2017-06-15

済公さん(1)飛来峰

 山が堕ちてくる?タチの悪い一休さん、済公活佛  

 済公さん(1)飛来峰 

 (済公活佛)  



その昔、南宋の時代のことでした。

杭州の霊隠寺に、飲む、打つ、買うと、3拍子そろった放蕩三昧の素敵な和尚さんがおりました。

お酒が大好きで、お肉も大好き、禅僧のくせに座禅が大嫌い。

なのに悟りを得ていて徳がある、という困った和尚さんでした。


ぼろけた僧衣に山形帽子、破れた扇子と瓢箪(ひょうたん)がトレードマークです。

瓢箪の中身は、きっとお酒なのでしょう。

修行もせずに、ふらつきながら、出会った人を手助けする破戒坊主の済公さんです。


そういった瘋癲(ふうてん)和尚の伝承は多いですが、済公さんはその中華代表といって好いでしょう。

性質(たち)の悪い一休さん、そう思って頂いてかまいません。


ただ、済公さんの場合は遣り口が大陸方式で、法術も使います。

雲に乗って空を飛んでみたり、他人の運命を算じて危難と判じたら先回りして救ってみたり。


そしてかなり奇矯な人物であったようで、アニメの「一休さん」よりは、偏屈な実物の一休禅師タイプです。

その反面“生き仏”、済公活佛とも称され、その出自は羅漢様の顕現ともされています。


済公さんという瘋癲和尚が、その奇矯な行動で、悪い地方官や生臭坊主をやっつけたり。

或いは、病気で困っているお婆さんを法術で治したり、時には幽霊だって救います。


そういったストーリーで、民話やドラマや映画になって、中国人ならまず誰でも知っているキャラクターです。

また逆に、杭州からは離れた土地の方だったら、済公さんが実在の人物であったとは知らなかったりもします。


どうも民話には「眼の病を癒す話し」が多いように思います。

ですからきっと、医術に長けた人物ではあったのでしょう。


子供向け絵本の済公さん

済公和尚が杭州の霊隠寺で修行していた頃でした。

修行をしながら、実は居眠りしていた済公さんですが、突然に悪寒が走ります。

とんでもない霊夢を観てしまいました。


大慌てで寺を飛び出し、道を往く人々に避難するように叫ぶのですが、誰も相手にしようとしません。

今度はそこいらじゅうの家の門を叩いては、叫び散らします。


どんどんどん、がちゃっ。


「おい大変だ、すぐにみんな逃げるんだ!」


「おや和尚さん、どうしたんですか?」


「もう、すぐに、山が、堕ちてくる」


「・・・ふん、この生臭坊主が

 また修行中に居眠りでもして、夢でも見たんだろ」


ばたん。


その通り、修行中に居眠りをして夢を観たんです。

でも、それは霊夢で、すぐに山が堕ちてくるのは既定の事実なのです。

今すぐ、村人たちを避難させなければなりません。


なのに、そんな話しを信じる者は誰も居はしません。

済公さんが途方に暮れながら、村の中を走っていると、なんと、


婚礼をやっているお家がありました。


花嫁さんの家に、親戚一同や近在の者たちがみんな集まっています。

折りよく丁度、花婿さんが大勢のお伴(とも)を引き連れて、花嫁さんの家にやって来るところです。

この後、花婿さんは花嫁さんを迎えて連れ帰り、拝堂儀式をやって夫婦になる予定なのでしょう。


「ご婚礼ですか、これはお目出度いことです」


「ああ、済公さん、これはこれは」


「どうか、拙僧にも御縁を賜れますよう

 なーもーあーみーだーふぉー」


おいおい、済公さんが来ちゃったよ、どうしよう?

やだなー、婚礼で念仏唱えてどうすんだよ。

えー、済公さんかよ、荒らされちゃたまらんな。

とっとと喜捨して、追い返しちまえよ。


なんか、花嫁さんの家人はそんなことを言っています。

普段から修行もせずに子供と駆けっこしたり、狗肉を喰いながらふらふら歩いたりしている不良坊主ですから、評判がよろしくありません。

些少ですがこれをと紅包(ホンパオ)の銭を渡そうとすると、済公さんは要らないという。


「あれがいい、拙僧はあれが欲しい」

そう言うや、済公さんは花嫁さんを無理矢理に背負って駆け出しました。



  大変だ、坊主が花嫁を攫(さら)った!



全員で、済公さんを追いかけ始めます。

花嫁を背負って駆ける坊主、砂煙を蹴起てながら追いかける人々。

いったい何事だ、村人全員が済公さんを追って走りはじめました。


息もろくすっぽ継げないまま、済公さんは駆けつづけ、ようやく西湖の畔りまで走り着きます。


花嫁さんを降ろすと「すまなんだな」、そう詫びながら済公さんはへたり込み、咳き込みながらだらだらと汗を噴きはじめました。

へたばったまま待っていると、村人たちも追いついてきました。

算じてみると、どうやら老人から赤ん坊まで、全員が揃っていそうです。


花婿さんが済公さんの首を締め、村人全員で済公さんを吊るし上げていると、


水鳥たちが急に飛び立ち騒ぎ出し、犬の遠吠えがあちこちで湧き起こり、

空が急に曇ってきて、なにか腹に響くような地響きが、


ごごごご


見上げてみると、あーあれは、


「うわっ、ラピュタだ!」


「あー、ラピュタが堕ちて来る」


「じゃねーよ、山だぞ、おい」


山は霊隠寺の向こうの村の上まで降りてくると、静かに村を押し潰しながら鎮座しました。


あぶねー、危うく村人たちは山に押し潰されてペチャンコになるところを、済公さんの機転で助けられたのでした。



その後のことです。

(注:以下は「山が飛来した」という全く別の伝説で、時代設定の前後はわかりません)


渾壽羅(こんじゅら)という、インドの僧侶が杭州を訪れてきました。

そして、言うには、


「ああ、こんなとこに飛んで来てたんだなあ」


「何が、ですか?」


あの山だよ、と言いながら、渾壽羅さんは飛来峰を指しました。


「霊鷲山(りょうじゅせん)の手前の小山がね

 1つ無くなってるんだよね

 どこへ行ったのかなって思ってたらさ

 こんなとこまで、飛んで来てたんだなあ」


霊鷲山といえば、あのお釈迦さまが修行や説法をしたという山です。

しかし、いくらそんな霊山でも、山が飛来した?

そんな話は、誰も信じません。


「うそじゃないって

 霊鷲嶺ってよんでたんだけどね

 山の中腹にさ、洞窟が有ってさ

 白猿が1匹棲んでるんだよ」


そう言って、渾壽羅さんはほんとに洞窟から白猿を呼び出したという事です。


ことの真偽は、天界のことですからわかりません。

しかしやはり、釈迦如来は東京の立川(たちかわ)だけでは飽き足らず、杭州にも住んでみたくなって、

済公さんに、村人を避難させたということなのでしょう。


杭州の霊隠寺には、「霊鷲飛来」という扁額があります。



霊鷲飛来」のうえの「雲林禅寺」は、康煕皇帝の御題(皇帝の直筆)です。




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