2022-01-01

  ネコ最強伝説 、 虎はニャンコ先生の弟子だった  

  生肖への道  

  (干支)  




太古太古のその昔、地上は一面の森林で多くの獣たちが暮らしていました。

虎と猫も一緒に暮らしていましたが、虎は大力だけの無能で猫は武芸十八般、虎は猫に弟子入りすることになりました。

猫は虎に一招一式と武芸を教え、ついに虎は尻尾で岩をも砕くほどの武功を極め、森の中では誰も敵うものがなくなったのでした。

思いあがった虎は猫のスキをうかがうようになり、とうとうチャンスがおとずれました。

猫が木の下で昼寝をしている、気配を消してそっと近寄り虎は猫に襲いかかったのでした。

ところが猫はすでに気配を察していて、跳び上がりざま助走もつけずに木の幹を縦に駆け上がると虎を見下ろしました。

後を追おうとした虎でしたが、木に登れません。

それもそのはず、猫は虎に木の登りかただけは教えていなかったのでした。

猫は虎に言いました。


「おい、勉強になったか?

 知人知面要知心、花言巧語不可信、まだちと頭が足らんな

 力と技だけは有るんだから、お前は天宮で門番でもやっておれ」


虎は木に登れない、と説く中華の民話です。

中原周辺の少数民族、羌(きょう)族とか彝(い)族とか土家族とか、は祖先が虎であったとする伝説を持つものも多く、中原で虎を崇拝するようになった文化の源流は楚文化でした。

きっと虎に襲われた際の対処法を伝える民話だったのでしょう。

そんな殷商以前の昔に猫が居たかは疑問ですが。


虎は天宮で門衛をするようになりました。

その頃の山王を司る生肖は獅子でしたが、天宮では問題が持ち上がっていました。

ちょうど地上では、黄帝と共工が戦ったために不周山という天の柱が折れ、女媧(じょか)が崩れ墜ちようとする天を支えるために犠牲となり、そのため人間界では妖魔がはびこるようになってしまっていたのです。

ところが獅子ときたら気まぐれで命じるようには働かないものだから、短気をおこした玉皇大帝が獅子をクビにしてしまった。

すると獅子は地上に降りて妖魔たちと一緒に暴れるようになってしまった。

あいた生肖の座に誰かを据えて地上を治めるにしても、そんなことが出来るものは居そうにもない。

困った玉皇大帝は神仙どもを庭に集めて相談を持ちかけますが、みんな獅子のことをぼやくばかりで案を出そうとしません。

見かねた太上老君が玉皇大帝に声をかけました。


「なら、門衛の虎衛士でどうですかな、玉帝」


「え、虎衛士? 誰よ、それ?」


「天界では知られていませんが、虎衛士はあのニャンコ先生に師事した武芸十八般

地上の山林では怖れられ、知らぬものはありません

だいたい、アンタが癇癪おこして獅子をクビになんか……」


太上老君が言い終わらぬうちに玉皇大帝は決めました。


「よし、そうしよう」


民話のなかの玉皇大帝のキャラはだいたいこんな感じです。

玉皇大帝が虎衛士に打診したところ、虎は言いました。


「それならもちろん朝飯前、大事も小事もわたしは全力であたります

ただ、お願いがあるのですが」


「ん、なんだ、いいから言ってみそ」


「はい、わたしが功を立てるごとに、わたしに玉帝から記功の一筆をくださいませ」


虎が地上に降りてみると、果たして暴れていたのは東方の獅子怪、北方の狗熊怪、西方の馬怪でした。

虎は獅子怪に挑戦するやあっさり討つと、つづけさまに狗熊を撃破し、馬怪を咬み裂いたのでした。

一緒に暴れていた有象無象の妖魔どもも人のいない山奥へと逃げ込み、人間界には平和がおとずれ、虎は人間たちの勇猛な英雄となりました。


なお、狗熊ってのはただのクマです。

狗熊(いぬくま)があるんですから猫熊もある、いわずと知れたパンダです。

え……パンダは熊猫?

