2017-06-01

草と木の間に(2)帰隠橋(龍井茶)

 龍井茶の開祖・辯才法師と西湖を再生した蘇東坡 

 草と木の間に(2)帰隠橋

 ─龍井茶秘話─  

【前のお話し】草と木の間に(1)林和靖の系譜(龍井茶)


次に訪れた時には、案の定、茶樹は龍井寺の敷地外にまで植樹されていた。

西湖郷龍井村の郷民達が、小坊主さんと辯才法師の指導を受けて、茶の樹の手入れを習っている。

茶は既に、寺から民間に放たれた。


勝手に庫裏に入り込み、勝手に茶を淹れていると、小坊主さんと辯才法師もやって来た。


「いけそうか、蘇軾」


「はい、まあ、それなりには

 過去の洪水の記録を調べてみました

 後は、杭州の古老の聞き取り調査を」


「流石は、龍図閣学士様だな」


「なんです、その皮肉

 まあ、宋真宗の図書館が役に立ちましたが」


淹れ立ての茶を持って、座を居間に移した。

龍井寺といっても、寿聖院を改築しただけで寺の体裁などない。


「それでどうする?」


「はい、やはり浚渫して西湖のキャパシティーは増やします」


湖を五つに区分する。

各区画の間で流量調節を図りながら、湖水を流す。

山から流入する土砂は、もっぱら一つ目の区画に溜まるから、定期的に浚渫する。


「水質維持のためには、水生植物を保全する必要があります

 湖水が流れている限り、流入する土砂と流出する土砂には平衡点があります

 浚渫したところで、一定以上には深くならないし、浅くもならない

 流量が大きいほど深くなりますが、水深はそれほど深く出来ないはずです

 積極的に蓮を植えましょうか、種子が食用可能ですし」


そうする事で、土砂の堆積による水位の上昇を防ぎ溢流を避ける。

1つの区画が決壊しても、バックアップが可能。

いよいよ駄目な時は、運河を通じて銭塘江に一気に放水する。

そのためには運河の浚渫も必要だ。

もともとが人造湖である西湖は、一種の多段式のダムと捉えるべきだ。


「浚渫した泥土で堤を作って、湖を区画します

 長城方式で、泥土は米粉と膠(にかわ)で固めましょう

 魯班(ろはん)の流れを汲む土木技師の集団が協力してくれます

 堤は保全のために、例によって柳でも植えますか」


「魯班の流れを汲む土木技師集団?

 そんなものが、まだ居たのか

 この杭州にも魯班が造ったと伝えられる石橋があるが」


「それが今も在るんですよ、梅尭臣の伝手ですが

 梅尭臣もこんな治水や災害対策には五月蝿かったですから

 私も梅尭臣もあちこち転任ばかりのドサ回りですからね

 変な人脈ばかり増えていきます」


「そりゃまた吃驚、えらい人脈が有るな」


「首尾よく竣工したら、記念碑を沈めて貰います

 何しろ、伝説の名石工ですからね

 記念碑の名も決めました、三潭印月」


「好きにしろよ

 ところで、米粉が大量に要るな」


「太后さまにお願いして、皇帝の米を送って貰いますよ

 杭州西湖のためだったら、皇帝も文句は無いでしょう」


「そんな事するから、冷や飯を食わされるんだ」


「これでやっときゃ、3千年に一度ぐらいの

 異常気象なら大丈夫じゃないですか」


そんな話しをしていたら、小坊主さんがやってきて、礼を述べた。


「あの件はどうも有難う御座いました、蘇東坡さま」

この小坊主さんは、辯才法師訪問のルールを作った事を言っている。

辯才法師の負担を減らすために、訪れても良い日を決めて、人数制限が設けられた。

焼香は、ひとり三拝まで。

訪問客が帰る時は、辯才法師の見送りは、竜井寺の下の渓河(たにがわ)まで。

辯才法師自身は、渓河の帰隠橋を越えない。

そのように定められた。


「そういえば、来客の姿が見えないね

 もしかして変なルール作ったから

 参拝客が減っちゃった?」


「違いますよ、蘇東坡さまが居られるからです

 蘇東坡さまがいらっしゃる時は、他の来客は断る

 和尚さまの、ただの、わがままですよ

 お客様を断るのはわたくしですから、大変です」


今日は気温が高い、もう夏になる。

空が曇り、雨が落ちてきて、雨足が強まり風が出てきた。


「工事にかかれるのは、雨季が過ぎてからの農閑期ですね」

突然、外が輝り閃光が眼を射た瞬間、轟音がとどろいた。

小坊主さんが、ひっと一声、悲鳴をあげた。

落雷だ、寺の境内、窓の直ぐ前の松の樹に落ちた。


これは、思わず立ち上がった、樹が焼けて両断している。

外に居たら危なかった、辯才法師は、泰然としていた。


辯才法師は悲しそうに、句を詠んだ。

この法師の、こういうところが好きだ。

「せっかく好い日除けになった松なのに落雷で折れてしまった」と嘆いている。


龍枝正逐風雷変,減却両窓半日涼(辯才法師)

