2014-10-22
麺食文化の極
ネギ油焼き & 焼き餃子
ネギ油焼きは、世間でネギピザと称するやつです。
原名が葱油餅(ツォンヨウピン)なので、そのまま、ネギ油焼きとしました。
呼称どおり、油餅の部類です。
本当は、焼餅(シャオピン)をお出ししたいのですが、これは大変なのです。
焼餅といっても、網の上では焼けません。
素焼きの大きな壷に火を熾して、生地を壷の内側に貼り付けて焼くのですから。
一壽(いっしゅう)如きには、そんなのはちょっと無理。
ゴマをふった芝麻焼餅なんて、香ばしくてほんとに堪らないのですが。
ピザの定義は知らないのでアレですが、ピザも炉で焼きますから、焼餅の方がピザに近いと思います。
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中国語簡体字は横着な漢字なので、“面”と表記しますが、もちろん“麺”。
字面でピンと来るとおり、原料は“麦”です。
広義には穀物を粉に挽いたら麺なのですが、特に小麦を指します。
なので、麺食文化とはつまり、関西でいう「粉もん」ですね。
餅(ピン)とは、元来、主原料が小麦の料理全般を指しました。
お米のお餅は、米羹(ミーカオ)とでも呼ぶべきでしょう。 羊羹(ようかん)の羹ですね。
お餅はどうも中国では珍しいらしく、正月にウチへ遊びに来た上海人が、大喜びで鏡餅を上海に持ち帰ったことがあります。
元旦にコンブ出汁の雑煮を作ったら、「これは旨い」と大うけだったのです。
昔々、中華の北方では稲が育ちませんから、小麦が主食でした。
小麦を製粉し、さらに発酵する技術が定着してから、小麦料理が発達していくことになります。
それが丁度、戦国期の三国時代。
饅頭(マントウ)やワンタン、餃子が発明されます。
月餅はさらに古くて、発祥が中華よりさらに北方の気配もありますが、古すぎて断定もできません。
諸葛亮孔明が饅頭(マントウ)を発明したというのは勿論ウソで、饅頭(マントウ)の語源に諸葛亮が関ってるというだけです。
その後、北方の騎馬民族に押されて、領土縮小。
北宋の頃には首都が邊州(べんしゅう,現在の開封)に移動。
南宋の頃には、さらに首都が南下して、現在の杭州が臨時政府の臨安府になった。
遂には皇帝が海に追い落とされて、本当に海を船で逃げ回ったのですが、時代は元代に移行していきます。
この頃に、人とともに北方の文化が南方に移動して、杭州あたりで一気に凝縮することになりました。
だから、正統な中華文明を受け継ぐのは、やはり、江南地方なのです。
北方の麺食文化も江南地方に勢いよく流れ込み、一気に発達していくことになります。
包子(パオツ)という語が登場して饅頭(マントウ)のバリュエーションが増えていったのが、南宋の頃。
そして、現代に伝わる点心の多くが形作られていきました。
饂飩(うどん)・拉麺(らーめん)・雲呑(わんたん)の湯餅(タンピン)
肉饅,あん饅,野菜饅の蒸餅(ツォンピン),餃子,焼餅(シャオピン),油餅(ヨウピン)・・・
一番お好きな麺食は、何でしょうか?
一番に美味しいのは、
やはり何と言っても、
もちろん、お好み焼きとタコヤキで決まりです。
2番目は、やはり小麦の風味が昇華した、
焼餅(シャオピン),油餅(ヨウピン)を、推しておきます。
ああ、
関西人。。。