袖振りあうは100年の縁、夫婦となるは・・・
【メモ】月老祠・千里姻縁一線牽
(白娘子)
同船渡@鎮江金山湖風景区白娘子愛情文化園 |
許仙と白娘子は出逢うべくして出逢い、夫婦となるべくして夫婦となります。
これは『白娘子』のお話しの大切なバックボーンです。
中華の人民たちにしても、『白娘子』や『梁山伯と祝英台』などのお話しを通じて、子供の頃からそういった民俗を獲得します。
「許仙と白娘子は断橋で出逢った」、アニメで謂うところの“聖地”。
これは嘘クソの作り話しを頭から信じるということではなく、そのお話しに盛られた民俗のことを語っています。
もしかしたらアニメでも、民俗を語っているシーンこそが、“聖地”になるのかもしれません。
ポイントは文末の詩、「月老祠堂在眼前」。
この時、許仙と白娘子は一緒に舟に乗っていた。
「白娘子永鎮雷峰塔」でも、許宣と白娘子は雨の降る西湖で一緒に舟に乗ります。
百年修得同船渡、千年修得共枕眠
同じ船に同乗する縁は、100年をかけて成就する。
夫婦となる縁は、実は、1000年前から既に決まっている。
そのような意味の慣用句があります。
白娘子や小青と一緒に許仙が船に乗ったという設定には「この時点で縁が成就した」という意味があります。
『白娘子』の場合は、「峨眉山で前世の許仙は子蛇の頃の白娘子と小青を救っていた」という裏設定が存在します。
ちなみに峨眉山は普賢菩薩の本拠地です。
月老祠堂は月下老人の祠(ほこら)。
月下老人は分厚い『姻縁簿』という書を持っていて、これに夫婦となるべきカップルが全て登録されています。
姻縁簿に沿って、月下老人が伴侶の足を赤い紐で括ってゆきます。
すると、ひとたび赤紐で括られた伴侶は、仇同士だろうが超遠距離だろうが年の差カップルだろうが、必ず結ばれてしまう。
月下老人は中華全土に広まる伝承です。
杭州にはもともと月老祠が3箇所あったそうですが、戦禍で全て焼けてしまいました。
うちの1つは、杭州西湖畔の浄慈寺の近くに復原して公園化した、ということでした。
これにつき、作家の金庸氏が「古老に詳細を好く聞いて、慎重に復原して欲しいものだ」といった趣旨の文章を著しています。
月老祠へは、結婚を決めたらお参りして、月下老人に報告をする。
あるいは、結婚に迷った時には出向いて行って、月下老人にお伺いを立てます。
つまり御神籤を引くのですが、以下、金庸氏の籤詩のコレクションからの抜粋。
『求則得之、舎則失之』─ 「求めよ得られる、捨てれば失う」
『不愧于天、不畏于人』─ 「天に愧じず、人を恐れず」
『徳者本也、財者未也』─ 「財産よりも、大事なのは徳だぞ」
『斯是陋室、惟吾徳聲』─ 「貧乏でも、人柄は良いですよ」
うーん、この、何を引いても背中を押しまくりの神さまもあったものです。
これらは全て、古詩からの引用だそうです。
昔も、結婚に迷ってなかなか踏み切れない伴侶は大勢あったのでしょうか。
月下老人には、その背中を後押しする機能が有るようです。
『算命先生』という、ネットで御神籤を引けるサイトがありました。
以下、そのリンクです。
使い方:
スタート ⇒ 3回振る(ちょっと速めにクリック) ⇒ 籤詩を開く
月老籤1 |
月老籤2 |
月老籤3 |
* 中文サイトは、たとえサイト運営者に悪意が無くとも、第三者がウイルスを仕込むことがあります。
この点だけ少しご注意ください。
「夫婦となる縁は1000年前に生じている」
この民俗は必ずしもウソではありません。
今時「結婚して半人前、子を儲けて1人前」なんて巫山戯た話しはありません。
その一方で、以前は「1人では喰えなくとも、2人なら喰える」とも云いました。
家族は社会の最小構成単位、親子は歴史の最小構成単位。
結婚という慣習は、必ずしも当人の幸福のためだけに有るのではありませんでした。
社会を護持していくためには、まだ今のところ月下老人の手を煩わせる必要がありそうです。
赤の他人が夫婦となる、結婚など所詮は勢いなのですが。
子を儲けるために、結婚するわけではないのですが。
多くの方は、結婚してから子を儲けたり、子ができてから結婚したりいたします。
子供など、あたふたしている内にすぐに成長してしまいます。
子はやがて、自分の伴侶を家族とし、また子を成して新たな家族をを作るでしょう。
そうやって歴史を紡いでいく。
これを、子の側の視点で振り返り視てみれば、
「己が家族を為したその縁は1000年前に既に生じていた」
ということになります。
今、現在、伴侶や家族をお持ちであれば、それは『千年の縁』が成就した結果です。
たとえ家族をお持ちでなくとも、親の無い子も大勢居られます、その過去と未来には、千年の縁份が横たわっています。
その千年の縁份がないことには、現在の己も存在し得ないはずだ。
己の存在の是非はともかく、
果たして『正義』のためなら、その縁份を断ち切ってもよいのか?
かつての『白蛇伝説』では、変な妖物と関わったために大変なことになりました。
現代の『白娘子』は、その縁份を断とうとする“正義”と、縁份を護ろうとする者のお話しに進化しました。
日本の家族制度も近頃なにか怪しげになってきて、ちょっと心配です。
家族は、親子も夫婦も、社会の慣習であって制度ではないと思うのですが。
だって、仮になにかの間違いで日本が滅して法律が消えても、依然として家族は家族で有り続けるでしょうから。
お話し本編:白娘子フォークロア(3)千里姻縁
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