天愛禅心圓且潔,故添明月伴清光(蘇東坡)



「その禅心に天は明月の清光を添えたのだ」と詠み添えたら、小坊主さんが呆れた顔をした。


「お前の事だから機能ばかり追及しそうだったが

 案外と、風雅な西湖になりそうじゃないか」


「西施の名には恥じないようにしませんとね

 機能を追求したら、美しくなるものですよ」


蘇東坡と辯才法師

蘇東坡の西湖の修繕工事には、20万人余が動員されたといいます。

当時の杭州の人口は推定50万人程度、人口は周辺地域の何処まで数えるかにもよりますが。

子供を勘定にいれなかったら、ほぼ全員でかかった事になってしまいます。

もう少し後の時代、マルコ・ポーロが訪れた頃の杭州なら、既に100万都市でした。


西湖を浚渫した泥土で今に伝わる蘇公堤が造られ、工事の記念碑として三潭印月が据えられました。

蘇東坡はこの工事に伴い、運河の浚渫も施して、大規模な水道整備事業を行い、公立病院の開設もやりました。

その後、皇帝は開封から撤退して杭州に臨安府が設置され、時代は南宋へと移ります。


辯才法師の茶樹は、やがて杭州西湖郷の龍井茶(ロンチンチャー)へと育っていきました。

現代は、杭州産であればとりあえず龍井茶と名乗ってよいのですが、西湖龍井(シーフーロンチン)を称するにはさらに産地が限定されます。

獅峰・梅塢・龍井・虎跑・雲棲の五郷、この中のトップクラスが辯才法師の獅峰です。

もしも持っていたら「ほらほら西湖龍井だよー」「おお、西湖龍井だ」とちょっと話題にできるような代物です。


まずまず、西湖龍井の獅峰は入手困難じゃないかと思うのですが。

もしもどこかに売ってたら、偽物じゃないか疑ってください。

中にはインド産の龍井茶もあって、当の中国人でも偽物を掴まされます。


お茶の交易は、漢代や唐代からありましたが、本格的に盛んになるのはさらに後の明代から清代にかけてとなります。

茶馬古道、チベットを抜けて西方との茶の交易ルートが3本開発されました。

お茶は辯才法師の目論見どおり、塩と同等クラスの扱いを受ける重要な交易品目となっていきます。

その先駆け、トップを走ったのが辯才法師が龍井村の獅峰山に作った茶樹園でした。

丁度その頃に、蘇東坡が杭州の太守となり西湖の整備をやり、蘇東坡と辯才法師に深い交流が有ったのは歴史上の事実です。



たった2年でもう転任命令が来た。

一旦、朝廷に戻った後は、次は何処に飛ばされるのだろう。


「私は本当はね、もう常州に居を定めて

 動くつもりは無かったんですよ

 蘇東坡が蘇州に居たんじゃ出来すぎですからね

 蘇州からは、ちょっと離れて常州ってとこで」


「諦めろ、それはお前の運命だ」


「そうかなあ、林和靖先生の呪いじゃないですか?

 なんだか、梅尭臣と欧陽修と法師とに、

 よってたかって祟られてるような気がするんですが」


「たまたま、ワシが、茶の栽培を始めようとした

 たまたま、お前が西湖を整備して水利事業をやった

 それは偶然ではない、これが御仏の導きで無くて何だ」


「本当にですか?

 私が転勤したいなーってぼやいたら

 なら太后さまにお願いしてみろって

 そう言って来たのは、実は、王安石なんですよね

 工事が終ったとたんまた転任、おかしくないですか」


「それは奇遇だなあ、ワシは王安石に時候の挨拶を送っただけだ

 王安石も引退して、今はヒマヒマだからな

 近況報告で、お茶を始めたいって書き添えてね

 すると律儀に返信してきて、書き添えてあったな」



 蘇軾を寄越します。



「ええーーっ、じゃあ今度は、

 私は、王安石に嵌められたんですか!」


「お前なあ、そりゃ司馬光と一緒に王安石と対立したのは知っとるけど

 烏台詩案でお前がやらかして、どれだけ王安石がお前を庇ったと思っとる?

