陽の重なる日は災厄の日か、吉祥の日か?
重陽節と菊花酒
(重陽節)
菊花酒に使う『甘菊』 |
中国7大水系のひとつに、中原のど真ん中を流れる淮河(わいが)があります。
ちょうど黄河と長江の中間で、この辺り華北平原は世界でも有数の平原です。
なので穀倉地帯といいながら、同時に水害も多かった、
ひとたび洪水が発生したら、河の流路が変わってしまう、ということになります。
現代でもGoogleマップで、うねうねと曲がりくねった河と、かつて河であった三日月湖が無数に見てとれます。
そして水害とセットになった災害が疫病の発生、ワクチンなど無い時代には、疫病もまた天災の1種でした。
汝河(じょが)は淮河(わいが)に流入する支流ですが、かつては1つの河だったのが、洪水で北汝河と南汝河に分断しました。
現代は、単に汝河といえば、南汝河を指すということです。
前漢の頃と伝えられます。
汝河の流域で疫病が発生しました。
水害の復旧もままならないうちに疫病が蔓延し、日々、人の命が失われていくという状況となりました。
夏の終わりの洪水で、汝河(じょが)に棲む瘟魔(おんま)が目覚め、再び暴れ始めたのです。
数年前の、あの時と同じです。
汝南県に住む恒景という青年の両親は、その時に亡くなりました。
恒景は必死で両親を看病し、病状は峠を越え回復し始めていたのです。
ところがそんな時に、今度は恒景自身が感染し、疫病に倒れてしまいました。
自身が熱に浮かされ、身体も思うように動かせない恒景の目の前で、両親は再び病状が悪化しそのまま死んでいったのです。
恒景は回復し、今は妻も子もありますが、あの時の絶望感は忘れません。
身近にも、疫病に倒れて亡くなる人が、ぽつぽつと出始めてきました。
幼子を膝に抱き、恒景は悩みます。
子を抱いたまま、絶望感と焦燥感の漂う目で妻を見つめ、妻はそんな恒景に微かにうなづき、
「あなた、お行きなさいまし」
そのひと言で、恒景の決心がつきました。
妻子と近在の者たちに別れを告げ、恒景は独り、対処法を求めて旅に出ました。
あちこちの深山を尋ね歩くうちに、恒景はとある道観で『費長房』という仙人の噂を聞きつけます。
こんどは費長房の居所を訊ねて歩きますが、ほどなく東南の方角の深山に居る、と聞きつけます。
そこからは、永かった。
恒景は幾つもの山を探して歩くことになりますが、なかなか見つけられません。
しかし、なぜか徒労だとは感じませんでした。
そしてなぜか、往く先々で他人の手助けを得ることができ、食料と寝るところと靴だけには困りませんでした。
ひとつの山を探したら、山を降りて河を越え、次の山に入る。
そうして幾つもの靴を履きつぶしながらある山に1歩入った時、恒景は感得しました。
この山に居る。
果たして山を分け入って行くと、1人の老者が待ち受けていました。
直感、この老者こそが、探し続けた費長房だ。
費長房がにたりと笑い、恒景の顔が明るくなる。
恒景は直ちに費長房の足許に駆け寄り、師として拝します。
「幾つ山を越えた?
すっかり逞しくなっているじゃないか
まあ許せ、お前の心願を叶えるためには、それが必要だった」
恒景は費長房から青龍剣を賜り、降魔の術式の修行を積んでいくことになります。
疫病に侵されて動けぬ間に、目の前で死んでいった父と母。
郷里に残してきた妻や子、瘟魔(おんま)が暴れるたびに次々と死んでいく郷里の人々。
恒景の脳裡には、いつもそれがありました。
寝食を忘れて修行を積み続け、春が過ぎて夏が終る頃。
費長房は恒景を前にして、言いました。
「申し付けることがある」
「 はい 」
「この九月の九日に、瘟魔が再び顕(あら)われる」
「九月の、九日、ですか?」
「 うむ 」
九月は最も陽気が高くなる。
なかでも九日は、さらに陽気が重なる。
神功も強くなるが、妖魔の妖力もまた高くなる。
瘟魔はヒトにとって災厄だが、その瘟魔もまた自然のもの。
言わば、神功の1種よ。
お前はただちに郷里へ戻り、降魔の剣を行使せよ
但し、
「お前の修行は未だ成らぬ
おまえ自身は、覚悟せよ」
元より望むところ、恒景は顔色ひとつ変えません。
費長房は恒景に、グミの葉と1瓶の菊花酒を手渡しました。
おそらくは永遠の別れ、恒景は深々と一礼すると、郷里の汝南県へと駆け戻っていきました。
もう逢えないかもしれない、と思っていたら、逆にやたらと精悍になって戻ってきた恒景に驚いた妻子ですが、恒景は、
「再会を祝したいところだが、急がねばならぬ
すぐに郷人たちを集めてほしい
費長房さまからのお申し付けがある」
恒景は収穫したばかりの作物を、近くて一番高い山に、郷人たちに運び上げて貰いました。
翌、九月の九日。
早朝から、郷人の老若男女全員に、菊花酒を1口づつ飲ませます。
最後に恒景が菊花酒を1口飲むと、菊花酒はぴったりと無くなりました。
郷人たちにグミの葉も1枚づつ持たせます。
最後に恒景の分1枚を残して、グミの葉はぴったりと無くなりました。
そうして、身体に感じるほどに陽気が高まっていくなか、妻子と郷人たちを山に登らせました。
恒景自身は、郷に留まります。
だんだんと陽気が高まって、最高潮に達した瞬間、
豪雨が落ちて、たちまち汝河(じょが)が溢れ出し、また村の家々が泥水に呑まれていき、
その濁流の背後から、どす黒い瘴気をまとった瘟魔が姿を顕しました。
菊花酒の匂いとグミの葉の気配に、一瞬、戸惑う瘟魔。
その瞬間、青龍剣を蜻蛉に構え、泥水のなか、恒景は黒い瘴気のなかへと駆けていきました。
その後、恒景がどうなったのか、
果たして、瘟魔を倒したのか、
それは、伝わっていません。
ただ瘟魔がその後再び顕われることはなく、人々は重陽節(ちょうようせつ)には高山に登り菊花酒を飲む。
そういう風習が始まったということです。
端午節は 陰から陽に転じる時節、菖蒲の葉を挿し、雄黄酒を飲む。
重陽節は 陽から陰に転じる時節、グミの葉を携え、菊花酒を飲む。
重陽節もまた、端午説と対になる重要な節季なのです。
[関連・参考]【メモ】重陽節と菊花酒
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