神農嘗百草、炎帝神農は世に降った
神農記(2)降生(ごうせい)
(神農伝説)
【前のお話し】神農記(1)神農嘗百草
【次のお話し】神農記(3)五穀と薬草
神農氏と動物が関わる話しが、なんか多い |
寄り集いさえずる小鳥の群れ、徘徊する山の獣たち。
猛禽類も肉食獣もやって来る。
なのに、ここに集まってくる動物たちは争わない。
人々はいつも奇異に思っていました。
人々にしても獣を狩って生活しているのに、ここに集まる動物は獲ってはいけない。
何故かそんな気がするこの場所は、神域ではあるのでしょう。
動物たちが集うようになったのは昨年のこと、神龍が降りて以来です。
ここ常羊山の麓の洞窟のあたりから、神龍が飛び去っていくのを人々は見たのでした。
ほどなく「遊興に来ていた少典国のお妃さまが龍にさらわれた」、そんな風聞が伝わってきたものです。
ある朝、集まった鳥たちが整然と編隊を組み、鷹に率いられて北へと飛び去っていきました。
獣たちも鹿に率いられて、隊列を組んで整然と北へと走り去っていきました。
鳴き声もあげず、厳粛な面持ちで走り去る獣たち。
いったい何が始まるというのか、怪訝に思った人々が集まってきます。
お昼前になると、動物たちが帰ってきました。
歌い舞い踊る小鳥たち、嬉しそうに飛び跳ねる獣たち。
その中にひとりの女性。
五色の祥雲を戴き、金色の光を放ちながら、
憔悴した面立ちで、しきりに人々に手招きをしています。
それは神龍に攫われたはずの少典国のお妃さま、安登夫人でした。
万歳、万歳、万万歳
何処からか響き渡る歓声、山の空気が吉祥の気に満ちてくる。
龍にさらわれたお后さまが、再びこの地に戻ってきた。
この天地に満ちる吉祥の気は、まさか?
まさしく正午、神効がいちばん強くなった刻限に、洞窟から響き渡る嬰児の産声。
洞窟の中で母親に抱かれたその子は、うなじに玉串の首飾りと、胸には輝く金牌を戴いていました。
幅広の体に、大きな唇。
肩に乗った牛頭、頭には小さな2本の角(つの)がある。
天子の相をもった、龍の子の誕生。
沸き返る洞窟、先を争って霊芝を献上する鳥たち、獣たちもそれぞれに木の実や果物を牙に銜えて駆け込んできます。
龍の子と母親に拝謁して、人々は狂喜乱舞し祝賀の宴が突如として始まりました。
龍の子を囲み、母親と人々が乾杯をしているとその時、地響きとともに9個の泉が湧き出てきました。
山までもが龍の子を祝福する、泉は互いに通じていて、龍の子と人々とが通じ合うことを示す。
宴は夜更けまで続くのでした。
三皇廟(台湾)右が鹿で左が鷹 |
やはり尋常ではありません。
母と子は、2日目には洞窟の外に出て来ました。
龍の子は3日目には言葉を発し、5日目にはもう歩き始め、7日目になると歯が生えてきました。
何事も深く考える性格。
母親や大人たちが糧食の採取にでると傍でそれ観察し、真似をはじめる。
そんな時にはいつも鷹が飛来して、その翼を広げて風雨から龍の子を守りました。
龍の子が腹を空かせると、鹿がやってきて乳を飲ませ世話を焼きます。
そんな龍の子、後の炎帝神農の没した後も、三皇廟の神農像の傍では鷹と鹿が寄り添っています。
【メモ】
『常羊山下帝降生』というお話しです。
神としての炎帝神農はセットですが、実のところ炎帝と神農の関係はよく分かりません。
ホントに居たとしても、同一人物だったのか別人だったのか、結着はついていません。
このお話しは、炎帝の誕生譚として伝わるものです。
神農は長じて一族の首領となり、薬草採取の旅に出ます。
神農が薬草採取をしたとする地はあちこちに有りますが、その2大聖地は『神農山』と『神農架』でしょうか。
どっちが本物?
大雑把な中華の民はそんなコトは気にしない、神農山で始めて神農架で死んだ、ことになっています。
死に様としてよくあるのが、毒草を誤飲して解毒しきれずに中毒死とか、鶴に乗って昇天とか。
どういうことかわかりませんが、神農のお墓の炎帝陵は3箇所もあります。
神農が生まれた神農洞にしても、元祖と本家の2ヶ所があります。
伝説中の神農は、死後も神仙となって神農架の『木城』に棲み、薬草採取をしながら人々を助けてくれます。
神代の昔のお話し、といえば聞こえは好いですが、ほとんど原始時代のことです。
石器時代に毛の生えたような頃ですから、イエスだか聖徳太子だかが馬小屋で生まれたのとは違い、
神農が洞窟で生まれたのは変でもなんでもないと思います。
おそらく、ツノは生えてなかったろうと思うのですが。
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