ああ、それ、パンダ捕まえてちゃんと横書きで「猫熊」って表示してたんですが、当時のことだから右から読まなきゃいけなかった。

だから表示は「熊猫←」、これを今風に左から読んじゃったもんだから熊猫になっただけです。


虎が天宮にもどると、玉皇大帝は約束どおり虎の額に3本線の『 三 』の字を描いてくれました。

ほどなく天宮に届いた知らせによると、今度は東海で亀怪が暴れて人間界が大洪水になっているといいます。

玉皇大帝から再び聖旨をうけた虎は亀怪を討ちに出向きました。


虎視眈々、現代ではマイナスイメージですが、元来は、力のある者が敢えて力を矯(た)めながら機会を待ちチャンスとみると一気呵成に行動に移し事を成し遂げるさまを表します。

亀怪が水面からほんの少し首を出すのを虎は見逃しませんでした。

猛スピードで水面を駆け抜け、すれ違いにざまに亀怪の首に牙を立てると一気に咬み裂いてしまいました。

これを人間以上に喜んだのが東海龍王、すっかり亀怪に手を焼いていた東海龍王は虎に礼を述べると、虎の功を称えるために一緒に天宮まで来ることになりました。


なのに玉皇大帝ったらもうベッドにもぐり込んですっかり寝ていた。

そんなところへ来られても、虎だけだったら明日にしろよと追い返すところですが、東海龍王が一緒ではそうもいかない。

玉皇大帝はもう一筆、虎の額に書いてくれたのですが、寝たまま描いたものだから、横線を描いたはずが縦線になってしまったのでした。


『 三 』の字に縦線1本書き足して『 王 』の字、こうして虎は百獣の王、山に棲むものたちの山王となりました。

なおこの後、天宮の門衛は狗(いぬ)が引き継ぎ、やはり後に生肖に入りましたから、どうも天宮の門衛は出世コースのようです。


いろいろと大変なことが続くこの数年ですが、この寅年が一気に山々を駆け越えて朝へ、春へと走り抜ける年でありますように。


2022壬寅

2021-01-01

牛転乾坤

  本当にあった、干支は老子と荘子が決めた説  

  牛転乾坤  

  【干支】 


これは、老子と荘子のお話しです。

日本でなら、彼らの言葉を借りて高尚な人生訓が垂れられるのですが、残念。

中華の庶民はコイツらをそんな高尚には扱いません。




ある日、虎が荘子に言いました。


「荘子さま、私は老子さまを訪ねたいのですが、よかったらご一緒しませんか?」


「老子さまか、いいね、一緒に行こう」


「老子さま、何か大切なご用があるそうなんです」


正月早々ちょっとアレな話しですが、荘子は3連発で妻を失い意気消沈していたところだったので、虎は荘子を誘うことにしたのでした。


荘子の故事の有名どころは、荘周夢蝶鼓盆而歌(こぼんじか)


