2018-02-21

梅と鶴の末裔(5)梅裔を騙る者

 梅妻鶴子、妻も子も無い林和靖の子孫を騙る者たち  

 梅と鶴の末裔(5)梅裔を騙る者 

 (杭州) 



国史館を訪れてきた如何にも貧乏そうな書生さんに、陳嗣初は吃驚した。

書生さんは陳嗣初に「自分は林和靖(りんなせい)の10代目の子孫である」と語ったからだ。


「えーっ、あの有名な隠逸詩人の、林和靖のですか!」


「はい、実はそうなのです」


 腿影横斜女請践,暗香乳動尻倒昏。


「男の字なしで男の夢を詠んでみました

 いやあもう、才能が溢れちゃって」


なんだよこいつ、と思いながらも陳嗣初は丁寧に対応しました。


「それはそれは、わざわざのお越し恐れ入ります

 ところで、宋史の林逋伝は御覧になりましたか?」


「それが無いのですよ、見た事が

 なにしろ隠士は仕事をしちゃいけません

 何か仕事をしたらバイアスがかかっちゃいますから

 始祖からして代々、由緒正しき貧乏なのですよ」


「それは、いけませんね

 偉大な御先祖さまの記録ですよ

 ここに有りますから、是非御覧下さい」


そう言って手渡された『宗史 林逋伝』に目を通した貧乏書生さんでしたが、

そこに記載されていたのは、


『宗史 隠逸上林逋本伝』(1344年頃) 


逋不娶、無子。教兄子宥、登進士甲科

宥子大年、頗介潔自喜。英宗時侍御史


林逋は妻帯せず子は無い

甥の林宥を教え進士甲科に導く

林宥の子の林大年は頗る高潔な性質を自認

宋英宗の代に侍御史(監察官)を勤めた



なんだって、林逋には妻子が無かっただって!

