2017-06-24

蛮頭祭祀 (饅頭)


  やるか字の孔明を、諸葛亮の奇門遁甲が因習を断つ  

  蛮頭祭祀  

  (饅頭)  


金沙江

 集団で信じれば、時には鬼を見る者もあるのか。

 鬼(クイ)とは、死霊のことだ。

 ばかばかしい、鳴くのか死霊が、死霊が泣いて何を困る。


 鬼哭愁愁、やはり自分にはそんな風には見えない。

 河の上流で天候が悪化、だから河が荒れている。

 それだけだ。

 それで軍隊が渡河(とか)を出来ないでいるのだが。

 ならば、書でも読みながらただ待てばよいのだ。

 若い頃の、晴耕雨読の日々が懐かしい。


 作戦中ならいざ知らず、だが既に戦闘は終結している。

 無理な渡河をする必要はない。

 いい骨休めではないか。


 死の床の劉備に託されて宰相となり、南方制圧を果たした。

 その帰途、濾水で増水した河を渡れずに足止めを喰らっているのだが。


 濾水(ろすい)の河辺に立ち、諸葛亮は考える。



 雍(ようがい)を破った時点で南方制圧は果たしたと思った。

 ところが撤兵しようとしたその時に、敗残兵を統率して攻撃を仕掛けてくる者があった。

 それが、孟獲(もうかく)だった。


 南方のことを「不毛之地」などというがとんでもない。

 これで資源の豊かな土地なのだ、孟獲のように勇敢な者も多い。



 BC225年、春の諸葛亮の南征。

 蜀の諸葛亮は魏への侵攻にあたり、後方を固めるため南方の制圧をやりました。

 それが“濾水”という地方で、現在の雲南省西方やや北あたりになります。


 蜀軍と相対する、孟獲軍。

 交戦しようとはせず後退する蜀軍を深追いした孟獲は、蜀の伏兵にあっさりと捕獲されます。

 諸葛亮は孟獲に帰順を勧めるのですが、孟獲はこれを拒絶。

 諸葛亮も強要はせず、営内を案内しながら、孟獲に布陣を見せて訊ねました。


 「蜀軍の軍営はこんなものです

  どんなもんでしょうか?」


 「老弱残兵ばかりではないか

  お前等の虚実というものが分からなかったからな

  今回は勝ちを譲ってやる

  もう一度やれば、簡単に勝てるものを」


 そう言う孟獲に、諸葛亮は、「そうですか」

 諸葛亮は、あっさりと孟獲を釈放しました。


 強い兵は趙雲の下に置いて来ていますから、本当に平均年齢の高い弱小兵団です。

 諸葛亮はすぐさま陣営の周囲に伏兵を配置。

 その夜のうちに手勢を率いてやってきた孟獲を再びあっさりと捕獲、そしてまたまた釈放。


 濾水の河をはさんで対峙する両軍、季節は既に、暑い夏になっていた。

 じりじりと消耗していく将兵たち。


 諸葛亮は筏(いかだ)を作って、少しづつ兵を送り込んできます。

 孟獲たちが矢を射込んだら、すぐに引き返していくのですが、

 しかし、今度の孟獲は迂闊に攻めてはいきません。


 蜀軍の様子をじっくりと観察していると、

 別ルートでこっそり河を渡ってきた蜀の本隊に、いつの間にか包囲されて、

 孟獲あっさり捕獲。


 諸葛亮は孟獲といっしょにご飯を食べて、またまた釈放します。

 さすがにブーたれる将兵たちに、諸葛亮。


 「孟獲を本当の意味で確保したいのですよ

  南方との連携をしっかり取れれば

  それは蜀にとって十万の大軍を得るに値します

  苦労をかけますね、これが終ったらもう

  こんな所で無駄な戦をする必要も無くなるのです」


 孟獲もさすがに、蜀軍に抵抗する気力が失せてきました。

 しかし変に長引いた布陣に、糧食が尽きてきました。


 そこで孟獲は、なんと諸葛亮に糧食の借り入れを申し出ました。

 諸葛亮はそれを了承し、


 「但し、ウチの大将と1対1の勝負をしてください」


 国を賭けてのタイマン勝負。

 孟獲はひとりでやって来た。

 1対1どころか、数名の蜀将たちと次々に対戦。

 そして、全て負けた。


 営内に積み上げられた大量の食糧。

 それを目前にして、手ぶらでは引き下がれない。

 ズダボロになっていく、孟獲。

 蜀将は諸葛亮の命令どおり、孟獲と食糧を送り返しました。


 ある決心を秘めた孟獲は、各部族の首領たちを呼び集めました。

 そして、総力戦を蜀軍に仕掛けます。


 思わぬ場所から現れ出でる蜀軍の将兵に、軍勢を散らされてしまい、

 孟獲と首領たちは一網打尽。

 あっさりと捕獲されてうろたえる首領たちに、孟獲は涙声で、


 「俺はこうやってさ

  7回も捕まっては、放されてきたんだよ

  んなバカな話がこれまで有ったか?

  丞相はオレたちに仁義を尽してくれたよ

  オレはもう帰らんがね」


 降参だなんてそんな、と諸葛亮。


 「私たちにはこれから魏との対戦が控えています

  あなた方には、兵馬と糧食の供給をお願いしたいのですよ

  どうか助力をしてください」


 季節は秋になっていた。



 天候が不順になる季節。

 増水した濾水の河辺に立ち、考える諸葛亮。


 劉備は、もう死んだ。

 関羽も張飛も死んだ。

 北伐が済んだらもう、晴読雨読といこうか。

 軍師などつまらない。


 孟獲(もうかく)の進言 ─


 「此度の交戦で死亡した将兵の仕業です

  故郷に戻れなくなった霊魂が河を荒れさせているのです

  濾水では河の鬼神の祭祀を執り行ないます

  49個の人頭、黒牛と白羊

  それを捧げれば河は静まり、また豊収も得られます」


 中華の古い考えでは、客死したら成仏できません。

 だから、遺骸は断固として故郷へ持ち帰ります。

 死者の魂は、祖霊と共に家族や子孫の側に在らねばなりません。


 ─ 49個の人頭、生贄ですか?


