室町時代、日本に饅頭を伝えた林浄因命
梅と鶴の末裔(7)梅祖渡来
(饅頭@杭州)
本当について来てしまった青年を、龍山徳見禅師としては嗤いも出来まい。
禅師自身が元に密航をして寧波(ニンポー)に上陸してから、かれこれ40年ほどにもなる。
元の大都(北京)へ学僧として来たものの、臨済宗の本拠は大都ではなく江南にあった。
そこで、この青年の知己を得たのだが。
今、朝廷からの召還命令とはいえ、日本に帰ろうとしている。
やはり、釘は刺しておかねばなるまい。
「浄因さん、この世で一番に良い場所
そういうものは、あります
それは何処だと考えますか?」
林浄因は当然のように応えた。
「そりゃなんといっても師匠、杭州でしょう
ナントカいう外国人冒険家も絶賛したそうですよ」
変に博識な青年ではある、妙な事をよく知っていた。
「馬可波羅(マルコ ポーロ)ですよ、元の大都の食客の
やはり50年ほども前に帰国してしまいました
でも正解ですよ、浄因さん
この世で一番良い場所、それは、自分が生まれ育った場所なのです」
この青年はいつも目を輝かせて人の話を聞く。
日本に入る以前から、日本語はあらかた覚えてしまった。
南宋の時代とは違い、交易船の数は少ない。
朝廷から帰還命令が出たことを伝えると、この青年は「チャンスはハゲだから」、そんなことを言いながらついて来た。
「じゃあ師匠、杭州って宇宙で一番いい場所なんだ」
「そうですね、杭州はまさしく地上天堂です」
宇宙とはまた、宇宙の『宇』は無限空間を、『宙』は無限時間を指すが、そんな仏教用語を使う奴は見たことがない。
「師匠、月へ行ってみたいですねえ」
「月、ですか、唐玄宗じゃあるまいし」
「月まで行ったら、須弥山(しゅみせん)が見えるんじゃありませんか?」
須弥山(しゅみせん)?
いや、それは布教用の嘘も方便、どこまで本気なものやら。
スケールが大きいのか莫迦なのか、どうにも量(はか)りかねる。
「元の南の方にはね、師匠、大きな国が幾つも幾つもあるんです
海の向こうにだって、大きな国はあるでしょう
日本まで行ったら、きっともっと大きな国が見えるかもしれません」
「そんなもの有りませんよ、元まで来て初めて実感しましたが、日本はどん詰まりの国です」
「まさか、誰か海の向こうまで行ってみたんですか?」
海の向こうは普陀落浄土、思わずそう言いそうになってしまった。
確かに、その通りだ。
自由な発想、自在な視点、この青年の目は既に日本に向いていた。
林神社 |
船が岸壁を離れた。
船はたったの2隻、本当は1隻にしたいのだ。
だがそれでは、事故があった時に対応が取れない。
だから、2隻。
出費が大きいから元の朝廷は、本音では朝貢貿易を嫌っている。
果たして無事に辿り着けるものかは分からない。
ましてや、何時帰れるとも知れはしない。
自分のように密航でもしない限り、船が出るのはせいぜい10年に1度だ。
青年は旅立った、ここはやはりその旅立ちを祝福せねばなるまい。
「日本に行ったら、どうなさるのかな
やはり、出家なさいますか?」
「まさか、日本で饅頭(マンヂウ)を作ります」
「饅頭ですか、・・難しいかも知れませんよ」
難しい、南宋の頃から幾度となく饅頭を日本に持ち込んだ者はあった。
その頃の博多津には宋人の中華街が有ったのだ。
しかし結局、饅頭が日本で根付くことはなかった。
今では数少ない留学僧、だからこそ噂も良く入る。
麺食(小麦料理)で日本に根付き得るとしたら、湯麺ぐらいではなかろうか。
(注:林浄因ウドンの始祖説もあるようです)
漢国神社参道 |
「知ってますよ、だからいっぱい積み込んできました」
「積み込んだ?」
「砂糖ですよ」
「砂糖?」
「はい、甘い饅頭を作ります」
主食としての饅頭が駄目、根付かない、なら点心(菓子)としての饅頭だったら?
お茶と一緒に一点心意 ── 心に点(とも)すもの
「あるでしょマーケット、確か日本に茶を持ち込んだ栄西禅師は師匠の師匠でしたよね」
違う、栄西(ようざい)禅師は、師匠の師匠の師匠だ。
あ、いや、だからって、甘い饅頭?
頭がクラクラしてきた。
そんなもの後にも先にも聞いた事が無いし、日本には材料も無い。
「日本にも有るんでしょ、砂糖?」
「無い、砂糖は有りませんよ」
「 え、無いの? 」
「ありません、サトウキビが大きくは育たないんです」
周到なのかバカなのか良くわからない。
「でも甘味のある食材、何かあるでしょ」
「え・・甘味、・・甘葛煎(あまづらせん)かな
でも、手間がかかるし高価だし・・・」
「ほら、有るじゃないですか、何処で採れますか?
商売に差し支えないように、人がいっぱい居るとこで」
「え、甘葛が採れて、人が居る場所?」
甘葛の産地は九州か備中か、尤も、甘葛は深山に入れば何処でも採れる。
基本的には紅葉する種類の蔦(つた)であれば何でもよい。
その蔓を糖度が上がる冬に採取し、中の樹液を回収する。
それを煮詰めた物が、甘葛(あまづら)だ。
甘葛を入手可能な場所という意味なら、業務の利便性を考慮するなら、
やはり、場所は製品の消費地に近い方がいい。
九州で作った饅頭を京都に出荷することは出来ないが、京都近辺なら原料の入手は却って易い。
奈良の吉野葛(よしのくず)は根の部分を使うが、甘葛は茎の部分を使う。
奈良で甘葛を生産すれば効率的、以前にそんなことを考えたことがあった。
「奈良、かなあ、古い都で京も程近い
でも、甘葛は高価で貴族専用なのです
宮中に献上するような、高級品になってしまいます」
「ふんふん、マーケットは朝廷と、つまり皇帝に売ればいいのですね」
決断力が有ると言っていいのかどうか、よく分からない。
しかしそんな事が出来るのか、青年はそんな疑問を一蹴する。
「大丈夫ですよ、家伝の秘術ってのがね、あるんです
なにしろウチの御先祖様の一族にはね、料理の大研究家があるんですよ
そのまた御先祖はね、あの隠逸詩人の林和靖(りんなせい)」
「浄因さん、そういうことはあまりね
おっしゃらない方がいいと思います」
「そうですか?
ついでにお訊ねします
何かいい餡の材料ありませんか
甘い肉饅頭ってのは頂けませんから」
「えーっ、餡の材料で、甘いの?
うーん、・・・豆・・・、かなあ
日本では豆料理は好まれるから」
「ふーん、豆、ね」
思わず汗をいっぱいかいてしまった。
この青年から受ける刺激は尽きることがない。
次のお話し:【実話系】梅と鶴の末裔(8)絶家した梅譜
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