2014-10-13

上海南翔特色的

上海南翔特色的 一壽 上海特色点心店

  小龍包 

 小龍包の創始者、黄明賢は計量カップならぬ計量用の小皿を用意していました。
 製法と調理法 - 火力と蒸し時間の規格を厳格に固め、蒸し上がったら1つ取り出し小皿にのせる。
 そして小龍包の皮を破り、中のスープが計量小皿にちゃんと満ちるか自ら検査した。
 この検査に不合格だったら、黄明賢はその蒸篭の小龍包を決して売らなかったといいます。

 小龍包の発祥は、南翔(なんしょう)という上海の中心街から20kmほど西北の古い街。
 今から、150年ほども前のことです。

 黄明賢は、杭州の貧農の子供でしたが、清朝末期の当時、太平天国の乱という騒乱がありました。

 忠王・李秀成の太平天国軍は清朝軍と戦闘を繰り返しながら、杭州を占拠し、上海の県城を目指します。 丁度この時、高杉晋作が上海へ視察に来ていて「やった。実戦が見られる」と大喜びしたといいます。

 黄明賢は、杭州で太平天国軍に接収されて、上海郊外の南翔に来ていました。
 1年ほどで太平天国軍は清朝軍に敗れて撤収。
 黄明賢は南翔の街に取り残されてしまいます。

 孤児となった黄明賢は、饅頭屋のオヤジに拾われて義子となり饅頭作りを仕込まれました。
 オヤジの死後、饅頭屋を引き継いだ黄明賢ですが、他店に味と技を盗まれて客足が途絶えてしまいます。

 そんな時に、常連客が言ったひとこと。

  「新しい点心、作ってよ」

 それは、ちょっと塩味で,柔らかくて,しっとりとした,味が楽しめる、
 そんな、腹に溜まらない小さな点心。

 試行錯誤を繰り返し、黄明賢は仲間の点心師と一緒に、そんな点心。
 小龍包を生み出しました。

 また、味と技を盗まれては敵いませんから、黄明賢は小龍包の製法を秘伝としたのです。

 黄明賢の技を継ぐ店は南翔饅頭店ですが、上海市内だけでも数店舗あるはずです。

 一壽の再開業の前に、店長の佳佳(ちゃちゃ)が帰郷したので、南翔饅頭店の写真を撮ってきてもらったのですが、

南翔饅頭店看板だけ


 ・・・門構えだけ・・・というより看板だけ?

 ・・・こう・・・もうちょっと・・・

 広いアングルで・・・上海味の・・・


 様子がもっとよく分かる写真が撮れねーのか、アンタはもう -

 メニューやチラシ用に点心の写真撮らせたら・・・

メニュー写真上から


 真上から撮りやがるし -


   《 ーーー 深・呼・吸 ーーー 》


 南翔饅頭店が六本木に出店したのが、一壽が開業(2009年)する少し以前。
 ようやく、日本でも冷凍物の南翔小龍包が入手できるようになりました。

 日本で正統な南翔小龍包が食べられるようになったのは、ここ数年のことです。

 これは、老二が調べたことです。
 店長自身は、んな「小龍包の歴史」なんて知りません。

 それでも -

 「小龍包蒸すのスゴイ難しいよ~
  時間が凄いこと大事ー」

 そんなことを言ってるのを聞いたら、「流石は上海人だな」、とは思うのです。