滴る雨音、雨の匂い、雨の日に出逢った寿星
曽曽曽・曽祖父
(長寿伝説)
[関連・参考]【李青雲伝説(1)万州万安橋】(長寿伝説)
突然のにわか雨だった。
載渠亨(ツァイチューヘン)は時雨にかこつけて、酒店で一服することにした。
軒先から頻りに滴る雨粒、雨音、雨の匂い、雨に霞んでゆく。
雨で白くなる風景、雨に清められてゆく。
酒店の向かいの家では、何を催しているのだろうか。
門には灯篭をずらっと吊るし、この雨の中、人の出入りが頻繁にある。
何かの祝い事でもあるのだろう、鼓や笙(しょう)の音(ね)がここまで響いていた。
皇帝の目を掠めて重慶の楽温県まで遊行に来たはいいが、何石井(フーシーチン)あたりで雨に降られてしまった。
久しぶりの遠出、世情の視察ということにしておこうか。
ここいらで酒を呑むのも、民情の視察というものだ。
店内ではひとりの老人が、オヤジに頻りに話しかけている。
「なにしろなあ、酒が足りんのだよ
来客が思いのほか多くてなぁ」
酒肴を買いにきたらしい。
見たところ90歳ぐらいだろうか、元気なものだ。
「酒はとりあえず持って帰る
料理は後で届けてくれ
先にラーメンだぞ」
祝事のラーメンなら、湯餅会ということか。
(湯餅会(タンピンフイ) : お誕生日会)
向かいの家の者なのだろう。
誕生日に長寿を祈して、湯餅を食べる風習の地方は多い。
(湯餅(タンピン):麺料理、湯餅会で食べる麺料理を特に長寿麺という)
「なにしろ御祖父さまの150歳の誕生祝いだからな
来客ときたら100歳超の長老ばっかりで嫌になる
年寄りはもう煩(うるさ)くてかなわんよ」
うぷっ
酒に咽(むせ)る、載渠亨(ツァイチューヘン)。
何かの冗談か?
思わず向かいの家に目をやる。
4、50才ぐらいの壮年男性が、ちょうど家から出てきた。
店内に入って、老人に一礼し、
「お爺さま、傘をお持ちしました
そろそろ宴会が始まりますよ」
「そう、で、お前の傘は?」
「あ忘れた」
ぶっ
酒を噴き出す、載渠亨。
お爺さまの御祖父さまだって!
それは何と呼ぶのだろう?
仮にも皇帝に仕えて文星などと呼ばれてはいるが、そんな用語は知らない。
今度は少年が、傘をもって飛び込んできた。
嬉しそうに壮年の男に向かって、
「じいじ、傘だよ、パーティー始まるよ
早く戻って拝寿の礼、やっちゃおうよ」
ずてん
もうイスごとずっこけるしかない、載渠亨。
孫の孫の孫!
玄孫(やしゃご)の孫は ─ 昆孫(こんそん)。
それなら知っている、でも、そんなもの、初めて実物を見た。
えーと、子供のじいじのお爺さまの御祖父様?
なに、それ?
