2018-02-02

梅と鶴の末裔(3)山園小梅

 林逋の世界、それなら俺達はいつも見ていた 

 梅と鶴の末裔(3)山園小梅 

 (杭州) 



薄蒼い夜空、清徹な水面に映る朧な月。

春先の宵の透徹した清風には、既に冬の堅さは感じられなかった。


冬枯れの湖山に独り妍くしく、小園の風情を占め尽くし 

疎らに横斜して映る枝影に、香りの清流は月をも浮流す 

翼を休めようと冬鳥が、ふと垣間見たその小園の香艶を 

知ったその時、春の蝶の魂は悲嘆をどれほどかこつのか 

だが相伴するがいい、この香りと艶を吟唱する者と共に 

楽の音も美酒をも凌ぐその香艶を吟者と共に酔うがいい 

(注:「妍くしい」=「うつくしい」)  


   山園小梅(其の1)


衆芳揺落独暄妍、占尽風情向小園

疎影横斜水清浅、暗香浮動月黄昏

霜禽欲下先偸眼、粉蝶如知合断魂

幸有微吟可相狎、不須檀板共金尊



欧陽修(おうようしゅう)は溜息をひとつつき、ぽつりともらした。


「この詩だな、いつぞや范仲淹が西湖のな

 浚渫と整備をやったことがあったろう」


「ああ、あったな、それがどうした?」


「あれは林逋の詩を見てな、それで思い立った

 そういう噂だ、范仲淹は梅がどうとか言っていたらしい

 それが多分、この詩だろう」


おまえ面白いこと始めたそうじゃないか、そう言って訪れた欧陽修だったが、梅尭臣には心なしか鬼相が浮かんでいた。


「これはやはり、林逋の梅園だよな?」


「ああ、そう判ずるのもバカバカしいくらいだ

 なのに、この詩ときたら・・・」


「『梅』という語が無い、『花』の文字すら無い」


なのに、なんであの林逋の梅園だと判るのだ?


「静と動、昏と艶、寒と暖、そんな単純な対比じゃないよな」


詩句がもつ空間的な広がりと、時間的な幅と、刹那を切り取って表現しただけのものではない。


蝶が舞う季節には、梅の花はもう有りはしない。

蝶が梅の花と出会うことは、永遠にないのだ。


「それを知ったら、蝶はどれほど悲嘆に暮れることか」


梅林の中からの、蝶の視点。

上空から見た、冬鳥の視点。

外側から観た、人間の視点。

あらゆる方向から梅を視ている。


視覚だけではない、

あらゆる知覚の刺激。

静寂という音が聴こえる、

梅の花のほのかな匂いがする、

匂いが風にのって揺れ動いている、

春宵の風が頬を掠める感触、その匂いに酔ってしまう感覚すら感じられる。


「香りの清流に揺れ動き、朧になりゆく月」


『疎影横斜水清浅、暗香浮動月黄昏 』

(スーインヘンシエシュイチンチェン、アンシャンフートンユェフアンフン)  


この梅そのものを表現する句、この句に他の句が全てかかり、句を浮き立たせている。

共感覚の惹起、詩文そのものが立体的な詩、こんなことが可能なのか?

