月明りに霞む長江三峡、木の魚は疲れたように、
神農記(6)木の魚
(神農伝説)
神農架木魚鎮 |
【前のお話し】神農記(5)神農架・冷杉と杜鵑
父親は男の子が3才の頃に亡くなりました。
そして母親はショックで失明、貧乏で食うや食わず。
怪しからんことですが、母子家庭にはありがちです。
母親は必死で子を育て、男の子は長じて指物師(さしものし)になりました。
母親を支えたい一心から懸命に修行したのでしょうか。
男の子は12才でもう、テーブルでもイスでもタンスでも、なんでも上手に作るようになりました。
親孝行で器用な小さな指物師、男の子の名は望成木(ワンチョンムー)といいました。
望成木が16才になったある日のこと。
たまたま通りかかった白髭の老人が望成木の様子をみて、墨ツボと曲尺をプレゼントしました。
老人は多くを語らずただ励ましてくれただけですが、望成木は別の何かを授けられたような気がします。
そして、その日を境に技量が神速でアップ。
頼まれたものは何でも作れて、精巧この上ない。
人々は「魯班の奥義を会得した」と噂し、望成木を小木匠と呼ぶのでした。
魯班(ろはん)とは、大工さんの神さまです。
18才の頃には造船や楼閣の建築まで手がけるようになり、長江三狭あたりでは名の通った大工さんになったのでした。
評判を聞きつけた熊さんというオヤジが望成木に造船と楼閣建築をセットで依頼。
2年がかりのプロジェクトに望成木は出かけていきます。
若くてカッコいい棟梁(とうりょう)に、オヤジのお嬢さんが惚れてしまいました。
望成木だってお嬢さんのことが気になってしょうがない。
こうなると例によって止まりません。
ふたりは情投意合、終生を誓い合うのでした。
情投意合って・・・、つまりできちゃったのね。
熊さんは真っ赤になって激怒、木地師なんぞに嫁にやれるかといいます。
ふたりは駆落ちをしようとするのですが、なかなかチャンスがありません。
望成木はただ、淡々とプロジェクトを進めるだけの毎日でした。
長江三峡 |
壮麗な長江のほとり、望成木はひとり川面を眺めます。
ぼんやり見ていると、鯉が一匹跳ねました。
虚を突かれた望成木、ひらめきました、大木で鯉を彫り上げます。
水辺に浮かべると、なんと木の鯉は長江を泳ぎ始めました。
8月の満月、夜影に乗じてお嬢さんがやってきました。
望成木が手をとり、ふたりで鯉の背に乗って川に滑り出て、
そうして川を下って、長江まで出てきました。
月明かりに朦朧とした長江三峡。
木の鯉は長江を辿っていって、香渓河に差し掛かると回頭、香渓河を遡っていきます。
ずいぶんと遡り、そしてたどり着いた神農架山麓の小さな村。
神農渓 |
木の鯉は疲れたように、それ以上進もうとはしませんでした。
陸に上がって一休み、見ると古木参天。
天意、ここを安住の地とせよか、住居を定めて按配をすませました。
香渓河 |
今度は新月の漆黒の夜、望成木は木の鯉に乗って故郷に向かいます。
目の見えぬ母親を連れ帰り、戻って来たところでちょうど夜が明けました。
陽の光を浴びた鯉は木に還り、そしてもう再び泳ぎだすことはありませんでした。
その後、望成木たちは荒地を開墾して木魚村と名づけ、その物語は代々語り継がれてきました。
神農架木魚鎮は現代、保養系の観光地になっているようです。
【次のお話し】神農記(7)炎帝斬龍剣
望成木に墨ツボを授けた白髭の老人が神農だったということでしょうか。
神農より魯班のほうが嵌り役だと思うのですが、神農の伝説とされていました。
このお話しを書いたのは娘がまだ5歳ぐらいだったでしょうか。
ヒマヒマの娘がやってきて、せがみました。
で、話を聞いて,曰く、
「オヤジの熊さんはどうしたの?」
どうしたんでしょう?
「子供が生まれたら熊さんは嬉しくなって許してくれた」
そういうことに、しておきました。
Googleの地図を見せて、「ほら木魚鎮と熊さんの家は、山を隔ててスグなのだ」。
熊さんの家は『茅坪』で、望成木の実家は『木坪』。
話と地図上の位置がどうも合わなかったので、そのへんは割愛しています。
ああ、本文中で「熊さん」と書きましたが、原文でもちゃんと熊さんでした。
熊さんの職業は員外でしたから、結構な身分です。
香渓河は神農架の麓の河ですが、調べようと思って漁ったら、
なんか今は、三峡ダムの影響で泥川に・・・やめてよ。
その、このお話しを書いた7,8年前は、神農架なんて人が入れるような場所じゃなかったんですが。
神農架木魚鎮なんて「どこの田舎だよ」だったんですが。
あらためてググってみたら、神農架一帯がえらく観光地化していてぶっ飛びました。
次のお話しの大九湖なんて、結構な湿原なもんだから今時の中華流ネイチャーブームでもう・・・。
大丈夫かよ、おい。
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