驚異のヘアメークアーティスト、その名は李蓮英
西太后秘伝・豊胸クッキー
(枸杞伝説)
【前のお話し】尊老之道(枸杞伝説)
豊胸クッキーと豊胸茶 |
西太后がハゲた!
激震走る紫禁城
「ざまーみろ」なんて思ってはいけません。
彼女は彼女なりに、中華の近代化に腐心してきているのです。
その心労が、とうとう髪にきてしまったのです。
西太后は髪型に凄くこだわる御方、でも髪が脂性でただでさえ梳きにくい。
その髪が干乾びて切れ易くなり、ついに頭頂部がハゲてしまいました。
満族の女性(自称)として、髪を失うワケにはいきません。
一説には、粘土で作ったヅラを頭に載せていたともいいます。
そんな髪を梳くなんて危険極まりないこと、誰も西太后の髪を梳きたがらない。
その中で唯一人、驚異のヘアメークアーティスト、太監の李蓮英。
西太后と李蓮英さん(右) |
象牙と楊、大小粗密の櫛を巧みに使い分け、
李蓮英は西太后の悲嘆を心底慮って、その髪を梳きました。
しかも、綺麗に髪を結い上げる。
斬新な髪型を次々に考案し、毎日違う髪型が1ヶ月も続いた。
なのに、西太后の髪を1本たりとも損なわなかったといいます。
李蓮英は、西太后が葬式を出すまで、心底仕えた腹心でした。
ヘマをこいた太監がポコポコと処刑されていく中で、李蓮英は最後まで処刑されずに勤め上げて年金の給付まで受けました。
でも、引退後から最期にかけての様子はよく解っていません。
ただ、彼の墓の中身は頭部のみで身体が行方不明。
その墓も何者かに破壊されてしまったといいますから、西太后に仕えるということはどれ程に大変であったことか。
そんな李蓮英のおかげで、西太后も平常心を取り戻したのですが、
西太后46歳のある日、
症状が悪化しました。
お腹の調子が悪くて、いつも下痢ぴー。
大事な大事な残りの髪が、いよいよ抜け始めた。
またまた、激震走る紫禁城
そこで立ち上がったのが神医の誉れ高い馬文植と汪守正、そして李徳立の3人でした。
李徳立は英国人の伝教師ですから、きっと基督教には下痢と抜け毛に効く秘術があるんだと思います。
もっとも3人は、紫禁城から呼出し喰らってイヤイヤ行ったのかも、ですが。
診断の結果、長年の心労が祟って五臓が全て虚弱しているとして、食餌療法が採用されることとなりました。
数ヵ月後、西太后の黒髪は昔日の輝きを取り戻し、お体もますます御元気になりあそばされ、
清朝滅亡に向けて御突っ走りなされたのでした。
西太后烏髪食譜 |
この際に考案された薬膳のレシピが伝わっていて、これを『西太后烏髪食譜』といいます。
その食譜は漢方的にはいちいち理に適(かな)っているそうで、烏髪食譜=「黒髪レシピ」という料理の区分となりました。
あの西太后も食した美容と健康に大変良い薬膳、見たところ、黒ゴマと「枸杞子」が比較的に多用されています。
そしてそこから派生したモノか、
或いは単に騙(かた)っているだけなのか、
西太后秘伝の『豊胸クッキー』というモノがあります。
姉妹品の、『豊胸茶』もどうぞ。
能書きによれば、「他の箇所は肥らずにオッパイだけが豊かになる点心」と謳っています。
レシピを掲げます。
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『慈禧玉女豊胸酥』
(西太后豊胸クッキー)
材料:ピーナッツ,紅棗(干しナツメ),大豆,枸杞子
1.ピーナッツと大豆を磨ってパウダーにする
2.紅棗と枸杞子は切り刻む
3.全部混ぜる
4.水を添加して捏ねる
5.適当に形を整える
6.オーブン,150℃・10分間予熱
7.150℃,15~20分間加熱したら出来上がり
『黄蓍紅棗茶』
(豊胸茶)
1.マグカップに,黄蓍(きばなおおぎ)3~5片
2.紅棗3粒
3.熱湯を注ぐ
4.冷めたら飲む
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以上です。
枸杞子を使用した豊胸茶もありましたが、材料と製法がちょっと面倒なので割愛しました。
念のため、明記しておきます。
効かないと思います
効能書きによると「未発達な乳房の発育を促す」というものですが、
例え効いても、遺伝子の設定以上には発育しないと思うんですが、
第一、ぜったい硬くて不味いし。
食べられるものにしようと思ったら、素人目にももう少し工夫が要りそうです。
中華にはこういった、『豊胸点心』や『豊胸茶』がいっぱい有ります。
洋菓子にも若干は有るようですね。
まあ、変なサプリメントよりは余程良いんじゃないでしょうか?
