杭州から北京までひた駆ける乾隆皇帝、待ち受ける運命
皇帝のため息
(龍井茶@点心皇帝)
初夏の山郷。
新緑の季節に誘われて、乾隆皇帝(けんりゅうこうてい)は杭州西湖郷の龍井村にやって来ました。
皇帝自ら世情を視察するためにです。
決して物見遊山ではないのです。
竹林の小道を抜けたところに、龍井寺はありました。
この竹林は、龍井茶開祖の辯才法師が、訪なう人のために自ら植えた竹林であると伝えられています。
龍井寺を訪れ来る人には、辯才法師は必ずお茶を淹れました。
辯才法師はとんでもない高僧です。
そんな高僧が山寺の和尚さんをやっていましたから、龍井寺を訪れる人は大変に多かった。
なのでどんどんお茶が足りなくなって、どんどん茶の樹を植えていきます。
この辯才法師の茶の樹が、後に龍井茶の興りとなりました。
中国十大銘茶の筆頭、西湖竜井(シーフーロンチン)の獅峰(スーフォン)なんてお茶は、庶民が普段飲むようなお茶ではありません。
そんなお茶なら、皇帝だって飲みたい。
乾隆皇帝は龍井寺に立ち寄り、お坊さんにお茶を淹れて貰いました。
「はー、旨いなー
ワシ、この龍井(ロンチン)の緑茶が大好き」
「はい、明前(ミンチェン)の新茶で御座いますよ
水はここの龍井泉です」
「お茶っ葉って、北京まで運ぶと風味が変わっちゃうじゃない
第一、北京って、水が悪いんだよなー
山郷で採れた新茶を、現地の泉の水で淹れて飲む
お茶を飲むために、ワシはこうして杭州まで、
あいやいや、世情の視察、視察しに来てんだけどね」
明前(ミンチェン)は、清明節の前の時期。
清明節は4月5日前後の2週間ほどの期間を指します。
本来は旧暦なのに中国ったら清明節だけは新暦で決めちゃったから、なんか時季がズレちゃいました。
まあ、清明節はお墓参りをする人民の休日ですから、新暦できっちり決める必要が有ったのでしょう。
夏も近付く八十八夜、この時期から茶摘みが始まります。
中華では、緑茶はこの明前の物が最高品質とされています。
「龍井泉っていったらさあ、
あの済公和尚が材木調達したって井戸だよね?
流石は、東海に通じていて、龍の棲む泉だよね」
「えっそれは醒心井ですよね
ウチじゃなくって、浄慈寺ですよ」
「うん、山好し水好し人の言う、
人言山佳水亦佳~、か」
なんか蘇東坡の詩なんか口ずさんでるし、他人の話し聞いてないし。
「はい、西湖郷は大変に好いところです
辯才法師もここが気に入ったので御座いますね」
済公和尚というのは、一休さんが最終形態に進化したような瘋癲(ふうてん)和尚ですが、酢豚のお話しで改めて登場する予定です。
「ワシ、もう、視察で大変でさー
あー、この後は茶摘みの視察がしたいなー」
「ちょうどこの風篁嶺でも茶摘みが始まっておりますよ」
いい茶を"美人"といいます.美人が美人摘み |
風篁嶺の獅峰山山麓では、折りしも茶摘みの真っ最中。
茶摘みをしているのは郷の若い娘ばかり。
しかも杭州だから揃って美人です。
獅峰山のお茶はそれはすごい高級品。
オヤジのゴツイ手で摘んだのでは、茶葉が痛んでしまいます。
だから獅峰山の初摘みは、未婚の若い女性が白魚のような手で優しく摘むのです。
その昔は、トコトンいいお茶は手で摘むコトすらしなかった。
女性がその唇でやさしく食(は)んで一枚一枚摘んだ。
それ故に、獅峰山の初摘みを女児紅(ニーアールホン)と称しました。
現代ではそんな事はしませんが、もちろん基本は手摘みです。
(注:昔の話です。現代は単に“女児紅”といったらお酒の事になってしまいます)
そんな様子を見て嬉しくなってしまった乾隆皇帝。
さっそく自分も若い女性に混じって楽しく茶摘みをはじめます。
「え、この芽の部分に小さな新葉を一枚だけつけて摘むの?」
「はい、初摘みは一芯一葉なんですよ」
「うーん、いい香りだなあ、おじさん感激」
摘み立ての茶葉の香りに、うっとりする乾隆皇帝。
「あら皇帝、摘んだらすぐに篭に入れませんと
体温でお茶が発酵して、色味が変わってしまいます」
乾隆皇帝が持ってる茶葉に、茶摘み娘がそっと手を伸ばし。
なんてなんて、手と手が触れたりなんかしたら、皇帝だって嬉しいのです。
一芯一葉、これは日本ではまずまず出来ない、と思います。
日本では機械摘みですから、どうしても一芯5~6葉になってしまう。
加えて日本茶と違うのが殺青工程。
求む.300℃に耐える手の持ち主 |
大き目の北京鍋みたいなパラボラ状の鍋が直火にかけられています。
茶摘み娘さんが茶葉をどさりと、意外に大量に放り込みました。
「緑茶は茶葉を摘んだらすぐに加熱して、
発酵を止めるんですよ、これが殺青です」
茶葉を熱い鍋に、素手で押し付けるようにしてもみ始める茶摘み娘さん。
