朱元璋が唸る、幻の薬方・烏梅のジュースですっきり解決
烏梅皇帝
(酸梅湯@点心皇帝)
【前のお話し】皇帝のダイエット(酸梅湯@点心皇帝)
湖北 ─ 洞庭湖の北側だから湖北 |
夏の風物詩、それは酸梅湯(サンメイタン)。
今でも老北京の街角では、
玉泉山的ー水来ー,東直門的ー氷ー。
喝的嘴里ー涼了ー,湯児好喝ー呀ー。
宮城の水と氷だぞー、冷たくっておいしいぞー
という酸梅湯売りの声が、(以下略)。
宋の国が遂に滅ぼされました。
中原は、北方の騎馬民族に占領されて、元の時代となりました。
北京のぐるりならそれなりに制圧されて落ち着いていましたが、江南地方は結構な混乱が続きます。
そんなカオスな江南地方で決起して、占領された領土を奪い返したのが、朱元璋(しゅげんしょう)。
朱元璋はド底辺から皇帝に成り上がり、明の時代を築きました。
なぜ、朱元璋は貧民から皇帝になる事が出来たのか。
そこには、巷間囁かれる、ある噂がありました。
むかーし、むかし、元代末期のそのむかし。
ある貧民の青年がおりました。
名を、朱元璋(しゅげんしょう)といいます。
青年は、烏梅(うばい)を売り歩いて、行商をしていました。
烏梅とは、簡単にいって梅の実を燻製にした漢方薬です。
ススで真っ黒になりますから、カラスになぞらえて烏梅。
なのですが、何を間違ったのか、鳥梅(とりうめ)と表記される事もあります。
いえ、日本で間違ったのではなく、当の中国語で烏梅と鳥梅、両方とも使われているのです。
青年が、湖北地方へ行商におもむいた時のこと。
村では人々が、疫病で苦しんでおりました。
元代末期には実際、自然災害が続き疫病が蔓延し、結構な世紀末の様相を呈していたようです。
湖北地方とは、四川・上海・北京を結ぶ要所ですが、実は中国初の内陸型原子力発電所が計画されていました。
2011年着工、2015年運開の予定でしたが、ところが2011年にどっかの国で原発事故が起きました。
これを受けてさしもの人民政府も、工事の計画は見送る雲行きです。
青年も客商売ですから、ついつい伝染病に感染してしまいました。
商人宿に転げ込んで、うんうんと唸る青年。
悪寒と発熱、体の節々が痛んで、おまけに下痢ぴー。
朦朧とする意識。
お約束の症状が、フルセットで発症してしまいます。
俺はこんなところで、くたばってしまうのか。
当時のことですから畳の上ではなかなか死ねませんが、その以前に、なんと中華にはタタミが無いのです。
現代の日本でも、畳の上で死ぬのは至難の業となりました。
もしも病室が和室の病院が有ったら、是非そこで死にたいと思います。
下がりかけては、またぶり返す発熱。
症状がだんだんと重くなっていくその中で、青年はふと気付きました。
なにか、この、心地よい酸気。
熱に浮かされたその目に映ったのは、自分が担いできた行李(こうり)でした。
その荷物の中に有るのは、烏梅(うばい)。
そうです、青年には烏梅があったのです。
青年は、最後の気力を振り絞り、
烏梅(うばい)に山楂(さんざ)と甘草(かんぞう)を配合して、呑んでみたらだんだん良くなり、治ってしまった。
しかも、毎日のんで元気いっぱいになってしまった。
しかもしかも、青年はこれを売りさばいて大儲けしてしまった。
それを戦費に、兵を集めて戦争してみたら、元朝に勝ってしまい皇帝になってしまった。
朱元璋さん |
元朝を北方に追い返し、明朝を打ち建てた朱元璋の功績の影には、
中華色の大げさな歴史秘話があったのでした。
かつて酸梅湯を売る店ではどこも、朱元璋の肖像を掲げていたということです。
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