歴史上幾度か浮上した「林和靖妻帯説」、作家の余秋雨が知る林和靖の秘密
梅と鶴の末裔(6)林和靖妻帯説
(杭州)
当代でも後代でも袋叩きの林洪(りんきょう)・可山、さらに容赦なく陳世崇という人も著書『随隠漫録』で罵倒した。
梅尭臣「不娶無子」 |
「林可山が自身は林和靖の7代目であると称している
梅聖兪(梅尭臣)が林和靖先生詩集の序に明記しているものを
林和靖が妻帯しなかったのを知らぬとみえる」
ところが、その陳世崇の父親の陳郁・蔵一という人が、なんと林洪の友人でした。
林洪が梅村図と題した絵を画いた折に、陳郁が付した詩があります。
当年一句月黄昏、香到梅辺七世孫
応愛君詩似和靖、為君依様画西村
完璧に林洪を林和靖の7代目と認めています。
しかも、その才能を受け継いでいるとまで賞賛しています。
そういった「林和靖妻帯説」というものは歴史上、幾度となく浮上してきました。
明代の歴史学者、楊慎・升庵が認定、「林洪は和靖先生の子孫である」。
不娶以梅為妻以鶴為子非也 |
清代の学者、杭世駿が『訂訛類編』に記載。
「林和靖には妻子が有った
いわゆる『宋史』の『不娶、以梅為妻、以鶴為子』には非ず」
清朝末期の学者、曹聚仁が『万里行記』に記載。
「孤山、里湖と外湖を隔てる白堤に連なる、この小さな山丘
その名は林和靖に因む。林は北宋年間、宋真宗の代の隠士で・・
梅妻鶴子と伝えられる。今日の孤山にも鶴の家(放鶴亭)はある。
その実、彼には妻も子も有った.・・・」
歴史に名を残すような学者さんが幾人も、梅妻鶴子の定説を否定してきました。
しかし、その明確な論拠が提示されることは、常にありませんでした。
「林和靖妻帯説」の根拠が何であったのか、現代ではさっぱりわかりません。
文化苦旅 |
これらはずっと、「そんな意見もあるさ」、その程度の扱いだったのですが、
しかし近年も近年、作家の余秋雨といえば著名も著名で、現在(2017年)もまだ生きている。
その余秋雨大先生が、『文化苦旅』という散文集の『西湖夢』という編でまたまた「林和靖妻帯説」を打ち上げました。
(注:文化苦旅は大阪の上海新天地で見つけて買いましたが、アマゾン漁ったら今は訳本もありました)
これに上海の編集者である金文明が噛み付いた。
「余秋雨ほどの大先生が明確な論拠も示さず
こんな駄説を述べるなんて・・・」
そう嘆き、猛反論を繰り広げていきました。
時は既にネット社会、余秋雨の「林和靖妻帯説」に議論が沸騰炎上。
ネット社会の怖さ、その議論は「林和靖妻帯説」を唱えた余秋雨への一方的な非難の嵐となっていきました。
なのに、「林和靖妻帯説」を翻さない著名作家の余秋雨。
食下がる金文明に対し、余秋雨は根拠を明示しようとしなかった。
逆に、「曹聚仁先生がそう述べてるさ」、そんな発言をして火に油を注いだ。
西湖夢 |
「文化苦旅・西湖夢」(余秋雨)
「数多有る西湖を語る文章を歴代の高名作家は大勢書いてきた。
その上でまた自分が書くなど愚蠢というものだろう。
幾度と無く逡巡したが・・・
或いはその湖水は帰結性の意義に満ちているのやも知れない。
やはり、避けては通れないのだ。」
そんな書き出しで始まる『西湖夢』。
「西湖が生んだ可愛的生命、彼女は妖そして仙」
淡々と白娘子(はくじょうし)を語り、さんざん林和靖を語った後でやらかした。
「梅妻鶴子有点煩難」 |
「然しながら、林和靖に追随するのは才の有無に拘わらず困難はあるまい。
梅妻鶴子には些か難が有る。その実、林和靖自身には妻も子も有った。」
なぜ、歴代の学者や作家は、梅妻鶴子の定説を否定することが出来るのか。
余秋雨は、林和靖の秘密を何か知っているのか。
杭州西湖、孤山の北嶺、処士・林和靖の墓。
時代が南宋に入り、杭州に臨安府(臨時政府)が設置されると、皇家の廟を築くために孤山にある史跡は撤去されてしまいました。
しかし、林和靖の墓だけはそのまま留め置かれたということです。
林洪・可山が生きた南宋の末期、その南宋が終焉を迎え元の時代に移行する混乱期。
孤山にある林和靖の墓が、盗掘されるという事件が起きました。
時の皇帝にあれほど称揚された林和靖ですから、きっととんでもない宝物があると思ったのでしょう。
しかし、墓の中にあったのは、
筆と、硯(すずり)と、簪(かんざし)が1つだけだったということです。
この簪がまた様々な憶測を呼びますが、この1000年に亘る騒動。
林和靖の子孫を名乗る者達と、それに対する非難の嵐。
知ったその時、孤山に眠る林和靖の魂は悲嘆をどれほどかこつのか。
「ワシの子孫を騙るとは、この不届き者が!」
そう怒鳴るのか、それとも、
『私の後裔になんという事をするのですか
なんとか助けてやれないものでしょうか』
そう嘆くのか。
そして元代に入り、日本に饅頭を伝えた林淨因命(りんじょういんのみこと)。
林淨因は、林和靖の子孫であると名乗っていました。
次のお話し:【実話系】梅と鶴の末裔(7)梅祖渡来
【メモ】まさか梅と鶴の子供ではあるまい(梅と鶴の末裔)
果たして林和靖には妻子が本当に無かったのか?
はいその通り、それが分からない。
無いはずなのに、有りそうで、中華の『林和靖萌えポイント』。
林淨因は中華では叩かれていません。
日本で林淨因が「林和靖の後裔である」と公言したなんて、そんなこと中華は知らなかったからです。
でも、後の世に日本では一部で叩かれていました。
「白娘子」のお話しを書いてるときに参考にした、中華伝説の解説本。
大学のセンセーが、孤山についてひとくさり述べた後でついでに、
「饅頭の発音は杭州ではマンディウ(mandiu)となる
日本に饅頭を伝えたとされる林淨因は林和靖の子孫
であるというが、まさか梅と鶴の子供ではあるまい」
原本は手元にないんですが、なんかそんな書きようでした。
実は、この記述を見て饅頭を調べ始めたら、こんなんになっちゃったんですけど。
そのセンセーに感謝。
明らかに林淨因を、姜石帚に代わってお仕置きしてます。
例の戯歌(ざれうた)まで引用しちゃって。
「林和靖には妻も子もない」、当時はそれが定説でした。
林淨因さんが林和靖の子孫であるためには、定説が覆らなければなりません。
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