ひと際爽やかに茶の香り、皇帝は包み込まれました。
乾隆皇帝もうっとりしながら、手を出します。
すると、もうもうと水蒸気が湧きあがる。
「あらあら、いけませんわ
蒸気を逃がさないように加熱するのがポイントです」
「うわっ、あっちっち」
「大丈夫ですか、皇帝
茶葉の殺青温度は200℃ちょいですが
鍋は300℃ぐらいにはなるんですよ」
綺麗な茶摘み娘さんに心配なんかされちゃったら、皇帝だって舞い上がる。
近頃の中華の人民たちも、すっかりバブリーになっちゃって、このお仕事も人手不足。
西湖郷では、健康で300℃に耐える手の持ち主を募集中だそうです。
日本茶は通常、高温スチームで一気に殺青します。
するとその加減かと思うんですが、日本茶は1煎目で出切ってしまって2煎目以降はもう出涸らしになる。
中国茶は、1煎目は香り、2煎目は味、煎じるごとに味と香りが変化する。
ということに、なります。
逆に言えば、1煎目は日本茶の方が旨いと思います。
ただ、抹茶入りの緑茶や玄米茶は、なんか納得できません。
まあ旨けりゃ好いてなもんですが、茶に酔う事は出来ないような気がします。
茶葉の香りだけで、酔ってしまった乾隆皇帝。
若い茶摘み娘のきれいな山歌─
白雲が漂い流れる、薄蒼い空─
清清しい茶葉の香りに包まれ─
山郷のひとときに初夏の薫風─
傍に控える厳つい厳つい武者姿の伝令----
あれ?
いつのまにか伝令がやってきて、乾隆皇帝の後ろに控えていました。
「な、なんだよー、せっかく楽しく世情を視察してんのに
大事だろうが、世情の視察は、世情だよ世情」
邪魔されたくない乾隆皇帝ですが、伝令さんは容赦が無い。
皇帝なんて可愛そうなものです。
「申し上げます、皇帝陛下
太后さまが急病にあらせられます
すぐに、宮城にお戻りください」
「え、お母さまが急病!」
乾隆皇帝、いま自分が握っていた茶葉をふところに放り込むや、すぐに白馬に跨り宮城に駆け戻ります。
こういう皇帝の行幸では、普通は龍船にのって運河を下って来るわけですが、これがもう参勤交代より遅い。
なので馬で駆け戻る訳ですが、ご心配なく。
乾隆皇帝は満族ですから、騎馬民族の末裔。
そんなのはへっちゃらです。
でも、馬で長江を越え、黄河を越え、北京まで戻るのはちょっと大変でした。
乾隆皇帝は大変に母親想いです。
その証拠に、母御様80歳の誕生日には、公費で盛大なお誕生日パーティーを開催しました。
熱ーいお茶,ごーくごく,あっちっち |
乾隆皇帝は太后さまの許に駆け込みます。
ご病気の太后さまは、お出迎えすらできません。
なんだか妙な脂汗をかき、充血した目で、臥せったまま、
腹部に膨満感があり、何も食べたくないのだ仰られます。
それでも皇帝の姿を見て、気を持ち直されたのでしょうか。
太后さまは健気にも、
「おや、乾隆皇帝、戻ってきましたの?
あら、なんでしょう、このいい香りは?」
いったい、どんな素晴らしいお土産ですの?」
そこで乾隆皇帝も気が付きました。
確かに清清しい香りが漂っています。
これは一体、
ふところをまさぐると、出て来たのは例の茶葉。
日に夜をついで宮城に駆け戻るうちに、ほどよく乾燥しています。
「まあ乾隆ったら、お茶ですか
わたくし、是非、頂きたいわ」
お湯のなかで茶葉が開くにつれ、爽やかな香りが部屋いっぱいに広がります。
ひと口のんだだけで、太后さまの眼もスッキリしてきました。
飲み終えた頃には、太后さまの脂汗はひき、腹部の張りすら消えてしまいました。
太后さまは、大変にお喜びになり、
「すごい薬効だこと、わたくし食欲も戻ってまいりましたわよ
龍井のお茶は、本当に食べ過ぎの妙薬ですわね」
「 えっ?」
(訳:ただの食べ過ぎだったの?)
「お茶だけ飲むのも、もったいないわ
もちだんごか何か、頂いていいかしら」
「えっ、えっ?」
(訳:なのにまだ食べるの?)
「このお茶さえあれば、幾らでも食べれちゃう」
「えっ、えっ、えっ?」
男性にとって、女性の思考回路は永遠に謎なのです。
それをよく知る乾隆皇帝、だから怒りません。
いつもの事なので諦めてるのかも、ですが。
ため息ひとつ、乾隆皇帝は、
「おいっ、そこの変な三角の帽子かぶってるキミ!
キミ、ちょっと杭州の竜井村まで、行ってきなさい
ほらあの例のお茶、胡公廟の前に茶の樹が18本
あれね、ちょっと行って、押えてきなさい
今日からあれは、太后さま専用ね
たのんだよ、はい決まり」
この日から、西湖龍井の獅峰は、緑茶のブランドとなりました。
乾隆皇帝@テレビドラマ |
【前のお話し】草と木の間に(龍井茶)
【メモ】皇帝のため息(龍井茶)
0 件のコメント:
コメントを投稿