うーさぎ、うさぎ、なに見て、跳ねてんの?
玉兎搗薬
(中秋伝説)
前のお話し:【奔月(2)嫦娥奔月】(中秋伝説)
うーさぎ、うさぎ、なに見て跳ねる?
十五夜お月さまの、何を見て跳ねるんでしょうか、ウサギは?
中秋節に似つかわしくない、無粋な設問をします。
さて問題、お月さまのウサギは♂でしょうか、♀でしょうか?
不死の仙薬を西王母から授けられた、英雄の后羿(ホウイー)は、
仙薬を、妻の嫦娥(チャンウー)に預けておきました。
それを知った弟子の逢蒙が邪心を起し、嫦娥に迫る。
「あねさん、出してください、不死の仙丹」
盗られまいとした嫦娥は仙薬をとっさに呑み下し、月で独り月中仙女となりました。
千年の修行を重ね、得道して兎仙となったウサギの夫婦がおりました。
ある中秋節の夜、ウサギのお父さんは玉皇大帝から呼び出しを喰らって、天界へと出向きます。
「あ~もう、めんどくせーなー、あのジジイはー」
とか言ってぼやき、嫌々ながら雲に乗って天宮へと急いでいたのですが、
その兎仙の雲の傍を猛スピードで何かが奔り抜けていきました。
それは、ほとんど光速に近いスピードで、満月を目指して飛行していきます。
あの飛行体の中の時間は、きっとほとんど止まっているに違いありません。
兎仙には刹那の感覚時間でも、あの飛行体は永劫の時間を飛翔する。
そのような存在は、“仙”には違いなかろうが、それにしても、しかし、
いったい、何があったのだ?
天宮の南天門で看守をしていた天兵に、報告がてら尋ねてみたところ、
ウサギのお父さんは、嫦娥の事件の顛末を聞かされたのでした。
あれは、月へと奔(はし)る、嫦娥(チャンウー)だったのです。
ウサギのお父さんは、思います。
─ 月で独り過ごさねばならぬ嫦娥の境遇
─ 嫦娥の寂寥と悲哀は、なぜ生じたのか
─ 嫦娥がそのような目に遇う理由は何だ
嫦娥は、人々に累が及ぶのを防ぐために、仙となって月に独り棲むことになったのはないか。
だが、兎仙とはいえ所詮はウサギ、自分にどんな手助けができる訳でもない。
せめて、誰か寄り添う者でもあれば好いのだが。
そこで思い至ったのが、自分の娘たちでした。
ウサギの夫婦には、4匹の娘があったのです。
玉皇大帝のご用は放りだして、大急ぎで家に飛んで戻り、ウサギのお母さんに嫦娥の事件を語って聞かせ、
─ 娘をひとり、月に遣るわけにはいくまいか
ウサギのお母さんも賛同してくれました。
しかし、娘たちは誰も行きたがりません。
ウサギの夫婦にしても、子供たちは大事な宝物、可愛くない訳がない。
娘たちにしても、親や姉妹達と離れたくはない。
ウサギの娘たちは泣きながら、それなのに父親は何故 ─
ウサギのお父さんが話して聞かせます。
「もしこれがね、お父さんだったら
お父さんが独りで月に封じられていたら
果たしてお前達は、月に来てくれるだろうか?」
嫦娥にも愛する人はいる。
なのに嫦娥は、人々を救うためにね、
いま、寂寥と悲嘆の境遇に在るのだよ。
それを見捨てて、おけるのかな。
子供たちよ、皆、自分の事だけを考えていれば好い。
そういうものではないのだよ。
娘たちは皆、月に行く事を承知してくれました。
子供たちが成長した瞬間に、目に涙を浮かべながら、微笑むウサギのお父さん。
相談の結果、末娘が月で嫦娥のお供をすることになりました。
以来、いつまでも末娘のウサギは、嫦娥のそばで、
神仙たちのための仙薬を搗(つ)きつづけているのです。
十五夜の月を見て跳ねるウサギたち。
月を眺めながら、親ウサギから嫦娥と兎仙のお話しを聞かされているかもしれません。
次のお話し:【玉兎児】(中秋伝説)
嫦娥奔月のお話しも類型は多いですが、玉兎搗薬の説話もなかなか多い。
もしかして、お話しの成立としては、玉兎は嫦娥よりも先に月に住んでたんじゃなかろうか?
なんて、思うんですが。
日本ではウサギは餅を搗きますが、中華では薬を搗きます。
道教の道士さんが修行を積んで、行き着く先は“仙人”です。
なので、仙人のお仕事は何かと言えば、それは端的には、「薬を作ること」。
なにしろ道教の始祖の老子にしてからが、老君山で金丹を作っています。
月の玉兎が薬を搗くのは、中華では当然です。
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