あの隠逸詩人の林和靖(りんなせい)


「浄因さん、そういうことはあまりね

 おっしゃらない方がいいと思います」


「そうですか?

 ついでにお訊ねします

 何かいい餡の材料ありませんか

 甘い肉饅頭ってのは頂けませんから」


「えーっ、餡の材料で、甘いの?

 うーん、・・・豆・・・、かなあ

 日本では豆料理は好まれるから」


「ふーん、豆、ね」


思わず汗をいっぱいかいてしまった。

この青年から受ける刺激は尽きることがない。






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