山が堕ちてくる?タチの悪い一休さん、済公活佛
済公さん(1)飛来峰
(済公活佛)
前のお話し:【西湖明珠】(杭州の伝説)
その昔、南宋の時代のことでした。
杭州の霊隠寺に、飲む、打つ、買うと、3拍子そろった放蕩三昧の素敵な和尚さんがおりました。
お酒が大好きで、お肉も大好き、禅僧のくせに座禅が大嫌い。
なのに悟りを得ていて徳がある、という困った和尚さんでした。
ぼろけた僧衣に山形帽子、破れた扇子と瓢箪(ひょうたん)がトレードマークです。
瓢箪の中身は、きっとお酒なのでしょう。
修行もせずに、ふらつきながら、出会った人を手助けする破戒坊主の済公さんです。
そういった瘋癲(ふうてん)和尚の伝承は多いですが、済公さんはその中華代表といって好いでしょう。
性質(たち)の悪い一休さん、そう思って頂いてかまいません。
ただ、済公さんの場合は遣り口が大陸方式で、法術も使います。
雲に乗って空を飛んでみたり、他人の運命を算じて危難と判じたら先回りして救ってみたり。
そしてかなり奇矯な人物であったようで、アニメの「一休さん」よりは、偏屈な実物の一休禅師タイプです。
その反面“生き仏”、済公活佛とも称され、その出自は羅漢様の顕現ともされています。
済公さんという瘋癲和尚が、その奇矯な行動で、悪い地方官や生臭坊主をやっつけたり。
或いは、病気で困っているお婆さんを法術で治したり、時には幽霊だって救います。
そういったストーリーで、民話やドラマや映画になって、中国人ならまず誰でも知っているキャラクターです。
また逆に、杭州からは離れた土地の方だったら、済公さんが実在の人物であったとは知らなかったりもします。
どうも民話には「眼の病を癒す話し」が多いように思います。
ですからきっと、医術に長けた人物ではあったのでしょう。
子供向け絵本の済公さん |
済公和尚が杭州の霊隠寺で修行していた頃でした。
修行をしながら、実は居眠りしていた済公さんですが、突然に悪寒が走ります。
とんでもない霊夢を観てしまいました。
大慌てで寺を飛び出し、道を往く人々に避難するように叫ぶのですが、誰も相手にしようとしません。
今度はそこいらじゅうの家の門を叩いては、叫び散らします。
どんどんどん、がちゃっ。
「おい大変だ、すぐにみんな逃げるんだ!」
「おや和尚さん、どうしたんですか?」
「もう、すぐに、山が、堕ちてくる」
「・・・ふん、この生臭坊主が
また修行中に居眠りでもして、夢でも見たんだろ」
ばたん。
その通り、修行中に居眠りをして夢を観たんです。
でも、それは霊夢で、すぐに山が堕ちてくるのは既定の事実なのです。
今すぐ、村人たちを避難させなければなりません。
なのに、そんな話しを信じる者は誰も居はしません。
済公さんが途方に暮れながら、村の中を走っていると、なんと、
婚礼をやっているお家がありました。
花嫁さんの家に、親戚一同や近在の者たちがみんな集まっています。
折りよく丁度、花婿さんが大勢のお伴(とも)を引き連れて、花嫁さんの家にやって来るところです。
この後、花婿さんは花嫁さんを迎えて連れ帰り、拝堂儀式をやって夫婦になる予定なのでしょう。
「ご婚礼ですか、これはお目出度いことです」
「ああ、済公さん、これはこれは」
「どうか、拙僧にも御縁を賜れますよう
なーもーあーみーだーふぉー」
おいおい、済公さんが来ちゃったよ、どうしよう?
やだなー、婚礼で念仏唱えてどうすんだよ。
えー、済公さんかよ、荒らされちゃたまらんな。
とっとと喜捨して、追い返しちまえよ。
なんか、花嫁さんの家人はそんなことを言っています。
普段から修行もせずに子供と駆けっこしたり、狗肉を喰いながらふらふら歩いたりしている不良坊主ですから、評判がよろしくありません。
些少ですがこれをと紅包(ホンパオ)の銭を渡そうとすると、済公さんは要らないという。
そう言うや、済公さんは花嫁さんを無理矢理に背負って駆け出しました。
大変だ、坊主が花嫁を攫(さら)った!
全員で、済公さんを追いかけ始めます。
花嫁を背負って駆ける坊主、砂煙を蹴起てながら追いかける人々。
いったい何事だ、村人全員が済公さんを追って走りはじめました。
息もろくすっぽ継げないまま、済公さんは駆けつづけ、ようやく西湖の畔りまで走り着きます。
花嫁さんを降ろすと「すまなんだな」、そう詫びながら済公さんはへたり込み、咳き込みながらだらだらと汗を噴きはじめました。
へたばったまま待っていると、村人たちも追いついてきました。
算じてみると、どうやら老人から赤ん坊まで、全員が揃っていそうです。
花婿さんが済公さんの首を締め、村人全員で済公さんを吊るし上げていると、
水鳥たちが急に飛び立ち騒ぎ出し、犬の遠吠えがあちこちで湧き起こり、
空が急に曇ってきて、なにか腹に響くような地響きが、
ごごごごごごごごごご
見上げてみると、あーあれは、
「うわっ、ラピュタだ!」
「あー、ラピュタが堕ちて来る」
「じゃねーよ、山だぞ、おい」
山は霊隠寺の向こうの村の上まで降りてくると、静かに村を押し潰しながら鎮座しました。
あぶねー、危うく村人たちは山に押し潰されてペチャンコになるところを、済公さんの機転で助けられたのでした。
その後のことです。
(注:以下は「山が飛来した」という全く別の伝説で、時代設定の前後はわかりません)
渾壽羅(こんじゅら)という、インドの僧侶が杭州を訪れてきました。
そして、言うには、
「ああ、こんなとこに飛んで来てたんだなあ」
「何が、ですか?」
あの山だよ、と言いながら、渾壽羅さんは飛来峰を指しました。
「霊鷲山(りょうじゅせん)の手前の小山がね
1つ無くなってるんだよね
どこへ行ったのかなって思ってたらさ
こんなとこまで、飛んで来てたんだなあ」
霊鷲山といえば、あのお釈迦さまが修行や説法をしたという山です。
しかし、いくらそんな霊山でも、山が飛来した?
そんな話は、誰も信じません。
「うそじゃないって
霊鷲嶺ってよんでたんだけどね
山の中腹にさ、洞窟が有ってさ
白猿が1匹棲んでるんだよ」
そう言って、渾壽羅さんはほんとに洞窟から白猿を呼び出したという事です。
ことの真偽は、天界のことですからわかりません。
しかしやはり、釈迦如来は東京の立川(たちかわ)だけでは飽き足らず、杭州にも住んでみたくなって、
済公さんに、村人を避難させたということなのでしょう。
杭州の霊隠寺には、「霊鷲飛来」という扁額があります。
「霊鷲飛来」のうえの「雲林禅寺」は、康煕皇帝の御題(皇帝の直筆)です。
次のお話し:【盗仙桃(1)西王母は萌え系】
[関連・参考]【骨を売る肉屋】(排骨酢豚)
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