【メモ】法海禅師の白蛇伝説(白娘子)
「白蛇伝説」は、実際の風俗や地理や施設を舞台に制作されました。
許仙と白娘子の「保和堂」も杭州には実際にあり、作者はお話しの中に盛っています。
「貧乏人には無償で処方します」は、どうも実際の保和堂がやっていた事のようです。
この保和堂が、民間伝承の『白娘子』では鎮江に移転しています。
現在も杭州には「保和堂」があり、店先には許仙の像(しかも西湖に遊びに行くとこ)がありますが、
清末に一旦廃業しているので、現在の「保和堂」が白娘子に縁があるかは怪しいところです。
もしかしたら、許仙と白娘子にもモデルがあったかもしれません。
法海禅師にはモデルが有り、とりあえず実在しました。
きっと徳の有るお坊さんだったのに、『白娘子』ではすっかり悪者にされてしまい気の毒な事です。
ただ、「法海」なんて法号は史料のなかにはいっぱい有り、どの法海さんが白ヘビを調伏したのかが分からない。
それは、霊坦という武則天の子孫だとも、また潤州にあった鶴林寺の僧の法海さんだとも、他にも幾人かの法海和尚がありました。
古法海洞 |
おそらく、時代設定の宋代とは限らず、『白蛇伝説』が成立した時期以前に居た「法海さん」であったはずです。
金山寺の開祖は裴頭陀(ひとだ)という、唐代の宰相だった裴休の子、とされています。
この裴頭陀さんと、実際に居たであろう「法海さん」が併さって、『白娘子』の「法海禅師」になったと考えられています。
以下は、その裴頭陀さんの伝説です。
唐代のお話しになります。
裴頭陀さんは幼い頃にお寺に出されました。
「含悲送子入空門、朝久応当種善根」という父親の裴休さんの詩がありますから、きっと深い事情は有ったのでしょう。
この裴頭陀さんが通常は「法海禅師」として語られますので、以下、法海禅師とします。
当時の金山は、「浮玉」という長江に浮かぶ小島でした。
この小島には、晋の時代に創建された澤心寺という寺がありました。
法海禅師がこの澤心寺を訪れてみると、人が誰も居らず、堂于も荒れ果ててしまっていました。
「浮玉」は長江に浮かぶ小島なので、幾つも洞窟があります。
その洞窟のひとつに白蛇が棲み付いて、人々を害するようになったため、誰も来なくなってしまったのでした。
法海禅師は白蛇と格闘、激闘の末、白蛇は長江へと逃れていきました。
法海洞で修業中の法海禅師 |
その後、法海禅師は寺を再興する志を立て、白蛇が棲んでいた洞窟で修行を重ねます。
この洞窟は現存していて「法海洞」と称し、拝観可能です。
ある日、法海禅師は寺の補修で土木工事をしていて大量の金を発見します。
金20両を一束にしたものが数個、といいますから、現在の金相場でもせいぜい 2~3千万円ほどでしょうか。
法海禅師はネコババせずに、鎮江の太守に届け出て、鎮江太守は皇帝の唐宣宗に報告します。
坊主丸儲けにせずにちゃんと届け出た法海禅師に、唐宣宗はいたく感心。
出土した金は法海禅師に下賜され、そうして現在の金山寺が興りました。
白龍洞 |
うーん、ヘビは金気(かなけ)が好き、蛇は金の神でもありますから。
裴頭陀さんが財宝を掘り当てたのが事実にせよ伝説にせよ、これが先で、白蛇はあとから湧いて出たんでじゃないかと思うんですが。
そんな大量の金が埋まってたなら、きっと白蛇が護っていたはずだ、なんて。
金山には幾つか洞窟がありますが、法海洞と別に、『白龍洞』というのがあります。
金山寺で法海禅師に捉われた許仙は、そのあと自力で脱出します。
その際に、許仙に同情した小坊主さんが、許仙を白龍洞に逃がしてくれた。
此洞直通杭州西湖 |
この白龍洞は杭州西湖まで続いていて、許仙は西湖まで逃げることが出来た。
おっと、許仙の自力じゃありませんでしたが、そんな伝説があります。
洞窟の中には、白蛇と青蛇が祀ってあって、お賽銭あげて拝んだら恋が叶うようです。
なんか白娘子が、ちょびっと神格化してるし。
でも、なにも、敵の本拠地に店を構えなくても・・・。
白龍洞の白娘子 |
お賽銭はきっと、ぜんぶ法海さんが貰っちゃうんだよ。
お話し本編:白娘子フォークロア(6)金山水没事件
0 件のコメント:
コメントを投稿