犬呼ばわりの包子屋さん、開き直って企業名も犬
犬だからわからない
(狗不理包子@天津)
狗不理包子 |
【前のお話し】蛮頭祭祀(饅頭)
【次のお話し】饅頭山攻防戦(饅頭@杭州)
40歳にもなってからできた男の子。
だから、狗子(コウツ) =“犬っころ”。
そんな愛情たっぷりの名前をつけました。
その昔、幼名というものがありました。
医療が未発達な時代には、赤ん坊なんてコロコロ死にました。
そこで、子供が生まれたらわざと粗雑な名前をつける。
そうしたら、鬼神も妖魔もよけて通るから元気に育つだろう、というわけです。
男の子に女の子の名をつけたりもしました。
これは男尊女卑だと中華では批判されてますが、違うと思います。
それはきっと、男性より女性のほうが強いからにきまってます。
狗子(コウツ)は14歳になると、天津の包子屋さんに弟子入りしました。
名の通り、犬のように素直で従順。
師匠が1を教えたら、10を知り、知ったらそれを実践する。
師匠にもずいぶん可愛がられ、腕前はメキメキ上達していきました。
そうして修行すること3年、
「包子作りの上手な、おもしろい小僧がいるぞ」
と評判になり、包子屋さんはずいぶん繁盛したようです。
その後、師匠が世を去り、狗子は独立することになりました。
でも資本なんてありません。
天津の運河 |
運河のほとりの埠頭のそばで、小さな包子屋を始めました。
メニューは包子だけ、屋号なんてありません。
客筋はといえば、人夫や水夫(かこ)や地元の人たち。
みんな狗子のコトを知っています。
狗子は今までどおり、新鮮な材料で真摯に包子を作る。
真摯につくるから、腕前もまた上がってくる。
評判が評判をよび、お客さまがどんどん増えて来ます。
もう忙しくってしょうがない。
普通、忙しくなると手抜きをして味が落ちるもんですが、狗子はちがった。
手抜きをしない。
真摯に仕事をするから、お客さまと話しをするヒマもありません。
お客さまが話しかけても、返事もろくすっぽできませんでした。
「真面目にやったらお客さまは来る。だからがんばろう」
そんなことは考えてなかったでしょう。
きっと、真面目にやるのが当たり前と思っていたのです。
なのに、客層が客層です。
人夫や水夫たち、口が悪い・・・じゃなくって、威勢がいい。
「狗子売包子、不理人」(コウツマイパオツ,プーリーレン)
イヌが包子を売ってるぞ、ヒトの話がわからない
えらい言われようを、されてしまいました。
いつしか、店の呼び名が「狗不理(コウプリ)」。
狗子の作る包子は、「狗不理包子(コウプリパオツ)」。
そういうことになりました
親愛の情はこもっているのでしょうが。
“不理”の意味はここでは、“ do not attention to ”です。
直訳で狗不理は、「狗は(人に)注意を払わない」。
意訳では、「イヌだから知らないよ」。
といったところでしょうか。
袁世凱さん(まん中) |
そんな評判を聞きつけたのが、袁世凱でした。
軍のお仕事で天津に居たのですが、北京への帰りがけに買っていきました。
西太后へのお土産にしたのです。
西太后の感想:
「山中走獣雲中雁,陸地牛羊海底鮮,
不及狗不理香矣,食之長寿也」
「山海の珍味も狗不理に及ばない。寿命が延びるわ~」
狗不理の評判は名声へとステップアップ。
ますます商売繁盛、とうとう天津市内に店を構えることになりました。
屋号もちゃんと決めました。
徳聚号(とくしゅうごう)
よい名です、徳が集まるのです、師匠筋にでも命名してもらったんでしょうか。
でも、誰も新しい屋号でよんでくれなかった。
あいも変わらず、狗不理とよばれた。
とうとう店側も開き直っていつの頃か,
屋号は”狗不理”となりました
だいたい、狗子の本名すら、誰も知らなかった。
狗子は狗子だと思っていた。
誰も聞きもしなかった。
高貴友(カオクイヨウ)。
その狗子の名が人々に知られ始めたのは、狗不理包子が3代目になってからだったということです。
現代は、中国国内にその名は知れ渡り、国外にだって進出している大企業。
狗不理包子飲食集団公司。
そのニュアンスは、「犬だからわからない」。
【メモ】犬だからわからない
わりと、日本でも知られた話です。
ただ“狗不理”の名前の由来には諸説ありました。
曰く、例えば、
「高貴友は凄い聞かん坊の頑固者だった
だから幼少の頃から『狗不理』とよばれた
手に余った親が包子屋に奉公にだした
頑固者の性格を生かして良い包子を作った
狗不理とは,犬みたいな頑固者という意味だ」
ま、どっちがホントかどっちもウソかわかりませんが。
そんな狗不理も評判を落とした時期があって、即ち国営企業でやってた時期。
それが改革開放で民営に戻ったら評判も戻ってきた、というのも面白いエピソードだと思います。
天津の租界 |
国際都市 ─ 天津。
天津には租界がありました。
イギリスとフランス、例によって不平等条約でムリムリ開港させられたのですが。
そんなこんなで外国船がポコポコ来るわ、西洋人がうろつくわ。
大日本帝国軍が敗退してからは、避難がてら外国に出稼ぎに出てた人が帰って来る、政府が帰ってくる。
日清戦争でやられて以来の戦勝ですから意気盛ん、食文化の方はたいそうなことになったということです。
今でも大陸行きの船便を考えるなら、上海行きと天津行き。
香港方面を別にすれば、概ねその2つです。
あの爆発跡はどうなったんでしょうね?
最後に見かけた情報では、穴を埋めて公園にしようとしたけど、穴がなかなか埋まらないとか。
くれぐれも爆発には気をつけて、おいしい包子を供給して頂きたいものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