南翔の街に置き去られた浮浪児、そこで知った饅頭の威力
翔龍鳳
(小龍包@上海)
南翔小龍包 |
【前のお話し】饅頭山攻防戦(饅頭)
【次のお話し】3食点心付き(上海)
老板(ラオパン)が死んだ。
「日華軒はおまえが継ぐのだ。それは老板の意思だ」
そういう点心師の陳和(チェンフー)さんが継ぐものだと思っていた。
確かに、老板の義子である自分が継ぐのが筋ではあるだろう。
饅頭(マントウ)作りについては、想う処もある。
孤児院 |
それにしても、10年毎に転機が訪れる。
南翔(なんしょう)の街で路頭に迷っていたら、捕まって孤児院に送られた。
孤児院に収容されていた自分が老板に拾われたのは、10年前。
養子になり、黄(ホワン)の姓を与えられ、明賢(ミンシェン)の名を貰った。
それから10年、饅頭作りを仕込まれた。
農家 |
もともとは杭州の農家の子供だったのだ。
太平天国軍が杭州を占拠し、自分は接収され南翔の街まで連れられて来た。
それが10歳の頃だった。
1年余で太平天国軍は清軍に破れて敗退した。
自分は置き去りにされ、路頭に迷ってしまったのだ。
飯もろくに食わずに、風に吹かれて流れる生活。
饅頭屋のオヤジに、出来損ないの饅頭(マントウ)を1つ、恵んでもらった。
体で感じた、出来立ての温かい饅頭の威力。
そしていま、自分は饅頭屋で働いている。
現做現売、いま作って出来立てをその場で売る。
たった1個の饅頭が、どれほど人を力づけることか。
黄明賢(ホワンミンシェン)は、自分の仕事に意義を持っていました。
現做現売(シェンツオシェンマイ)をモットーに、温かい饅頭を提供して商売は繁盛していたのです。
黄明賢の饅頭がおいしかったものですから、他店の店主たちまでがやって来て、買っていくほどだったのですが、
ところが、味と技を盗まれて真似をされてしまい、しだいに利益が上がらなくなってきました。
困ったときの解決策。
それはきっと、お客様の声のなかに有るのです。
ひとりの常連客が、点心師の陳和さんと何か話しをしていました。
「なんで商売をもう少し、大きくしないんだ」
「大きくしてどうしろと?
ウチならこんなもんでしょう」
「違うよ、だから味を盗まれるんだ」
顔をしかめる黄明賢。
「大きくたって同じでしょ、それは?」
「だから違うって、メニューがもっと有ったらさ
客はコッチにくるんだよ
饅頭だけだから、手近なとこで買っちゃうんだよ」
脳裡を過ぎる、風に吹かれて流れる生活。
手近な饅頭を、買えない者もいる。
「ありますよ、ラーメンもワンタンも
黄明賢の代になってから、始めたじゃないですか」
「同じだよ。汁ものも、饅頭も、
すぐに腹いっぱいになってしまう
数が捌ける訳が、ないじゃないか」
顔を見合わせる、陳和と黄明賢。
「じゃあ何売ったら、いいんですか?」
「んー、それはー・・・
こう、チョット塩味でー、
餅菓子みたいに柔らかくって
でも、モチじゃなくってー、
饅頭みたいにパサついてなくてしっとりとー」
なんですそれ、と陳和。
だから考えてよ、と常連さん。
「うん、ゆっくりとこう、
味が楽しめる小さいやつ
何か、考えてよ」
黄明賢は想う。
出来立ての温かい饅頭の、威力。
それは現代の日本人にだってわかります。
シゴトで現場作業、それも晩秋の夜間
なぜか50%の確率で氷雨がぱらつく
ちょっとした隙に、みんなでコンビニ
肉まんとホットコーヒーの小さな幸せ
肉まんが大きいと満足度も大きいから、150円の特製肉まんを買っちゃったりもします。
でも、人に差し入れる時は、絶対に100円の小さいやつです。
ですが、
─ 違うのか?
─ 小さくても、いいのか?
点心師の陳和(チェンフー)も、本当はもっと腕をふるいたい。
黄明賢だって、商売を大きくしていきたい。
仕事師と浮浪児あがりの2人が揃って動き始め、店内は大変なことになってきました。
近頃はやりの狗不理包子(ゴウプリパオツ)は小さめだが、でも包子(パオツ)だもんな。
もっと、小さくしよう。
餡(あん)も小さくするのか?
だめだよ、餡はそのままだよ。
じゃあ、皮を薄くするのか?
