2017-06-29

3食点心付き(上海)

 1日3食派?、それとも2食派?、牛さんありがとう  

 3食点心付き 

 (上海の伝説)  


上海黄浦江

3食昼寝付き、あこがれます。

ご飯を食べるのは、好きですか?

その昔、食事という概念が発生したのは、黄帝の時代のことでした。

それ以前はほとんど石器時代の狩猟生活で、食事というより食餌(しょくじ)、それとも捕食というべきだったでしょうか。


 黄帝始蒸穀為飯,煮谷穀為粥。 


黄帝が組織的な農業を興し、お釜を作り、食事ということを始めました。

食事を摂るためには、火の神や水の神の手助けも必要です。


牛肉は好きですか?

食肉否定派の方もおられますが、人間は雑食動物です。

牛さんや馬さんのように、草だけ食べて、あれだけのガタイを保つことはなかなか出来ません。


それを美味しいからといって、食肉用は肉牛で、ホルスタインは乳牛だなんて、

人間ったら、牛さんに対して失礼極まりありません。

やはりここは、牛さんに感謝しなければならないのです。



王母娘娘(ワンムーニャンニャン)は、いつも人間界のことを観ておられます。

ヒトは女媧(じょか)が、黄土(こうど)を捏ねて造りました。

だから肌の黄色いあの者どもは、いつも泥に塗れています。

(女媧:伏羲(ふぎ)の妻で、黄土高原の泥からヒトを造った女性神)


山を掘って食料を探し、大自然のものから生活用具を作り、泥に塗れて耕作し、もう汚いこと汚いこと。

人間どもが汚いのは、ご飯を食べなければならないからです。

そこで王母娘娘は、牛大仙にお申し付けになりました。


「以後、人間どもの食事は3日に1食とします」


「え、3日で1食なんですか?」


「そうすれば人間どもも

 あのように泥まみれにならなくて済みます」


食事の回数を減らしたら、あのようにいつも泥にまみれる必要は無いだろう。

ということですが、何を言い出すやら。


「でも3日で1食じゃ、お腹が空いてしまいます」


「お腹が空いたら点心を食べたらよろしい

 点心を食べたら、すぐにまた働くのです

 いいですか、申し付けましたよ

 お前は今から、人間どもに伝えてきなさい」


大切な王母娘娘の御宣旨(ごせんじ)です。

牛大仙は忘れないように、頭の中で繰りながら、下界へと向かいました。


 3日に1食、お腹がすいたらすぐ点心

 3日に1食、お腹がすいたらすぐ点心


崑崙山から下界までは遠い。


 3日に1食、お腹がすいたらすぐ点心


王母さまの大切な御宣旨を忘れてはなりません。


 3日に1食、お腹がすいたらすぐ点心


なんかもう既に、少し間違ってるような気もしますが。

ところが泰山まで差しかかったとき、牛大仙は突然、ひっくりこけてしまいました。

忘れないようにと気をとられて、牛大仙は泰山に蹴つまづいてしまったのです。

眼から火花が飛び散って、大切な御宣旨もいっしょに頭から吹き飛んでしまいました。


「大変だ、王母さまのお申し付けは何だっけ?」


起き上がった牛大仙は、痛むからだもそのままに、

自分で自分の頭を、ポコポコ叩きはじめました。


「何だっけ、何だっけ、ご飯の話しだ

 えーと、えーと、1日に・・ご飯が・・」


ポコポコポコ。


「えーと、点心が、点心が・・・」


ポコポコポコ、ついに思い出しました。

そうそう、ご飯は1日3食で、お腹が空いたら点心も食べるのでした。

ようやく人間界にたどり着いた牛大仙は、人々に命じました。


 西王母さまの御宣旨である

 以後、食事は1日に3食とする

 お腹がすいたら、点心を食べなさい


おおー、どよめく人間たち。

1日に3回もご飯を食べていいなんて、しかも点心も食べていいなんて。



近頃どうも、下界の様子が変です。

王母娘娘が下界を覗いてみると、なんか人間どもがどいつもこいつも丸々と太っています。

いったい、どうしたことでしょうか?

