道教の始祖、太上老君と炎帝神農の伝説
神農記(4)老君煉鉄
(神農伝説)
【前のお話し】神農記(3)五穀と薬草
【次のお話し】神農記(5)神農架・冷杉と杜鵑
神農頂 |
すっかり、煮詰まってしまった。
考えるのはやめて、大地に寝っ転がる。
どんよりと曇った天から、雨が落ちてきた。
濡れネズミになっても、何も感じない。
どうにもこうにも、穀物がうまく育たない。
自生している植物は自力で生育するというのに。
それを食べた鳥の糞から発芽することだってあるのに。
自然というのは、強いものだ。
といって、すべての種子が発芽して生育する訳でもない。
やはり天の領分、人が雑穀を作るなど無理なのだろうか。
農具を創った神農 |
いや、雑穀のための結界を張ればさえ、
土中に適度な水と空気を確保すればさえ、
人は食用植物を育てられるはずだ。
硬い地面、やはりそのままでは駄目なのだ。
しかし、掘り返すにせよ、
収量を得るためには凄く広範囲を掘り起こさねばならない。
どうやって掘る?
ぜんぶ棒切れで突つくのか?
そんなの、らちがあかないじゃないか、大声で吼えたら涙と鼻水がでてきた。
クソーッ、くそーっ、くそったれー
こぶしで地面を叩く、2度、3度、4度、
ぼすっ
地面に指がめり込んだ。
指を引き抜いたあとの、土塊、
これは、もう一発、
ぼすっ
先の細いものなら簡単に地盤に食い込む、当たり前じゃないか。
堅い木を選んで、三角に削った。
長めの棒にしっかりと取り付け、柄に藤蔓を巻きつけた。
掘れる、どんどん掘れる、しかも、
均一な深さで、真っ直ぐに。
[岐山之陽創耕桑から]
これは神農が農業を興し、農具を発明したとする伝説です。
この時、神農は鋤(すき)を木で作りましたが、もちろん後に鉄製となります。
青銅製の農具って有ったんでしょうか?
普段は農業をやっていて、有事には武士をやったような時代ですから、青銅の農具は有ったかもしれません。
あるいは、農具は木製からいきなり鉄製になったような気もします。
農具を鉄で作ったのは太上老君であったとする伝説があります。
この時、太上老君に製鉄法を伝授したのが神農でした。
薬草採取をしていて、仙丹を作ろうと思いついた。
農民たちにも薬草を分け与えていて、これで結構感謝されている。
いつも山野を駆け巡っている、仙丹作りの材料は揃えられそうだ。
太上老君 |
作り方を教えてもらいに、神農架の木城を訪ねた。
「仙丹・・・なんか作るの?
そんなもの作ってどうするの?」
と、神農は言った。
「何年もかかって仙丹1個作って仙人になって
それで、何ができるというの?」
仙丹のかわりに鉄をやれ、と神農は言う。
農民たちがお前に分け与えている作物
それは、どうやって作っている?
高性能な農具が有れば、収穫もまた多くなる
農具を考えるのも、作るのもまた大変だ
神農が農具を発明した際のエピソード、それは伝え聞いている。
老君山 |
鉄で農具を作れというのか。
神農は続けて、
ましてや鉄を扱うには、凄い高温が必要だ
誰にも出来ることではない
「炎帝の名において、お前に高温発生法を伝授しよう」
鉄を扱えるようになった。
かつて神農が木で作った農具、それを鉄で作ってみる。
農民たちに分け与えたら、ものすごく感謝された。
彼らはそんなに真剣だったのか。
耕作というものを舐めていた自分を、却って恥ずかしく感じた。
わたしが薬草採取や鉄を作った山は、『老君山』と名づけられた。
どうやら仙人を通り越して神仏の類になってしまったらしい。
これからは煉鉄を広めていくとしよう。
願わくば、武器には転用して欲しくないものだ。
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道教の始祖の老子を神格化したものが太上老君ですが、他にもいろいろな神さまが摺合しています。
引退後は老君山にこもり、金丹作りに精を出しました。
この老君山は、これまたあちこちに有りますが、総本山は神農架にほど近い洛陽老君山とみてよろしいかと思います。
八卦炉で金丹を作っていたからだと思いますが、太上老君は道教の他にも鉄絡みで色んなものの始祖を担当しました。
例えば、鉄鉱業、炭焼き、木地師、研ぎ師、蹄鉄作り。
因みに鉄剣の創始者は、いずれまた書きたいのですが、(中華伝説では)欧冶子です。
漢字の発明者は(伝説中では)黄帝の時代の倉頡(そうけつ)です。
倉頡は石や指で地面に書きながら、漢字を考案していました。
するとそれを見かねて、太上老君が降りてきた。
太上老君は膝を金床に、腕を槌にして鉄を打ち、大小ふた振りの刃物を作って倉頡に与えた。
倉頡は大きい刃物は料理用に、小さい刃物を筆記用具にして漢字を考案した。
そのような伝説もありました。
でも、神農が神農本草を書いた時は、漢字も筆記用具も無かったことになりますね。
じゃあ、神農本草は何にどうやって書いたんでしょうね?
度重なる戦禍で、神農が書いた神農本草は失伝したとされます。
神農本草経が実際に成立したのは漢代で、現代に伝わる李時珍の本草綱目へと改訂されながら続いてきました。
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