それを知らなかった貧乏書生さん、まっ青になって硬直してしまいました。


「その『宋史 林逋伝』を差し上げることは出来ませんが」


代わりに私から、詩を一首プレゼントいたします。



♪ 和靖せんせい、妻はない 

♪ 子孫は如何に生まれたか 

♪ アナタはきっと、閑花草 

♪ 孤山の梅ではあるまいさ 


和靖当年不娶妻、如何后代有孫児

想君自是閑花草、不是孤山梅樹枝



大慌てで逃げ帰る自称10代目林和靖の貧乏書生さんでしたが、身体が硬直しているから動きがちょっと昔のロボットみたいになりました。

この貧乏書生さんも、林和靖の詩は良く知っていたのでしょう。

きっと、林和靖に憧憬の念を持ってはいたのです。


中華では家系を偽る者は、それはもう物凄く軽蔑されます。

しかも記録魔の国民性ですから、ちょっと有名人だと末代まで記録が残ってしまう。

だからこそ、孔明の子孫の諸葛村なんてものが現代になってから発掘?されたりします。

まあ、真贋の議論はあるのですが、肯定派の根拠は中華の家系の正当性。


有体に申し上げて、国家の戸籍制度があまりしっかりしていないから、一族の系統は人民たちが自分で管理する。

日本の戸籍は昔はお寺さんが、現在は法務局が管理してますが、中華では一族の専用廟なんてのが有ってそこで管理するわけです。


この名も無き書生さんの逸話は明代のお話しですが、その以前にも林和靖の後裔を騙る者が居りました。

南宋の末期に、林和靖の7代目を名乗る人物が出現しています。


林洪・可山は、茶人のような人であったようです。

官途に就いていたかどうかはよく分かりませんが、朝廷との関わりはあったようです。


著書が幾つかあり、問題となったのは『山家清供』 と 『山家清事』でした。

これらは料理、茶、築庭などを扱っていて、当時の貴重な資料として現代でも図解付きになったりしながら出版され続けています。


その内容を見るにつけ思うに、懐石を極めた茶人。

なんか変ですね、だからもう少し俗に、

海原雄山みたいな事をしていた人。


海原雄山は優れた陶芸家で、料理にも精通しているのですが傲岸無比。

芸術家であると同時に文化人でもある彼は、至高のメニュー作りに邁進しました。

そして、林洪のやった軽率さを考え併せると、

でも、性格は山岡士郎のような人。


林洪(りんきょう)は、グータラじゃないけど海原雄山のような山岡士郎。

海原雄山と山岡士郎は実は親子ですが、詳細は『美味しんぼ』を参照ください。


この林洪が、『山家清供』『寒具』の項でやらかしました。


 吾翁和靖先生山中寒食詩乃云  


「吾翁(我が祖)の林和靖が『山中寒食』の詩でも述べているが・・・ 」



『山家清事』『種梅養鶴図記』の項では、林和靖を淡々と語った後でやらかした。


 七世祖逋寓孤山、国朝諡和靖先生  


7世の祖である林逋は孤山で身罷り

 朝廷は『和靖先生』と諡(おくりな)した」



林和靖先生詩集序

これに当時も後の世も文壇は一斉反発、林洪は徹底的に叩かれた。


なにしろ、林和靖には子がありません。

そもそも、妻というものがないのです。

杭州西湖の孤山で、ただ梅を植え、鶴を飼い、釣った魚を猫にやる。

そうしながら詩を詠んでいた、ただそれだけです。

それは歴史に、ちゃんと記録されています。



「林和靖先生詩集 序」(1053年頃)に記載。

謚曰和靖先生先生少時多病不娶無子 

諸孫大言能綴拾所為詩請余為序 

先生諱逋字君復年六十二其詩時人貴重 


(おくりな)は和靖先生

彼は時に病気がちで妻帯せず子は無い

諸孫の大言(林大年のこと)が能(よ)く詩を収集編纂し私に序を託す

彼の諱(いみな)は逋であり、字(あざな)は君復である・・・



林和靖には庶子も嫡出子もなかったとする、明確な不動の論拠がある。

林洪に対する反論の急先鋒は、姜石帚(きょうせきそう)という人でした。


この「姜石帚」はペンネームで、その正体は「姜白石」とされていますが別人説もあります。

仮に姜石帚が姜白石であれば、怒り心頭怒髪衝天も無理はない。

姜白石は官途に就かずに、やはり詩詞を書いていた人でした。


詩にも人気はありますが特徴的なのは詞の方です。

詞とは歌謡につける歌詞のことで、もしかしてひょっとして或いは、腕一本プロの作詞家の第一号は姜白石かもしれません。

そしてその代表作が『 疎影 (スーイン)『 暗香(アンシャン) 』とくる。

完璧に林和靖、入ってます。


姜白石 暗香(YouTube)


姜白石 疎影(YouTube)


姜石帚は力説した。


「林和靖は生涯妻帯しなかった

 7代目の子孫とはもしや鶴と龍の子孫であろうか

 瓜皮搭李皮とはよく言ったものだ」


『瓜皮搭李皮』は杏に瓜の皮を被せたつまり贋物、特に家系を偽る者を指す罵倒語です。


元代末期の韋居安という詩評家の重鎮もその著書『梅詩話(めいかんしわ)』で難色を示した。


「泉南(福建省)の林洪・可山は博学で学識深く詩名もある

 なんでも宋理宗に朝上した書で語るには

 自称、林和靖7代目の子孫だとか

 孤山が郷里であるなどという拵えごとは頂けない

 当時、世間に流伝した詠み人知らずの戯歌がある」


 和靖当年不娶妻、只留一鶴一童児

 可山認作孤山種、正是瓜皮搭李皮

♪和靖せんせい妻はない、形見は鶴と童子だけ

♪可山が孤山の種だって、杏に瓜皮ウソつきめ


韋居安さんは「詠み人知らず」と言ってますが、どうやら姜石帚の作のようです。

斯様なまでに家系を偽る者は、中華では罵倒されてしまいます。






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