せっかくの白蛇伝説も人民さんにかかったら・・・
【メモ】魯迅の白蛇伝説
(白娘子)
『白娘子(はくじょうし)』は日本でも「白蛇伝」として広く知られたお話しです。
妖しくロマンティックな異類婚のお話しで、上田秋成の「蛇性の淫」の底本にもなりました。
東宝映画の「白夫人の妖恋」も制作されたし、国産初のカラーアニメにもなっています。
原作の「白娘子永鎮雷峰塔」は、庶民にも読み易く(文語体ではなく口語体で)書かれた明代の白話小説です。
だいたいこんな↓(アレな漢字は日本字に置換、文字化け御免)
許宣道「不必分付」接了傘,謝了将仕,出羊堤頭来。
到后市街巷口,只聴得有人叫道「小乙官人」許宣回頭看時,只見沈公井巷口小茶坊屋櫓下,立著一個婦人,認得正是搭船的白娘子。
許宣道「娘子如何在此?」
白娘子道「便是雨不得住,鞋兒都踏湿了,教青青回家,取傘和脚下。又見晩下来。望官人搭幾歩則個」
許宣和白娘子合傘到堤頭道 「娘子到那裏去?」
白娘子道「過橋投箭橋去」
許宣道「小娘子,小人自往過軍橋去,路又近了。不若娘子把傘将去,明日小人自来取」
白娘子道「卻是不當,感謝官人厚意」
許宣沿人家屋櫓下冒雨回来,只見姐夫家當直王安,拿著釘靴雨傘来接不著,卻好帰来。
到家内吃了飯。當夜思量那婦人,翻来覆去睡不著。夢中共日間見的一般,情意相濃,不想金鶏叫一聲,却是南柯一夢。
許宣が白娘子と相合傘、ウキウキで夜も寝られなくなる、大事なシーン。
今回拾ってきたお話しには、この場面が無いのが、ちょっと不満です。
「白娘子永鎮雷峰塔」のストーリーの大筋は、
許宣という男を白蛇と青魚の精がどこまでも追い、白蛇に絡め獲られた許宣は究極の快楽に堕ちます。
しかし白蛇ムスメは、正義の味方の法海禅師に正体を見抜かれて調伏され、雷峰塔という西湖の畔にある塔の下に埋められてしまう。
そして、「西湖の水が涸れるまで、塔が倒れるその日までは、千年経っても出したげない」と封じられる。
その後、許宣は悔恨して法海禅師の弟子となりますが、妖物に精気を抜かれたため早死にをしてしまいます。
白ヘビ娘は雷峰塔の下に封じられてしまいました。
ところが、これが実在の塔なもんですから、1924年の9月25日、本当に倒壊してしまった。
その原因は、魔除けになると信じた村人がこぞって塔の下の石を持って帰ったから。
実在した雷峰塔は仏舎利塔で、2001年3月の発掘調査では仏舎利らしきものが実際に出ています。
ご利益ありそうですが、人民さんたら、何をするやら。
この雷峰塔が倒壊した折の、魯迅(ろじん)の雑文が2編あります。
以下、その第1編をざっくり訳してみました。
2編目は小難し過ぎて手に負えません。
ど素人が魯迅の文章を触るのもトンデモですが。
論雷峰塔的倒掉
・魯迅・
杭州西湖の雷峰塔が倒れたそうだな、見てないけど。
倒壊前の雷峰塔 |
倒れる前のなら見たことがある。
雷峰夕照、西湖十景のひとつ。
山の端に太陽が落ちかかり、夕日に映える湖山の中のズダボロの塔。
いうほどキレイなもんじゃあないね。
でもね、俺が初めて知った西湖絶景はやっぱり雷峰塔なんだよ。
俺のお婆さんがいつも話してたんだ。
この塔の下にはね、白蛇娘が居るんだよ
許仙という人がね、ヘビを2匹助けた
青いのと、白いのと
そうしたら、2匹は恩返しに来てね
白ヘビは許仙のお嫁さんになった
青ヘビも侍女に化けて一緒にね
法海禅師という徳のあるお坊さんが居てね
許仙の顔に妖気が浮かんでるのを見つけたんだ
妖怪のお嫁さんを貰うと、顔に妖気が出る
でも、普通のヒトには見えないんだね
法海禅師は許仙を法座の陰に匿った
白蛇娘が許仙を探しに来てね
その時だよ、金山水没事件が起こったのは・・・
お婆さんは面白げな話を繰り出していく。
概ね『義妖伝』という講談本にあるヤツだが、俺は読んでない。
だから、許仙や法海がどんな奴かは知らない。
でもあれだろ、白蛇娘が法海の策略に嵌って鉢に封じられて地面に埋められて、その上に塔なんか建てられた。
それが雷峰塔だってんだろ。
後日譚もあるよな、白状元祭塔とか。
(注:息子が状元となって母親の救出を試みるが果せずにただ祭塔する)
全部忘れちまったなあ。
あの頃いつも思ってたよ、クソ雷峰塔なんぞ潰れちまえってな。
長じて杭州を訪れ、ズダボロの雷峰塔を見た。
胸クソ悪い。
ものの本によればだ、杭州人は『保叔塔』とも呼ぶんだと、『保俶塔』と書くべきだがな。
(注:魯迅の勘違い、保叔塔は雷峰塔とは別にある)
銭王の息子が造ったヤツだってよ。
だったら白蛇娘なんて埋まってないよな。
それでも胸クソ悪いんだよ、やっぱり雷峰塔なんか倒れちまえって思ったもんだ。
あはは、倒れたなあ、みんな喜んでるだろうぜ。
そうだろ、ちょっと行って聞いてみろ。
農民だろうが漁民だろうが、白娘娘(パイニャンニャン)に対して不公平、法海はやり過ぎだって考えない奴なんか居ないね。
頭のイカレた奴以外はな。
坊主はな、お経を唱えてりゃいいんだよ。
白ヘビが許仙に惚れた、許仙は白ヘビを娶った。
とやかく言うことがあるか?