 「はい丞相、準備は既に整っております」


 ─ そうですか、では明日にでも祭祀を執り行なってください


 この地の豪族の首領、孟獲。

 だがしかし、だから南蛮なのだ。


 「 孔明の奇門遁甲を以ってしても押さえきれぬ亡霊 」


 そんなことに、なっているらしい。

 悪霊退治などしたことはないし、まして天気を操ったこともない。


 人間に気象が操れようはずは無い、観天望気による正確な気象の予想。

 自分は、それに応じて策を練ってきただけだ。

 自分の観測では、2日後には天候は回復して波浪もおさまるはずだ。

 地元の川漁師の爺さんにも尋ねてみたが、同じ見立てだった。


 川漁師の爺さんは言った。


 「この河の水かさは急激に増える

  山に降る雨でな

  ワシらは、子供も若者も皆働く

  危ないのじゃ、子供がな

  だから亡霊の話を語って聞かせるが

  それを人頭で鎮めようなどとは・・・」


 鬼神の仕業と信じているのは、支配層だけということか。

 ここでもし、自分が祭祀を執行すれば、


 「 孔明の祭祀で悪霊が鎮まった 」


 そういうことになり、悪習はより強固にはびこるだろう。

 祭祀を執行しなければ、やはり同じだ。

 それでも、悪習は続いていくだろう。



 諸葛亮は手にした毛扇に眼を落とした。

 毛扇に書き記された、2文字。


  「 明 」と 「 亮 」 


 黄月英から贈られたこの毛扇を手放したことは片時もない。

 彼女は、師匠からこれを賜った。

 その時には既に、この自分の名の2文字が記されていたという。

 その後に、彼女は自分と出会った。


 それは縁なのだ。


 この毛扇の上で、いつも策を練ってきた。

 悪習を断ち切るチャンスではある。


 やるか、字(あざな)の「 孔 明 」を 、



 翌日、諸葛亮が出向いてみると儀式の準備は既に万端整っていた。

 49人の生贄も揃っている。

 ここで、今から、首を刎ねるつもりらしい。

 その背後で泣いている者達は家族だろうか。


 諸葛亮はまず、その49人を解き放った。

 きょとんとしている生贄たちを、最前列でそのまま儀式に参列させた。

 替わりに運び込んだ、人頭に見立てた饅頭が49個。

 中の餡は、孟獲の進言どおり、牛肉と羊肉だった。


 ざわめき始める蛮族ども。


 死鬼の仕業だ、などとほざく連中は全て参会させている。

 頻りにざわめく連中を余所に、諸葛亮は自分で儀式を敢行した。


 翌日の濾水、河の波浪は静まった。

 死鬼も鎮まり、アニミズムな風習も断たれた。




  包子が先か、饅頭が先か  

  【メモ】蛮頭祭祀(饅頭)  

  (饅頭)  


 諸葛亮がこの時に用いた人頭の代用品を、蛮頭(マントウ)といいます。

 後に転訛して、饅頭(マントウ)となり神仏への供物とされた。

 よく知られた有名なお話しです。


 「饅頭を創ったのは孔明であった」としてよく語られますが、正しくは饅頭の起源ではなく、“饅頭”という名称の起源です


 ツッコミを受けるまでもなく、諸葛亮が饅頭を創ったわけはありません。

 饅頭を創作するためには、それは大変な技術を必要とします。


 まず、製粉して小麦粉を作れなければなりません。

 次に、発酵ができなければなりません。

 如何な臥龍の諸葛亮といえども、一朝一夕には作れません。



 歴史的にはどうも、先に餡入りの包子(パオツ)発明されて、後に餡のない饅頭(マントウ)が考案されたようです。

 なので、餡入りだろうが餡なしだろうが、つい“饅頭”といってしまいますが、それは中華でも同じです。

 特に区別する場合は、餡のないものを「 白饅頭 」といっています。


 包子(パオツ)と饅頭(マントウ)のちがいは、餡の有無よりも作り方にあると思います。

 白饅頭は、発酵した生地を層状に巻くように作ります。

 食べるときは、表面から剥がすように毟りながら食べるわけです。

 これが包子にはありません。


 稲が北方では育ちませんから、概ね黄河流域から北の地域では、小麦が主食となりました。

 例えば、北京ではラーメンも餃子もワンタンも饅頭も、全部、主食です。


 製粉技術が普及してから、北方で急激に発達した「 麺食文化 」。

 「 麺 」は、小麦粉を意味します。

 また、「 餅(ピン) 」も元来は、小麦粉料理を指しました。

 ラーメン等の日本で謂うところの“麺料理”を指す、湯餅(タンピン)という語は、現代でも使います。



 “濾水”は河の名称として語られますが、これは地名と見るべきだと思います。

 河の名称も濾水ではあったのでしょうが、現代では河川の名称としては残っていないようです。

 素直に解釈すれば、現在の金沙江かなと思ってしまうのですが、果たしてどの河が舞台であったのか特定しきれませんでした。


 孟獲が諸葛亮に7回捕まって7回放され、そして孟獲は諸葛亮に心服した。

 これは、「 七擒孟獲 」とか「 七擒七従 」という故事です。

 擒の字は、 “とりこ”とよみます。



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