或いは美容には、ということなら、多少の効果は有るかもしれません。
そう知った上で面白がって挑戦してみる、それは有りだと思います。
女性の胸の問題は、男性のチン○が無駄に元気になるなんて、与太話とは別次元。
悪巫戯化は、このぐらいで御容赦。
西太后はその出自も含めて謎の多い御仁です。
謎のひとつに、「西太后40歳でハゲ説」というのがありました。
西太后のための壮大な厨房。
膳房が8棟、108部屋、128人の厨師。
「据え膳!」、その一声でたちまち揃えられる100皿の料理と50種類に及ぶ点心やフルーツ。
その食材は、米の1粒まで吟味された。
奉天に出向く折の西太后の御用列車。
その4輌が料理のために独占された。
据えられたコンロが50基、厨師が100人。
1基のコンロで2種類の料理、計100皿。
そんなに料理を並べても、西太后の箸がとどくのはほんの数皿。
しかし心配無用、西太后がただ見る、それだけで太監が手許に持ってくる。
全ては、西太后ただ一人のために。
西太后は龍の眷属であるとして、ヘビとウナギだけは食べなかった。
西太后は「花の料理」を好んだ、特に菊花茶と蘭の花。
西太后は独自の美容術を持っていた。
西太后の壮大な浪費の言い伝え、西太后は良きにつけ悪しきにつけ、食文化に貢献した御仁ではあります。
だがしかし、西太后の死後ではありましょう。
覚書きのようなエッセイを何人かの太監が書き遺しています。
その中で語られる、西太后の苦悩や、李蓮英たちの苦労。
なんとか節のイベントや、来客のある折には、確かに豪奢な事をやったようです。
しかし、普段の食事は果たしてどうであったか?
西太后の普段の食譜と称するものが幾許(いくばく)か残っています。
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1881年3月20日
早膳(朝ごはん)[6:00~7:00]
里脊丁松子酱
鍋焼鴨子炒疙瘩英
里脊炒蒿杆
里脊丁黄瓜酱
馄糖居花饅首
蝴蝶巻
白棗蜂糕
晩膳(昼ごはん)[12:00~14:00]
里脊片燜雲扁豆
里脊丁花椒醤
煎豆腐盒
豆芽炒小白菜
蒜泥額腐
開花饅首
棗糖糕
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『饅首』は饅頭で主食ですから、料理はほんの6品目。
1日2食、夜は軽く点心のみでした。
信憑性のほどは分かりませんが、そんな証言もある訳です。
他に品数のもう少し多いような資料も有りますが、いずれは五十歩百歩。
普段の西太后の食事は、それほど豪勢では無かったかもしれません。
ただ、色のついた野菜を多種類取り入れている点には注意してください。
中華の国も、相も変わらずふらふらしてはいますが、ちっとは落ち着いて、
そのあたりの調査は最近漸く始まった、そんな感じがあります。
日本には西太后周りの資料や証言、相当に有るはずなんですけどね。
西太后の永い権勢
その基(もと)を食事に求めるなら、それは宮廷秘伝の料理でも奇異な食材でも無く、多種類の野菜をまんべんなくよく食べる。
時刻を決めて、朝・昼はしっかり、夜は軽く。
即ち、正しい食事。
これに尽きるのではと、考えるのです。
次のお話し:【異人赤脚張】
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