本物の隠士、何かひとつ断絶したが故に得られる高み
梅と鶴の末裔(2)梅聖来訪
(杭州)
「和梅聖兪雪中同虚白上人来訪」
湖上玩佳雪、相将惟道林
早煙村意遠、春漲岸痕深
地僻過三径、人閑試五禽
帰橈有余興、寧復此山陰
(注:梅聖兪は梅尭臣の号)
自分がまだほんの子供の頃、虚白上人のお供をして林逋の庵を初めて訪れた。
あの日も雪が降っていた。
虚白上人が笠や肩に降り積もった雪をはたき落としてくれた。
庵の主人が嬉しそうに虚白上人に語りかけながら、火を熾(おこ)す。
雪に濡れた衣を火で乾かしていると、酒が出てきた。
酒とはまた珍しい、虚白上人が本気で喜ぶ。
つまみは木の実や瓜子(クワツ)だった。
別に虚白上人が僧侶だからそんなものが出たわけではない。
あれが、庵の主人の主食だった。
松下問童子,言師採薬去 |
「庵に名は付けたのか、林逋?」
「ありませんよ 」
「ならワシに付けさせろ、雪烏庵」
「もしかして雪の白とカラスの黒で、鶴ですか?
つまらないし、語呂が悪い」
「あはは、じゃあ熊猫亭」
「くだらない、花猫殿なら考えたげます
あばら屋に名など要りませんよ」
冬のさなかに開け放した連子窓、白く茫洋と広がる西湖。
雪に白く霞む鳳凰山、首を懐に突っ込んで浅い水辺に片足で立つ凍鶴。
幽避、小僧のくせに生意気にもそんなことを感じた。
林逋の庵には冬だろうが夏だろうが、不思議な清涼感が漂っていた。
禅の問答や書画の話に古今の詩を絡め、高尚な話題を軽妙に語り合う虚白上人と庵の主人。
小僧には難解だったはずだ、なのに飽きなかった。
そうかと思えば、どこやらの寺の坊主の噂話などを始めたりもする。
故意にこんな小島に住んでいる変人の如き庵の主人だが、来客は多いらしく、妙に情報通ではあった。
そんなおりに、自分にかけられた庵の主人のひと言。
『禅も書も画もね、一体なのですよ、詩もね
形が違うだけで、同じ物なのです、どれも』
そうなのだろうか、直感的には真実であるような気もする。
それが未だ理解できていないことも、自分で分かっている。
いつか日は暮れ、その日はそのまま三人で雑魚寝をした。
翌朝、庵を出立する折に虚白上人が首と背骨をコキコキ鳴らしながら、伸びをした。
いつも静謐な雰囲気をくずさない虚白上人がそんなことをするのを初めて見た。
そして自分にも、風景が違って見えた。
モノトーンの冬景色が、なぜか色鮮やかに見えた。
おそらく世界の見方が何か少し、変わってしまったのだろう。
それ以来、杭州西湖の孤山にある林逋の庵には幾度となく足を運んできた。
受けた影響はやはり大きいのだろう。
おかげですっかり、出世できない男になってしまった。
地方の小役人としてドサ廻りを繰り返しながら、なぜか詩壇でばかり妙に名が売れている。
養鶴図 |
林逋は生涯、妻帯をしなかった。
子も持たなかった。
あれだけの才を持ちながら、仕官もしなかった。
噂では、歩けばすぐそこの杭州城内にすら足を踏み入れなかったらしい。
林逋に初めて会って得た小僧の頃の第一印象、それは『 孤高 』だった。
今は違う、孤高というのは何か違う。
何かひとつ断絶したような、それ故に得られる高み。
汲々としながら小役人をやっている自分であればこそ、それを感じることが出来る。
もしも仕官をしたなら、或いは何か別の生業を持っていたとしても、
必ずなにがしかのバイアスがかかる。
そうしたらもう、あの高みは得られないのだ。
林逋のあの、一生、生き方、生き様。
あれは間違いなく、確信犯だったのだ。
おそらく林逋は、知った上で故意にやっていたのだ。
本物の隠士、林逋が断絶したひとつの何か。
それは一体、何だったのか。
林逋の世界、彼にはそれがどのように見えていたのか。
林逋の詩詞、編纂すればそれが少しは垣間見えるのか。
次のお話し:【実話系】梅と鶴の末裔(3)山園小梅
関連・参考:【メモ】林和靖と隠士文化(梅と鶴の末裔)
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