2017-08-24

報恩の茉莉花(お茶)

 考えろ茶仙はお前に問うている、手に捧げ持つ白い花束 

 報恩の茉莉花 

(ジャスミン茶) 



先生が来られた。

北京でこうして茶商を始めてからも、訪ねてきては何かと助けてくださる。

小僧の頃から折にふれ茶のことを教えてもらった。

この先生は品茶大師などと呼ばれるお茶の大先生だ。

なのに、お茶を嬉しそうに喫(の)む。


この先生ときたら、まず、茶葉を見たがる。

粉末の多いクズ茶だと、つまんで食べてみる。

茶壷(チャーフー)の中の、出涸らしを覗き込む。

品のない所作だが、この先生がそれをやると何か妙に格好よくなってしまう。

後に知ったが、これらの行為は茶の品質の確認手段ではある。


そんな先生の姿を見て、私はお茶が好きになった。

皆この先生に、お茶を淹れたがる。

茶を淹れる側ではなく、喫する側の大先生なのだと、いつも思う。


さて、お茶は何にしようか。

先ごろ茶農家で貰った茶葉があるが、高級ではないし、売り物ですらない。

龍井の明前もあるが、先生が好きなのはこういうお茶だ。


「千古秋、お前んちの茶は、おいしいなあ」


「なに言ってんですか、どんなお茶でも美味しいくせに」


「ところでこの、丸い点心はなんだ?」


「これは『もちだんご』という、安徽省の元宵です」


「ほう、安いお茶によく合うのう」


やはり気に入ったようだ。

本題にはいろう。


「ところで北方の人って、どんなお茶が好きなんでしょうね」


「ああ、それは熱いお茶

 ふーふーやったら、おいしい」


「そうじゃなくって、いま研究してるんですよ」


「あはは、じゃあプーアール茶」


「いきなり黒茶ですか、ちょっとキツイでしょ」


「北方だろ?、だから裏をかいて南方のお茶」


「南方のお茶?」


「だから、発酵茶」


そうか、茶はもとより南方の物、北方で飲んでもおいしくない。

運搬するうちに風味が変わってしまう、だから困っているのだが。

後発酵茶である黒茶なら、運搬法は考えればあるかもしれない。

雲南まで行かずとも、安徽省あたりで入手可能だ。


茶葉をすぐに殺青したら、緑茶。

自然乾燥したら、白茶。

半発酵が、青茶(ウーロン茶)

全発酵が、紅茶。

さらに発酵を推し進めたら、黄茶になり、

(こうじ)で人工発酵したら、黒茶(プーアール茶)になる。

人工発酵を進めるためには適度な気温が必要だ。

やはり寒冷な英国では、紅茶を飲むと伝え聞く。


「そうそう、紅茶に砂糖なんか入れるらしいぞ」


 どきっ!


「そ、それはきっと・・・、

 チベットあたりの真似でもしてるんでしょうかね」


しまった、頭の中で考えているつもりで、また口に出ていたようだ。

それを黙って聞く悪い癖が、この先生にはある。

南方のお茶か、そういえば、


「ところで先生、もらい物のお茶はお好きですか?」


「うん、だいすき」


「南方に仕入れに行った時に、商人宿で貰ったのがあるんですよ」


「おもしろい、やろう」


「まだやったことないんです、どんなかわかりませんよ」


すっかり忘れていた。

商人宿のオヤジは誰かから預かったようなことを言っていた。

こんな先生だ、茶器は景徳鎮にするか。



まず洗茶、茶葉に少しお湯を注ぎ、すぐに捨てる。

茶葉のゴミを洗い流して、ついでに茶壷(チャーフー)を温めるためだ。

改めてお湯を注ぐ。


 ただ待つ、話しもしない


静かに待つ、茶の湯で1番愉しい時間。

柔らかな香気、香気の中に感じる、何か別のパワー。

直接お茶を、茶杯に注いだ。


光のような香気、香気が目を射たような気がする、

尋常ではない湯気、湯気の中に何か見える。


  少女?  