 皇帝に上奏文まで書いたんだぞ、お前は好い先輩を持っとるよ」


「それは存じてますが、でも・・・」


「10年前、ワシは山を降りる時にも王安石に連絡を取った

 その時はあいつも、失脚しそうになりながら新法改革に着手

 大変な時だったが、それでも返信を寄越したよ」



 なんとかしてみます。



「あいつもなあ、お前と同じなんだよ

 王安石も、林和靖先生に傾倒してたのは知ってたか?」



  梅花(王安石)


 角数枝梅,凌寒独自開。

 遥知不是雪,為有暗香来。



「ありゃ、林和靖、入ってる

 でもこれはまた、意味深ですね

 じゃあ、やっぱり、林和靖の呪いなんだ」


「だから、お前は司馬光より王安石に近いんだよ

 お前みたいに懲りない奴は、転々とするのは運命なんだよ」


「そんなに、褒めないでくださいよ

 まあ嫌になったら逃げ出して、また法師に逢いにきます

 船に乗って運河を下ってきたら、杭州なんてすぐですよ」


「ああ、ワシはもう此処から動かんよ」


蘇東坡も辯才法師も、もう再び逢えはしない事は分かっています。

二人の歓談は、明け方まで尽きませんでした。


次辯才韻詩帖

「もう、夏か」

竹林の青葉の小道を、蘇東坡と辯才法師と小坊主さんは降っていきました。

木立の向こうに水を湛えた西湖、湖面に浮かぶ船、湖畔や蘇堤に集まる人々。

蘇堤の向こうに孤山、そのこちらに三潭印月、蘇堤の先に雷峰塔。

獅峰山からは、茶摘み娘たちの山歌が聞こえてきます。


二人の話しが尽きません。

小坊主さんが聞いていると、どうやら二人は出会ってからこれまでの事を全て話しているようです。

それは話しが尽きる訳もありません。


ただ蘇東坡は、なにやら嵌められて難題を押し付けられた話しばかりです。

寺の修行も理不尽な事は多いですが、科挙を目指して官僚になどなるものではない。

小坊主さんは、そう自分に戒めるのでした。


「ちょっと、ちょっと、和尚さま」

小坊主さんが慌てています。


「もう、渓河の帰隠橋を越えてしまいましたよ」


「ありゃ本当だ、しまった、しまった」


「しまったなあ、でも誰が責めるよ、ただの戒律だろ?」


そう蘇東坡が返し、そのまま二人は歩いて行こうとします。


「今日のワシは、ただの凡人だよー」

二人で大笑いなんかしているし。


「駄目ですよ、和尚さま自ら禁を犯されたら

 皆から文句を言われるのはわたしなんですよ」


「文句が有ったら杜甫に言え

 与子成二老,来往亦風流~


それを受けて、蘇東坡が詩を詠じ始めました。


 次辯才韻詩帖


日月転双,古今同一丘。

唯此鶴骨老,凛然不知秋。

去住両無碍,天人争挽留。

去如龍出山,雷雨卷潭湫。

来如珠還浦,魚鱉争昂頭。

此生暫寄寓,常恐名実浮。

我比陶令愧,師為遠公優。

送我還過渓,溪水当逆流。

聊使此山人,永記二老游。

大干在掌握,寧有別離憂。


さらに、辯才法師が返します。


龍井新亭初成詩呈府師蘇軾林


政暇去旌旗,策杖訪林丘。

人惟尚求旧,況悲蒲柳秋。

雲谷一臨照,声光千載留。

軒眉獅子峰,洗眼蒼龍湫。

路穿乱石脚,亭蔽重崗頭。

湖山一日尽,万象掌中游。

煮茗款道論,奠爵致龍優。

過溪犯戒,茲意亦風流。

自惟日老病,当期安養游。

願公帰廟堂,用慰天下憂。



詠じ終えた辯才法師がふと、立ち止まりました。

蘇東坡は振り向きもせず、片手を振って、


「じゃあ小坊主さん、法師は頼んだよ」

蘇東坡は、竹林の中を去って行きました。




【前のお話し】草と木の間に(1)林和靖の系譜(龍井茶)
【メモ】草と木の間に(龍井茶)

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