ご飯は3日で1食にしたはずなのに。

王母娘娘は、牛大仙をよんでお尋ねになりました。


「わたしが申し渡したことは、

 ちゃんと人間たちに伝えましたか?」


「もちろんです、王母さま

 人間たちはちゃんと王母さまの言いつけどおり、

 ご飯は1日3食で、お腹がすいたら点心も食べています」


「なんですって、このバカチンっ!」


「あれ、違いましたっけ?」


「ご飯は、3日に、1食でしょう

 それを1日3食だなんて、点心も食べるだなんて、」


そんなことしたら、

下界の収穫物は全部、人間たちが食べてしまうではありませんか。

そうしたら、天界へのあがりが少なくなって、


わたしたちが、餓えてしまうんですよ


おいこら、そういう腹積もりだったんかい。

西王母は天界への供物を増やそうとして、3日で1食にするつもりだったのでした。


「それは酷いですよ、王母さま」


「酷くないでしょう、あなたが1日3食にしてしまったんですから

 以後、あなたは、下界におりて、

 農民たちが作物を育てる手助けをしなさい

 もう再び天界に戻ることは、許しません」


 ひえええ 


こうして牛さんは下界に降りてきて、人間たちの仲間となりました。

田畑を鋤(す)いたり、重たい荷車を引っ張ったり、

少し愚図つくと、人間に叩かれたりもします。

あげくにお肉を食べられ、牛乳を飲まれ、皮も剥がれて使われちゃったり、

でも牛さんは文句も言わず、ずっと人間たちを手助けしてきてくれました。


昭和40年代の頃までは、まだ結構、田畑に牛さんが出ていたものです。

そんな牛さんを見かけたら、草の葉っぱを取ってきて、恐る恐る牛さんに食べさせたりしたものです。

そんな光景も、日本ではすっかり見なくなりました。


もしかしたら牛さんは、王母娘娘に許されて天界に戻ったのかもしれません。

地元の氏神様の神社の境内には、今でも牛の塑像があったりします。

もし体に調子の悪い部分があったら、この牛像の同じ箇所を擦(さす)ってあげたら、ご利益があるかもしれません。


牛さんというのは、今でも農業神。

龍や蛇や河童とおなじ、水の神さまなのです。


これは上海の民話です。

なんかどこかの国の「余暇を増やしたら消費が伸びるから増税」、よくわからない政策?を思い出しました。

同工の伝説は各地にあるようです。


以下は、河北省の承徳市の伝説(由来となる遺物がある)です。

承徳市は清代の離宮がある皇帝の避暑地でした。

他にも、牛大仙が太上老君の青牛だったりするお話しもあります。


玉皇大帝は下界を視察して、溜息をつきました。

近頃の地上は、山を川が流れ緑の木々が広がり、花が咲き乱れて随分と趣きがよくなったのに気が付いたのです。

もともとはただの海洋に地殻が隆起してできただけの、地獄のような風光だったのに。

これならちょくちょく遊びに行きたいな、ということで、玉皇大帝は天橋を架けることにしました。

さっそく天兵天将を総動員して、山から石を切り出し、天橋の建設工事にかかります。


天橋が落成すると、さっそく玉皇大帝は渡り初めです。

これでいつでも風光明媚な下界に遊びに行けるな、と思ったのですが地上で嫌なものを見てしまいました。

それは、人間たちです。


泥まみれで耕作する人間たちの様子ときたら、見苦しいことこの上ない。

そこで玉皇大帝は、人間どもをもう少し綺麗にする事にしました。

金牛星をよびだして、人間たちに伝えるように命じます。


「金牛さん、ちょっと人間界へ行って伝えてきてください」


 1つ、毎日3度、顔を洗いなさい。

 1つ、毎日ご飯を1回、食べなさい。


実は天橋が開通してからというもの、金牛星も下界に行ってみたくてしようがありませんでした。

金牛星が大喜びで天橋を降ってくると、木々の梢に鳥の啼き声が響き、香る花を蜜蜂が巡り蝶が舞い、

