Picking tea leaves at Longjing Village / Kenneth Moore Photography
夏の日照りに焼かれながらの商売行脚。
忙しい合間を縫っての、ささやかな息抜き。
杭州の城市でひと仕事終えたオヤジは、霊隠寺にお参りしたその足で、山沿いの道を歩き始めました。
杭州まで来たからには、西湖を見ずに帰れはしない。
今日は雷峰塔まで行ったら、蘇堤を廻り、弧山路を抜けて杭州城市まで戻ろうと思っています。
この地には何度となく訪れているのですが、仕事を終えたらお寺参りをして西湖を巡る。
欠かしたことが、ありません。
杭州の西湖に来た、そのついでで商売もしている。
なんとなく、そんな感じもあります。
適度に曲がりくねった山道の、瀟爽な竹林を抜けたら、また鬱蒼とした山林。
それが開けてきて、人家もぽつぽつ見えてきました。
このあたりの山はそれなりに深く、植生がしっかりしていて湛水量が多い。
だから良質の泉が多いのです。
少々の旱魃でも泉が枯れるということがありません。
なので、
- あそこいらの地中には、龍が潜んでいる
そんな噂を城市でも耳にしました。
実際、天から降りてきた龍が西湖を護るために山に変じた。 そんな伝説を持つ山も有ります。
- 龍泓潤の泉水は、海と繋がっている
そんな噂もあります。
龍泓潤の水面をそっと棒で混ぜる。 すると、水面にすーっと1本の線が入る。
その線は、水面をふわふわと漂いながら、じわーっと消えていく。
明らかに泉質の違う2種類の泉が同時に湧いているのです。
- その海とは、やはり東海だろうか
- 東海といえば、龍の棲家じゃないか
ならば - やはり、あの村の地中には龍が棲み、泉水を庇護しているのだ。
地中には龍が棲み、泉水を庇護している村。
それ故に、このあたりは龍井村と称されていました。
山路に入って、多少は涼やかというものの、旅慣れた流石のオヤジも汗だくです。
「いかんな、熱中症になってしまう」
梅干を1つ口に含んで、塩分補給。
そろそろ水分補給もしたいのですが、泉の湧いているお寺はまだ先です。
丁度そんな時、ふと見ると山肌に貼り付くようにして粗末な民家が建っていました。
家の庭先には、テーブルがひとつ。
テーブルには、大きな急須と数個の湯飲みが出してある。
「あ、お茶だ。お茶、置いてる
こりゃあ、ありがたい」
パタパタと庭先のテーブルに駆け寄るオヤジ。
民家の庭には2羽のニワトリにエサをあげているお婆さんが居ました。
「よう、婆さん。このお茶、ちょっと頂いてもいいかね?」
「どうぞどうぞ。このお茶はね
あんたのような旅の人や山仕事に行く村人がね
いつでも飲めるように、出しておるんじゃよ」
「へえ、そりゃまた奇特なことだねぇ」
「なに、この村の言い伝えじゃよ」
龍井村の言い伝え -
霊隠寺からさらに奥、天竺山の山頂にある天竺三寺 -上天竺寺,中天竺寺,下天竺寺。
奥の山頂といっても、標高500m弱だから、 姫路市の書寫山圓教寺よりもう100m高い程度だ。
霊隠寺と天竺寺は、唐代の頃からお茶を生産していた。
北宋の頃、上天竺寺に辯才法師(弁才法師)という高僧が居た。
法師は引退後、天竺山を降りてきて、当時ほとんど廃寺となっていた龍井寺に住まうようになった。
すると郡守やら、県城の役人やら、果ては城市の庶民らまでもが、法師を慕って龍井寺を訪なうようになった。
法師は、来る者を決して拒まなかった。
必ず、自分が摘んだ茶葉を自ら焙じて自ら淹れた、一杯のお茶で来訪者をもてなした。
龍井寺を訪れる人々が多いので、法師は寄進を募り山道を通し、沿道には広く竹林を整備した。
「今、お前さんが通ってきた竹林が、そうじゃよ」
その後、龍井寺を訪れる人々はますます増えていった。
茶葉が不足するようになり、法師はまた茶樹を植えていく。
いつしか、次第に龍井寺の周りは茶樹でいっぱいになっていき、
遂には、それが、龍井村の茶の興りとなった。
「ワシも法師さまに倣うてな」
こうして、道行く人に、お茶を出しておるんじゃよ。
ワシん家の茶葉を、龍泓潤の泉水で淹れておるんじゃよ。
龍井寺の龍泓潤、それはまさしく、オヤジが目指していた泉でした。
龍泓潤は、杭州三銘泉のひとつです。
お婆さんの話しを聞きながらお茶を飲んで、人心地が付いたオヤジ。
見渡してみると、山の向こうで西湖の湖面が光っています。
庭先では2羽のニワトリが庭の片隅で、何かを啄ばんでいる。
庭先の、片隅の -
庭先の片隅で、ふとオヤジの目に止まったもの。
それは、古びた石臼でした。
一見して、打ち棄てられたと分かる、酷く汚い石臼。
冬の落ち葉が溜まったまま腐れ、夏草に半分埋もれています。
なんだか、苔むしているし。
この枯れ草の乗り具合、たぶんニワトリが巣を作ってタマゴを産んだんでしょう。
だって、ニワトリの糞まみれ。
明らかに不用品です。
こ・・これは・・・!