そんな事が出来てしまったら、文章による表現の可能性は幾何級数的に増えてしまうだろう。


おい、梅尭臣、大丈夫かおまえ


欧陽修は気遣わしげに梅尭臣を覗き見た。


「大丈夫って、何だよ、おい」


「おまえなあ、なにか、憑かれてるみたいだぞ」


「ああ、憑かれているさ

 大丈夫じゃない、知っている」


このまま続けて、編纂が終わる頃にはもう、


「この仕事が終わる頃には、もう小役人の仕事がさ

 出来なくなってしまっている、そんな気がするんだよ」


欧陽修は梅尭臣の肩に手をやり、揺すり立てた。


「おい、おまえなぁ、ちょっと詩作をやれ」


「詩作? 」


「おまえ自身が詩を書いて、おまえ自身の世界観を保て

 そんな調子でこのまま続けたらなあ

 なんか、あっち側に行ってしまう、そんな感じがあるんだよ」



そんな感じなら自分でもある、解っている。

しかし、この仕事は辞められない、それも分かっている。


林逋の世界 ─ 

林逋の断絶 ─ 



「書寿堂壁因書一絶以誌之」


湖上青山対結庵、墳前修竹亦蕭疎

茂陵他日求遺稿、猶喜曽無封禅書


湖山に結んだ庵にて、墳墓の竹林蕭疎なり 

昔日求む茂陵の遺稿、無きぞ嬉しき封禅書 



こんな詩まで、採取してきている。

書寿堂(書庫)の壁に貼られていた、林逋の標語だ。

書寿堂は林逋が自分で作った。

林逋は書画も巧かった、なんでも能くこなしたのだが、それでもぼやいていたものだ。


『いやあ、肥桶を担ぐのと将棋を指すのだけはダメなんだよ』


この詩ならいつも見ていた。

こんなことを他の者がほざいたら、嫌味以外の何物でもあるまい。

今となっては、林逋そのものを表現した詩と言わざるを得ない。


病気で死にそうな東方朔の許に漢武帝は人を遣わしたが、病気見舞いではない。

重要文書が必ずあるはずだから探して来い、だった。

果たして重要文書は有った。

それは、漢武帝の功績を讃える詩だった。


司馬相如の時も、漢武帝は同様のことをやった。

この時は、詩の散逸を恐れてのことだが遅かった。

司馬相如は既に死に、詩詞は持ち去られて既に散逸していた。

ただ、妻の卓文君が自身で漢武帝宛ての書簡を保管していた。

それは、封禅の書だった。


漢武帝はその後、封禅の儀を執り行なっている。

宋真宗も自分がまだ幼い頃に、やっていた。


『封』は天に対する儀礼で、『禅』は地に対する儀礼だ。

『封禅(ほうぜん)で天地の安寧を祈願するわけだが、儀式の作法は大昔に失伝している。

封禅の事始めは三皇五帝の神代の昔だ。

当然に、秦の始皇帝の代には既にもう失伝していた。


だから、漢武帝は封禅の儀の特別チームを編成して調査にあたった。

宋真宗も、封禅の儀の資料を広く世に募った。

当時は、ほんの紙一枚の資料でも持ち込めば、それで官職を得られたそうだ。


「宋真宗の時は、林逋も意見を求められたそうじゃないか」


「ああ、林逋は呆れ返ってしまったんだってな」


広く収集された資料の山を一見して、林逋は呆れ返ったという。

所詮は有象無象の集めた、ゴミの山でしかなかったのだ。

林逋は屈原の句を以って、応えた。


『衆人皆酔惟我独醒』


そう詠み世を儚んで屈原は泪羅江(べきらこう)に身を沈め、端午のチマキの起源となった。


『憚りながら私は醒めているんだ

 酔っぱらいの戯言には付き合えんよ』


林逋はそう言って、相手にしようとしなかった。

そんな風に執行された封禅の儀。


「なにをどう封禅したものか、分かったものではないな」


「究極に無駄な儀礼と言わざるを得ないわな

 権威の誇示、それ以上の意味はないさ」


それに対して「猶喜曽無封禅書」とは。


『探したって封禅書なんか無いんだよ~ん、よかったね』


林逋はそういうことを酷く嫌った。

詩文それ以前に、心に叛(そむ)く句というものが無い。

林逋が詠むのはその世界に映る、真実の流露。

西湖の山水、孤山の梅林、二羽の鶴のその清涼と温潤と。


漢武帝が恥じて自分の陵墓(茂陵)に隠れ、東方朔は雲に乗って天に逃げてしまうことだろう。

司馬相如は、持った封禅書ばったと落とし、小膝叩いてにっこり苦笑いか。


おい、おい梅尭臣、なに笑ってんだ


「ん、大丈夫だって、あはは、観た」


何を、見た? 」


「林逋の世界、でもね、それなら俺達いつも見てたんだ

 やっぱりそうだったんだ、そうだったんだよ」


何かひとつ断絶した、林逋の世界 ─ 


「俺達よく陰で林逋の悪口言ったよなあ

 あだ名が、梅仙人だとか梅痴だとか」


「ああ、よく酒の肴にしたな、好きだったからな

 林逋の庵を、梅屋敷とか鶴小屋とか言ってさ」


「あの人、本気でそう思ってたんだよ

 権力や何かの機構に組み込まれてしまったら

 そんな文人は、それだけで哀れだなって」


「そうだな、今考えれば本気だった

 そして結局、それを生涯貫き通した」


だから、こんな詩が詠めるのか。

少しづつ、変容してゆく梅尭臣の世界。






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