これは素敵だ、わざわざ玉皇大帝も天橋を架けるわけだ。

金牛星は、うっとりとしてしまいました。


なるほど、田畑を耕し種を蒔き水を引き、野良仕事をしている人々は、女も男も子供もみな泥にまみれています。

あー老牛さんだー、まず子供が金牛星を見つけて駆け寄り、ついで人々も寄り集まってきました。


「人間の世界は綺麗ですね

 天界から来てみると、爽やかになります

 玉皇大帝も大変にお気に召しています」


「はい老牛、いつも手入れをしていますから

 山も里も人が手を入れていきませんと、すぐに荒れ果ててしまいます」


そう、人が手入れをしているからこそ、野山も里も小川も、玉皇大帝が惚れるほどに綺麗だったのでした。

玉皇大帝の御宣旨(ごせんじ)を、金牛星がうっとりしながら人々に伝えます。


「玉皇大帝からの御下命があります

 毎日1回、顔を洗ってください

 それから毎日、3回ご飯を食べてください」



玉皇大帝は金牛星が伝え間違えたことを知り、叱り飛ばしました。

お前は、こんな簡単なことも出来ぬとは、もう天宮には置いておけない。


お前はもう、下界に降って人間たちと暮らしていろ


聞いた金牛星は大喜び、内心、人間たちといっしょに働きながら下界で暮らしたいものだ、と思っていたのです。

しかし、下界の暮らしも好いことばかりではありません。

金牛星は、自分がロバや馬たちより動きが遅いことに気付きました。

さっそく天界に戻って、玉皇大帝に直談判。


「玉帝さま、もう少しわたしを速く走れるようにしてください」


「あー、もう少し速く?

 わかった、わかった」


言うばかりで、玉皇大帝は何もしてくれません。

下界では大変なことも多いのに。

雨が降らず渇水となり、日照りが続いたので、金牛星はまたまた天界へ直訴にきました。


「玉帝さま、もう少し雨を降らせるようにしてください

 もう何ヶ月も日照り続きで、下界は大変です

 少しは下界のことも考えてください」


玉皇大帝、怒り爆発。

一計を案じ、金牛星に邪まな笑顔で持ちかけました。


「そういえば、老牛や

 速く走れるようにと言っていたな

 よし、今から速く走れるようにしてやろう」


そう言って、金牛星の蹄(ひづめ)を2つに割ってしまったのです。

それ以来、牛さんは偶蹄目となりました。


「ありがとうございます、玉帝さま」


喜んで下界に降りた金牛星ですが、前よりもっと遅くなったのに気付きました。

なんだよ、これは、


 もお  


人々は金牛星が玉皇大帝の御宣旨を伝え間違えたことに感謝しています。

しかし、1日の食料を得る、それだけでも大変です。

そのために頑張ってくれた金牛星に対する玉皇大帝の仕打ち、人々は同情し慰めるのですが、金牛星の怒りは納まらない。


翌年の春、またもや雨が降りません。

金牛星や人々の雨乞いも、玉皇大帝は聞こうとしない。

金牛星は、尻尾を一振り、


 もおぉぉ  

 


猛然と天橋を駆け上がり、天界へと突進していきました。

玉皇大帝も自分に非があることはわかっている。

猿だの牛だのに、こう何度も天界を撹乱されてはたまりません。

第一、怒った牛さんは非常に怖い。


金牛星が天橋半ばに達したのを見定めると、玉皇大帝は天橋に足をかけ、


 どん、どん、どん   


思い切り、踏み降しました。

すると橋は割れ、金牛星は天橋が割れた石の折れ端とともに、地上へと堕ちていきました。


承徳市の天橋山には、今も石と化した金牛星が石の橋の下に落ちていて、風動石とか石牛とよばれています。

石の橋はゆらゆらと揺れ、もし反対側を揺らしてみれば、


 もぉぉもぉぉ   


今も金牛星の玉皇大帝を詰る声が聞こえるそうです。




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