このオヤジ、眼力が有ります。
オヤジは一発で、それが値打ち物だと見抜いたのでした。
しかし、そこは商売人。 ストレートにはいきません。
「いやー、美味かった
へえ、そんな言い伝えが有ったんだねえ
どおりで茶が美味いわけだよ」
お茶としては旨いとも思いませんでしたが、咽喉が渇いてたから、美味いのは美味かった。
「しかしまぁー、おいしいお茶だねぇ
これはやっぱり、水がイイんだね、 水が
女性はキレイだし、風光明媚で
イイとこだよねぇ~、龍井は」
だって、婆さんまで美人じゃないか、杭州の女性ときたら。
よくもまあそこまで言えたもんですが、杭州は中華美人3大産地の筆頭ではあります。
お婆さんもお婆さんで、嬉しそうに羞に咬んでるから、困っちゃう。
「ところで、婆さん
見たところ、ひとり暮らしのようだが・・」
「ああ、ワシもな、この裏山のな
僅かばかりの茶の樹でな
細々と、食っておるんじゃよ」
お婆さんは、家の裏山にある18本ばかりの茶の樹の茶葉で、生計を立てているのだ。
その茶の樹も近頃、お婆さん同様に古びてきて元気がないのだ、と言います。
お婆さんの、18本の茶の樹。
それが枯れて朽ちたら・・・。
「ワシもそろそろ、じゃろうよ」
「何を言ってんですか、お婆さん」
オヤジがお婆さんを元気付けます。
「雲南にはね、茶樹王っていう、樹齢1000年はあろうかというね
それは大きな、茶の古樹だって有るんですよ
しかも今だに茶葉が取れるんですよ、その茶樹王から
だからね、お婆さん。 あなただってね
まだまだ50年が100年だって大丈夫なんですよ」
雲南の茶樹王という野生の茶樹は実際に有るのですが、樹齢は2700年とか云われています。
ここでオヤジ、チャンスとばかりに切り出した。
「ところで、婆さん
あそこに有る石臼だが
ひとつ私に譲って貰えんかな」
「石臼って、アレかね
あんなものを・・・」
「タダとは言わんよ、ほら代金」
言いながらオヤジ、お婆さんの手に銀5両をポンとのせた。
大金を見て、狼狽するお婆さん。
いったい、お前さんは何をなさるのか
いけませんぞ、老婆にこんな大金を
「あはは、婆さん、私はね、石臼が好きなんですよ
好きで好きで大好きで、欲しくて欲しくて、もう
石臼を見た日には、もうたまらんのですよ」
お婆さんは法師に倣い、道行く人々にお茶を出していた。
そこを偶々、石臼好きのオヤジが通りかかって、お茶を飲んだ。
それはね、縁というものですよ。
「だから、これはね、婆さん
あなたの徳というものですよ」
この銀5両は、お婆さんが前世から持って生まれた徳なのだ。
うまい話しには、浦島さん。
浦島太郎は助けたカメの甘言に乗り、カメの親分にジジイにされて、その揚げ句に、鶴にされてしまいました。
「婆ちゃんオレだよ、車ぶつけちゃって・・・」、助けたら被害に遇う。
振り込め詐欺には、ご注意です。
オヤジの打算 -
アレは値打ものだ。
近頃は蘇州あたりでも、庭園造りが流行っている。
太湖石だって、あんなに高値で取引される。
穴ポコの、あんな変な石塊があんなに高価で。
アレを手に入れたら、確実に売れる。
50両が100両でも、欲しい奴はいっぱい居るぞ
うひゃー、ボロ儲けじゃないか。
ラッキー。
流石は済公和尚の霊隠寺、参内しただけのことは有る。凄い功徳だ。
どうも、お婆さんの徳とは、オヤジが儲かる事を指すようです。
お婆さんの1歳が銀1両だったら、80両は支払うべきです。
何だか訳の分からないうちに、お婆さんの石臼は売られることになりました。
でもモノが石臼ですから、簡単に抱えては行けません。
じゃ、ちょっと人を頼んでくるね、とオヤジは山を下りて行きました。