試行錯誤、頭で考えても、答えはでません。
餡の配料を工夫し、蒸し上がりにはスープが満ちるようにする。
「だめか、生地を発酵したら皮が破れる」
そのためには、皮も工夫する。
包子(パオツ)のような、発酵した生地は使えない。
「こんどは、餡の上半分が生煮えになる」
小さいが故に、火加減と蒸し時間の条件がタイトになる。
今度は、皮の厚みの最適解を探っていく。
「味はいいのにね、火加減を強くしたら?」
「やったよ、皮がパサついて出来るのは硬いミニ饅頭だ」
「だったら、丁度いい火加減を追求しなきゃ」
黄明賢は、どんどん記録をとっていきました。
陳和さんは、試行の結果をすべて記憶しているようでした。
さあ続けよう、そう言って黄明賢は記録紙を取り出します。
「無理か、あと少し、大変なのはそこからだ」
「小さいからね、火加減だけじゃ限界があるね」
「じゃあ、どうするよ」
「熱効率を上げよう、ヒダを増やすんだよ」
小龍包のあの、ソフトクリームみたいな襞(ひだ)。
これにもちゃんと、意味があります。
餡に伝熱するための熱効率と、皮の強度。
黄明賢は、この襞の数も厳密に定め、これを守ったといいます。
その数は、熱源の変化等の調理条件によって変わるはずですが、諸説あります。
どうもこの時は、黄明賢は襞の数を14条かそれ以上としたようです。
こうして、出来上がったのは、
こうチョット塩味で、餅じゃないのに柔らかくパサつかない
しっとりとした、ゆっくり味が楽しめる小さな点心。
そして、膨大な記録の山でした。
「確かめよ、そして記録せよ」、そう教えたのはパスカルだったでしょうか、デカルトだったでしょうか。
黄明賢の手法は、科学的でした。
黄明賢は記録をもとに、小龍包を作るための規格を固めていきました。
─ 50gの小麦粉から正確に10枚の皮
─ 生地の発酵はしない
─ 襞の数の遵守
─ 蒸し上がりの皮は半透明
─ 餡のベースは赤身のブタ肉
─ 餡の配料には旬のものを添加
─ 凍らせたスープの配合
─ 厳格な蒸し時間
そして、蒸しあがった小龍包の全ロットの検査の実施。
黄明賢は計量スプーンならぬ、専用の計量小皿を作ったといいます。
そして、小龍包が蒸しあがったら、蒸篭から1つとり、
計量小皿に乗せて、穴を開け、
スープがしっかりと満ちるかどうか、毎回、自ら確認しました。
南翔饅頭店-城隍廟九曲橋 |
もしもこの検査に不合格だったら、その蒸篭(せいろ)の小龍包は決して売らなかったといいます。
黄明賢には、味と技を盗まれた経験があります。
もう真似をされるのはこりごり、黄明賢は小龍包の製法を秘伝としました。
150年ほども昔のお話しです。
現在、この黄明賢の流れを汲むのは「南翔饅頭店」です。
有名なのは、上海の豫園の南翔饅頭店で、これが黄明賢の直系です。
通好みで一番おいしいのは、やはり南翔鎮の古猗園の南翔饅頭店とされています。
南翔って何よ?、え、小龍包って上海の点心だったの?
【メモ】翔龍鳳
(小龍包@上海)
今回のお話は、「実話を基にしたフィクション」、という事でお願いします。
なにしろ現行の企業の創業秘話を、勝手に書いてるだけです。
中華のことですから、香港や台湾にも「小龍包はウチが創った」と主張する方はあるかもしれません。
とりあえず上海では、「小龍包の創始者は黄明賢」が定説です。
考えて、試行して、記録して、規格を固める。
黄明賢の手法は科学的で、現代の品質管理に通じるものだったと思います。
日本の工業製品が優秀なのは、ひとえに品質管理を重んじたことにあります。
かつてのSONYの都市伝説。
「SONY製品には時限装置が仕掛けられていて、保障期限を過ぎると壊れる」
そんなバカげた噂も、品質管理の徹底の賜物でした。
統計的品質管理の父、ウォルター・A・シューハートに先駆けること約100年、黄明賢はそれを実践していました。
なんか、近頃の日本製品には、それが欠けて来ているような気がして心配です。
南翔饅頭店の六本木ヒルズ店がオープンする少し前から、冷凍物の南翔小龍包は有りました。
でも、確実に入手できるようになったのはここ数年のことです。
おかげで、一壽(いっしゅう)上海特色点心店でも小龍包を扱えます。
あ、冷凍物をバカにしないでくださいね。
お話しでも述べたように、大切なのは「蒸し加減」。
一壽店長の佳佳(ちゃちゃ)には、お話し出来ない「蒸功夫」があります。
ところでショウロンポウは、“小龍包”と“小籠包”のどっちが正しいんでしょ?
なんとなく、小籠包っぽいですが、中文ページを漁ってもどっちも使われています。
一壽では“小龍包”の表記です。
表記が2つあるのに気付かなくて、最初に“小龍包”を使っちゃったからです。
一壽(いっしゅう)上海特色点心店の“一壽”は、店長の親父さんが命名しました。
細く永くと祈念して、おかげさまでホントに細く永くなってます。
“上海特色点心店”は、店長の希望によるものですが、訊いてみました。
「上海特色点心店って、上海の点心なんて有るの?」
「あるよー、南翔小龍包よー」
点心や飲茶って、香港や台湾のものと思っていました。
魔都上海、租界があったから上海は都会になったけど、ほんとは只の漁村じゃないか。
「南翔って、何よ?」
南翔鎮(なんしょうちん)は、小龍包が発祥した上海郊外の街でした。
奈良に匹敵するほどの古い街で、上海の中心街から20kmほど西北です。
裏をとってやろうと調べてみたら、あんなお話しがありました。
上海は、本来は杭州と蘇州に挟まれた田舎です。
しかし大運河が通っていて、杭州以南の物資の集積所がありました。
特に米は、一旦全部、上海に集中していたのです。
なので、閑散とした田舎だったという訳でもありません。
いずれまたお話しいたしますが、上海には地鶏があります。
上海に行って食べるべきは、魚料理だと思います。
魚を香草といっしょに蒸篭で蒸す、蒸し料理。
店長もよく作っています。
ほんとは川魚なんですが、今の日本じゃ川魚が入手しにくいですから。
かわりに、スズキなんか使ったりしています。
上海もまた江南、魚米之郷なのです。
ついでに書いておけば、
大運河を運搬されてくる物資の集積所がありましたから、
上海には、保鏢(ほひょう)という用心棒稼業がありました。
そのために上海には、海賊・・じゃなくて川賊対策のための、船舶の上の戦闘に特化した武術が伝わっています。
って、関係ないか。
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