ここはその御祖父様の御尊顔を拝して、祝辞のひとつも垂れねばなるまい。
お爺さまとじいじが、向かいの家に駆けていく。
子供のうしろをノコノコついていく、載渠亨。
家の玄関口には杖を突いて、御祖父様が立っていた。
「おう、やっと戻ったか
今、傘を持ってな
迎えにいこうと思ったところじゃ」
異様に元気な150歳の御老人。
しかも、似たもの一族。
今、目の前にその7世代が打ち揃っているというのか。
それにしても見事な白髪、白眉、白髭も胸もとまで延びている。
これで手にした杖が桃の木だったら、まるっきり南極仙翁だ。
南極仙翁の正体は寿星、見たら寿命が延びるという星だ。
地平線近くの星だから、めったに見る事はできない。
御老人の前に進み出て、祝賀の口上を述べる、載渠亨。
「公公寿比南山(コンコンソウピーナンサン)
可ー喜ー可ー賀ー(クーシークーフー)」
貴方さまに於かれましては終南山の如き長寿
おめでとーさまにーごーざーいーまーすーー
受けた口上、その挙措、載渠亨が只者でないと察した御祖父様は、載渠亨を家の中に招きいれた。
玄関には傘が200本ほども並んでいる。
「よもやとは思いますが、お訊ねします
貴方様の御父上も居られるなんてコトは?」
「もう居りませんよ、そんなものは
去年、死にました」
「あ・・そ・・そーでしたか」
「いやいや、本日は真に有難う御座います
お越し頂いた記念に何か書いては下さいませぬか」
と筆を差し出してくる御祖父様。
文星・載渠亨も、望むところ。
優雅にしたためた、横書きの4文字。
花眼遇文
この句に意味などない。
強いていえば、『御老人と文の邂逅』。
「ほう・・『文』ですか、して続きは?」、と御祖父様。
載渠亨、にっこり笑って今度は縦書きで書き足します。
花甲両輪半
眼観七代孫
偶遇風雨阻
文星拝寿星
花甲(60年)の輪が2つ半
七代、子孫が揃うとは
たまさか風雨に行き遇いて
文星、寿星を拝します
さらに、落款がわりに小さく書き足しました。
『天子門生・門生天子』
(皇帝の僕(しもべ)・皇帝の師)
これを見て御祖父様もにっこり笑います。
彼こそが、皇帝の教師でもあり、また朝廷の宰相でもある、載渠亨。
そう察していたのかもしれません。
載渠亨は洪武皇帝に、この出来事を報告。
洪武皇帝もまたそんな長寿老人を祝賀して、楽温県を『長寿県』と名称変更したのでした。
重慶の長寿県にある長寿山。
その山中には、遍く何首烏(かしゅう)が自生している。
山の麓には,何石井(フーシーチン)という泉がある。
何首烏の滋味が溶け込んだ、その水をいつも飲んでるから長寿県には元気で長寿な御老人がいっぱい居るのだと、言い伝えられています。
その後、里人が皇帝に報いるために何石井を浚ったところ、井戸から千年何首烏が出てきました。
千年何首烏は皇帝に献上されたのですが、何石井は枯渇して埋められてしまいます。
記念碑は有ったらしいのですがこれも文革時期に撤去され、何石井跡地の位置は現在ではよくわかりません。
花は散り、消えいくもの。
『花(フア)』には「消費する」といった意味合いがあります。
子供のお小遣いが『花銭(フアチェン)』で、『花眼(フアユエン)』は「老眼」です。
『花甲(フアチャー)』は干支(えと)の十干十二支の1周分の年月、60年を費やすこと。
花甲が2巡り半で、60年×2.5=150年、というわけです。
『門生』は「門下生」と考えてください。
科挙の最終試験、殿試は皇帝自らが実施します。
その際に、皇帝と進士(殿試受験者)の間に師弟関係が発生すると考える。
合格者は天子(皇帝)の門下生というワケで、『天子門生』は「皇帝の弟子」。
『門生天子』は逆に「皇帝の師匠」という意味ですが、朝廷を揶揄して「宦官が帝位を作る」という意味あいもあります。
このお話は、四川省長寿県の縁起物語です。
長寿県は、重慶が上海と同じ直轄市になったので現在は「重慶市長寿区」となっています。
このお話では、載渠亨が洪武皇帝(明朝初代皇帝・朱元璋)の老師(先生)であり明朝初代の宰相という設定になっています。
ところがこの人物、正史にも稗史(はいし)にも登場しないのに、ただ名前だけが伝わっていて正体不明。
どこの誰かは知らないけれど、(好き者なら)名前はみんな知っている、という種類の人物です。
載渠亨(ツァイチューヘン)は対連の名人として名が伝わっていて、対連の逸話として同工のお話しがありました。
長寿老人の家を訪れた載渠亨、家の門に貼ってあった対連を見て感心してしまいます。
花甲重開,外加三九歳月
古稀双慶,内多七個春秋
これを147歳の老人が作ったのか!
花甲重開,外加三九歳月:2×60(花甲)+3×9=147
古稀双慶,内多七個春秋:2×70(古稀)+7 =147
長寿老人に出会った載渠亨は、興をそそられ対連を詠みました。
花甲両輪半,寿比南山,寿星眼観七代孫。
古稀双慶余,福如東海,福家丁盛二百人。
おそらくは、これがもともとのお話しなのでしょう。
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