それをだ、お経を放り出して、横ヤリ入れて、ありゃ嫉妬だね、決まってる。
あのな、玉皇大帝が法海のやり過ぎを後で知ってな、お仕置きしようとしたんだと。
ところが法海の野郎は逃げた。
逃げて逃げて、とうとうカニの甲羅に逃げ込んだ。
で、もう出てこない、今もそのまま。
玉皇大帝もあれだが、この処置には俺はスッキリしたね。
だって、金山水没事件は絶対にだ、法海のせいじゃないか。
やるなあ玉皇大帝。
でもこの話しの出所は聞いてないんだよな、『義妖伝』じゃなくて民間伝承かもしれん。
頭(こうべ)を垂れるほどに稲が実る秋。
呉越のあたりはカニがいっぱい。
湯がいて赤くなったヤツを取り出す。
背を割って中が黄色いのはメス。
石榴みたいな身を食べて、その中にある円錐形の薄幕。
小刀で切出して、慎重に裏返す。
そうしたら、羅漢さまみたいのになる。
顔も体も有って、座ってらっしゃる。
俺らそこいらのガキんちょは『蟹和尚』と呼んでいた。
つまり、甲羅に逃げ込んだ法海だな。
先ず、白娘娘が塔の下に封じられた。
法海はカニの甲羅に逃げ込んだ。
今じゃこの老禅師が独り座している。
カニがこの世から絶えるその日まで、出られはしない。
奴が塔を建てた時にはさ、いつか倒壊する日が来るなんて思いもしなかったろうよ。
ザマーさらせ。
(1924年10月28日)
封建社会や人民になぞらえた高度な文章らしいです。
どうも魯迅は、『白娘子』を「官(法海)」 VS 「民(白娘子)」の対決にしたいように見受けられます。
以下の絵図は、啓蒙活動用のビラかなんからしいです。
「水漫金山」のくだりですが、人民さんたらこんなこと書いてます。
人民さんの水漫金山 |
水漫金山は白蛇伝のエピソードで、その起源は古く、早くは南宋の民間曲芸で既にこの故事が流伝しつつあった。
このエピソードは、法海和尚が白娘娘と許仙の自由婚姻を阻止すべく、許仙を金山寺に監禁した。 怒り心頭の白娘娘は、(法海の)強暴も怖れず夫を救出すべく、法力無比の和尚と戦闘開始を決意、小青青とエビ兵やカニ将軍を率いて彼女は出撃。 天を衝く長江の波浪、金山寺を包囲し迫る。 白娘娘の勧告、法海和尚は許仙を引き渡せ、応じない法海、白娘娘が銭塘江の江水を召還し金山寺水没、江水が一気に彼の大仏殿に迫る。
《白蛇伝》は神話形式を通じ社会的根本矛盾を反映し、庶民様がたの自由幸福の強烈要求を体現した。
うーん、この、可哀想な魯迅先生。
魯迅はそんなこと言ってるんじゃないと思うんですが。
人民さんにかかったら、せっかくの民間伝承『白娘子』が一気に薄っぺらくなりました。
『白娘子』は民間伝承なので、地域と時代でストーリーが変遷します。
これが時代ごとに書本になりそれぞれ残っていきますが、書本の『白蛇伝説』は民間伝承の『白娘子』の2次創作、ということになります。
ただ、庶民にも読み易くといっても、近年までは文盲の方も大勢居られました。
すると、書籍化したお話しは固定する、その一方で、民間伝承は語り伝えられながら年月とともに進化してゆく、ということになります。
『白蛇伝説』の書本は、だいたい以下のようになるでしょうか。
唐代の「李黄(りこう)」、明代の「西湖三塔記」、これは白蛇伝説ではあっても、中華的にちょっと『白娘子』とは言えない。
明代末の「白娘子永鎮雷峰塔」、清代の「雷峰塔伝奇」、これはギリ『白娘子』かそうじゃないかの境目。
中華的に『白娘子』と言えるのは「義妖伝」、「西湖佳話」、「西湖拾遺」あたりでしょうか。
他に、講談本や京劇の台本など、さまざまな版本があります。
中華的『白娘子』には、キャラクターは許仙、白娘子、小青、法海。 時代設定は宋代。 悪玉の法海に白娘子が立ち向かう。
そんな要素が必須かと思います。
今回、少しだけマジメに図書館で「白蛇伝説」を閲覧して来ました。
案の定、「中国伝説集」なんて大層な書籍は当然に古い話しを正確に訳した代物でしたが、児童向けの図書は現行の話しに近くなっていました。
現在、魯迅の希望通り、白ヘビ娘は玉皇大帝の手を借りずとも雷峰塔を撃ち倒し、法海と対決ができるようになりました。
魯迅先生には申し訳ないのですが、『白娘子』は「道教(白娘子)」 VS 「仏教(法海)」の対決譚、前回は仏教の勝ちでした。
現代では、白娘子と許仙の愛情故事となっています。
0 件のコメント:
コメントを投稿