少女が花束を捧げ持っていた。

湯気とともに、少女は消えた。


先生は、いつも空とぼけたようなあの先生が口をあけて、ポカンとしている。


「千古秋、おまえ、なにをした?

 これは、報恩茶じゃあないか」



思い出した、3年前 ─ 


やはり南方に茶の仕入れに出向いたときだ。

夜も更け宿に戻ると少女が外に立ち尽くしていた。

涙を堪えながら、


「父が死んだんです

 ウチにはお金がありません

 葬式はおろか埋葬もできず、」


父親の屍体はそのままフトンの中だと、少女は続けた。

他生の縁などあるものか、それは知らない。

商人の直感で、少女の話が真実であることは判った。

その時は手持ちの銭を与え、父親を安葬するよう言い含めて、そのまま帰した。


そして3年後の今年の春、仕入れのためにくだんの宿に出向くと、オヤジからそれを手渡された。

ひと包みの茶葉、あの少女からだという。

茶商の自分に茶葉の謝礼もあるまい、そのまま荷物に紛れてしまった。


2煎目のお茶 ─ 


少し温度を下げて淹れた。

やはり少女は現れた。

手に捧げ持つ、白い花束。


「先生」


「知らんよ、自分で考えろ」


知っている。

話しを聞いて、この先生は何かを了解していた。

なのに教えてくれない。


「考えろ、茶仙はおまえに問うていた

 まあ、茶でも飲めよ」


茶仙なのか?、あの少女ではないのか?


茶を喫む、わかった、閃きではない。

白い花束を見た瞬間から、気付くと答えは頭の中にあった。


想いのこもった茶に茶仙が依る、あるかもしれない。

ならば別段、幽霊が憑いた茶という訳でもないらしい。

あの白い花束は、茉莉花(まつりか)だった。

茶と茉莉花を併せせろといっている。


草花茶には茉莉花も使うわけだが、

菊花茶、野菊茶、菊花枸杞茶、三花茶(菊花+金銀花+茉莉花)、本草茶(蓮+決明+バラ+冬瓜)、これらは普段飲みの1種の薬湯だ。

清熱、明目、解毒消炎作用のある、所謂ハーブティーで、茶のカテゴリーには入らない。


花は見るものだ。

茉莉花のポプリを作って緑茶とミックス、可能だろう。

菊花茶をはじめとする他の草花茶でも、それはやる。


だが、より感覚に訴求するのが香りだ。

茶葉は、移り香がしやすい。

だから保管に気を使うのだが、逆にそれを利用して、


香り付け、というより、花の匂い物質を大量に吸着させれば、



  印象的な茶となるだろう   



気が付いたら、そんなことをべらべら喋っていた。

先生は、ただ微笑んで聞いていた。


咳払いをひとつ。


「先生、前にも茶仙を見た事があるんでしょう?」



翌年の春をまって新茶を仕入れた。

茉莉花は夜ひらく、そして香りを放つ。

宵闇のなか、半開の茉莉花を大量に採花した。


実験開始、茶葉と茉莉花を混ぜただけでは非力だろう。

花をもっと大量に使用する必要がある。

茶葉を敷き詰め、薄布を隔てて茶葉の上に、さらに花を敷き詰めた。

これを何層にも積み上げる。

一度だけではやはり弱い、花は何度となく取り替えた。


注)これは初期の古いジャスミン茶の製法です。

現代は、ジャスミンと茶葉を一緒に釜で炒ったあと、人手でジャスミンを取り除きます。


出来た、と思う。

研究を重ねていけば、だんだんと良くなってくるだろう。

茶の変質を防ぐ効果もあるかもしれない、花を入れ替えるタイミングにコツがありそうだ。

先生をお呼びして、試してみることにした。



1煎目 ─ 


 尋常ではない湯気

 少女が現れた

 かすかに微笑んでいる

 何か、先生の微笑みに似ていると思った



2煎目 ─ 



3煎目 ─ 



そして、その後も、

再び少女が現れることは、もうなかった。

もっとも、茶を点(た)てるたびに出現されても、それも困る。




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