銀5両を手にして、あとに残されたお婆さんと石臼。
お婆さんの親切心が、ムクムク・・・ムクッ。
「さーてっと、それじゃあ、やるかね」
お婆さんは、石臼の周りの雑草を引き抜いて。
石臼の、腐っちゃった中身は、庭先に撒くのもイヤですから裏山に捨てました。
水をくんできて、石臼をきれいに擦り始めます。
いいお婆さんです。
古びた石臼が、だいたい綺麗になってきました。
なるほど、この古び加減にはちょっといい趣きが有るかもしれません。
そこへオヤジが、若者を2人連れて戻ってきました。
石臼を見たオヤジは・・・
おおっ、とひと声あげて、石臼に駆け寄り、、、
オヤジの目論見 -
オヤジが欲しかったのは、石臼なんかじゃありませんでした。
本当に欲しかったのは、中に溜まっていた腐葉土だったのです。
「峠のお婆さんの、家の庭に有る石臼
あれを運んで欲しい。礼は、はずむ」
そんな怪しげなことをオヤジに言われ、2人の若者は面白がって付いて来たのですが。
そのオヤジ、今度は、石臼を抱えて撫で擦りながら、涙を流して泣き始めた。
あきれた2人は、オヤジを指差し何か語りながら、お婆さんのお茶を勝手に飲み始めました。
端から、やる気、ゼロですね。
お婆さんは、オヤジに優しく、
「ほらほら、石臼はアンタのもんだよ
ちゃんと洗っておいたからね
ほら、持ってお行きなさい」
オヤジは、よろっと立ち上がり、両手で持ち上げた石臼が、ひときわ、ずっしり。
肩を震わせ、泣きながら、ふらふらと山道を下りていきました。
あれあれ、まあ、あんなに
泣くほど好きなんだねえ、石臼が
まあ、よかったわい
今日は、いいことをした
ありがたや、ありがたや
呟きながら、お婆さんは若者達に近付いて、
「ほらほら、何時まで茶なんか飲んでんだい
とっとと戻って本業に精をだしな」
若い者は真面目に働け、と若者達を蹴散らした。
数日後 -
裏山にある、お婆さんの18本の茶の樹が、やたらに繁ってきました。
季節はずれの新芽も次々と出てきた。
試しに摘んでお茶を淹れてみたら、これがまた凄くいい香り。
どうやら、肥料が効いたようです。
- 峠のお婆さんの、茶の樹が若返った
- しかも、凄くいい茶葉が採れるようになったとか
- お婆さんを美人だと褒めたら、種苗を分けて貰えるそうだ
噂は尾ひれを付けながら、杭州城下や近在の村々を駆け巡ります。
大勢の茶農家が、峠のお婆さんの茶の樹の種苗を分けて貰いました。
そうしてやがて、茶葉は杭州の一大産業へと発展していったのです。
これも全て、峠のお婆さんの徳。
いえ、これこそが霊隠寺の功徳。
いえいえ。
貨幣経済というものは、オヤジの犠牲の上に成立しているのです。
安徽省の黄山毛峰、福建省の君山銀針、台湾の凍頂烏龍、日本にも名が知られた、数多有る中華の銘茶。
その頂点が、龍井茶(ロンチンチャー)。
浙江省の産なら、とりあえず龍井茶と称せます。
その数有る龍井茶の頂点こそが、西湖龍井(シーフーロンチン)。
杭州の産なら、とりあえず西湖龍井と称せます。
その中でも正統なのは、西湖龍井茶区西湖郷13村の西湖龍井。
行政区画の区画割りで13村に増えましたが、元来は獅龍雲虎梅の5村。
獅子峰、龍井、雲棲、虎跑(虎[足包])、梅家塢。
([]内で1文字.化けそうな漢字はコレで書き足しときますネ)
そしてこの、正宗西湖龍井の筆頭、それが、獅子峰。
獅子峰は完全に別格で、茶葉の値段が他村とは1ケタ違います。
峠のお婆さんの茶の樹こそ、実はその獅子峰なのでした。
お婆さんの18本の茶の樹は、今も有るのかも知れません。
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