小龍包
小龍包の創始者、黄明賢は計量カップならぬ計量用の小皿を用意していました。
製法と調理法 - 火力と蒸し時間の規格を厳格に固め、蒸し上がったら1つ取り出し小皿にのせる。
そして小龍包の皮を破り、中のスープが計量小皿にちゃんと満ちるか自ら検査した。
この検査に不合格だったら、黄明賢はその蒸篭の小龍包を決して売らなかったといいます。
小龍包の発祥は、南翔(なんしょう)という上海の中心街から20kmほど西北の古い街。
今から、150年ほども前のことです。
黄明賢は、杭州の貧農の子供でしたが、清朝末期の当時、太平天国の乱という騒乱がありました。
忠王・李秀成の太平天国軍は清朝軍と戦闘を繰り返しながら、杭州を占拠し、上海の県城を目指します。 丁度この時、高杉晋作が上海へ視察に来ていて「やった。実戦が見られる」と大喜びしたといいます。
黄明賢は、杭州で太平天国軍に接収されて、上海郊外の南翔に来ていました。
1年ほどで太平天国軍は清朝軍に敗れて撤収。
黄明賢は南翔の街に取り残されてしまいます。
孤児となった黄明賢は、饅頭屋のオヤジに拾われて義子となり饅頭作りを仕込まれました。
オヤジの死後、饅頭屋を引き継いだ黄明賢ですが、他店に味と技を盗まれて客足が途絶えてしまいます。
そんな時に、常連客が言ったひとこと。
「新しい点心、作ってよ」
それは、ちょっと塩味で,柔らかくて,しっとりとした,味が楽しめる、
そんな、腹に溜まらない小さな点心。
試行錯誤を繰り返し、黄明賢は仲間の点心師と一緒に、そんな点心。
小龍包を生み出しました。
また、味と技を盗まれては敵いませんから、黄明賢は小龍包の製法を秘伝としたのです。
黄明賢の技を継ぐ店は南翔饅頭店ですが、上海市内だけでも数店舗あるはずです。
一壽の再開業の前に、店長の佳佳(ちゃちゃ)が帰郷したので、南翔饅頭店の写真を撮ってきてもらったのですが、
・・・門構えだけ・・・というより看板だけ?
・・・こう・・・もうちょっと・・・
広いアングルで・・・上海味の・・・
様子がもっとよく分かる写真が撮れねーのか、アンタはもう -
メニューやチラシ用に点心の写真撮らせたら・・・
真上から撮りやがるし -
《 ーーー 深・呼・吸 ーーー 》
南翔饅頭店が六本木に出店したのが、一壽が開業(2009年)する少し以前。
ようやく、日本でも冷凍物の南翔小龍包が入手できるようになりました。
日本で正統な南翔小龍包が食べられるようになったのは、ここ数年のことです。
これは、老二が調べたことです。
店長自身は、んな「小龍包の歴史」なんて知りません。
それでも -
「小龍包蒸すのスゴイ難しいよ~
時間が凄いこと大事ー」
そんなことを言ってるのを聞いたら、「流石は上海人だな」、とは思うのです。