荘周夢蝶は、例の、荘子が夢で蝶になって、目覚めてから荘子が蝶になった夢をみたのか、それとも蝶の夢が今の荘子なのか分からなくなっちゃったという故事です。


鼓盆而歌は荘子が1番目の妻を病で亡くしたので、友人の恵施が見舞いにいったら、荘子は盆を叩きながら歌って踊っていたという故事です。

なんでも、宇宙も人も混沌から生じて混沌に還っていくんだから、何も嘆き悲しむこともないだろう、と言い放ったとか。

だったら歌い踊る必要もないだろうと思うのですが、これ、ダウト。


だって、その御友人の葬式に荘子は出席してるけど、鼓盆而歌なんて失礼なことしてないし。

荘子は2番目の妻には性格の不一致で逃げられ、3番目の妻を失った原因はどう考えても荘子自身が原因だし。

その3回目のあとで、荘子は悲しみのあまり仙人になって老子の仲間入りしちゃってるし。


その3回目は荘子戯妻というマイナーな故事ですが、めでたくないので割愛。

呂洞賓もそうでしたが、どうも中華の聖人は妻を自分の過失で失ったら仙人になっちゃう傾向があるようです。



その当時、老子ももう200歳オーバーだったはずですが、荘子を見ると大喜びで言いました。


「おう荘ちゃん、ちょうど好かった

 いや、混元祖師から呼び出しがかかってさ

 ちょっと嘉峪関(かよくかん)まで出向いてこいってんだよ」


嘉峪関といえば、老子が道教・徳経五千字を記して弟子の伊喜に賜った場所(と伝えられる場所のひとつ)ですから、荘子にとっても聖地です。


老子は青牛にのって、荘子は虎にのって、ふたりでのんびり出かけていきました。

嘉峪関のすぐ手前まで来たその時、祥雲にのった混元祖師が天から降りて来て、払子(ほっす)を振りながら叫んだのでした。


「はいっ、そこまでー」


荘子は師匠の老子より3歩後ろに居ましたから、青牛が前で、虎が後ろ。

突如、虎が青牛めがけて飛び跳ね、勢いつけて青牛を飛び越えようとする。青牛は角を振り回して阻止しようとする。

老子と荘子は「ひえぇぇぇーーー」


じりっ、じりっ、虎がまるで猫科の獣の如き身のこなしで青牛の隙を突こうと窺う。

青牛も身を低く構えて目を逸らさず、尻尾ふりふり虎の動きを許さない。

両者は相譲らず動けなくなってしまった。


すると、青牛の耳もとで「チューーーー」、ネズミが飛び出して先頭に立った。

振り向き、猛然とネズミを踏み潰そうとする青牛。

混元祖師が大慌てで、叫ぶ。


「こら、またんか畜生、天意は既に定まった、争いは不要である」


その声に、青牛が振り向いてみると、虎の後ろには、玉兎、金龍、烏蛇、斑馬に綿羊、玄猴、公鶏、毛狗が整然とならんでいて、その後ろから肉猪がちょうど走ってきているところでした。


「盤古が天地を開闢したはいいが、世の摂理はいまだ定まっておらなんだ

 これより、男女を問わずその年の生まれはその生肖を属相とする

 この序は、千古の時を経ようと不変である」


「そんなこと言っても、混元祖師さま、ネズミが……」


「だーかーらー、ちゃんと天意になってるだろー」


混元祖師が青牛を諭します。


ネズミは天地開闢にも関わったから、地支の先頭。

先頭っても、司るのは夜の天で水属性だぞ。

そして丑は地を司り、土属性。

実に牛は夜明け前から地を切り拓き、耕し、そうすることで草木が萌え盛る春を迎えることが出来るんじゃないか。


ほらな、これが天意なんだよ。

子が天で丑が地、子が水をもたらし丑がこれを享ける。

天地がしっかりしていないことには、

特に地の生肖こそは、お前のように盤石な者でないことにはだ、


「摂理が働かず、万物の流転もクソもないんだよ」


こうして十二生肖が定まり、地支は荘子が請け負うことになりました。

天干は老子が担当することになり、五行の木火土金水 × 陰陽の十干が配されました。

(え)、弟(と)とし、


 木の陽が(きのえ)で、陰が(きのと) 

 火が、(ひのえ)(ひのと) 

 土が、(つちのえ)(つちのと) 

 金が、(かのえ)(かのと) 

 水が、(みずのえ)(みずのと) 


ネズミの子は、陽・天・水 

牛さんの丑は、陰・地・土 


まずこの2つが機能しないことには、陰陽は廻りません。


丑は「春先に植物の蔓がうねり伸びる様子」を表す字で、晩冬に地中で春の準備が整っていく時季を指します。


って、まあそうなのでしょうが、中国語でも丑は“丑(チョウ)”ですが、

その繁体字は“醜(チョウ)”で不細工って意味になっちゃいます。

どうもイメージにそぐわない。


“丑”の現代漢字に相当するのは“(ニュウ)”なのでしょう。

意味も turntwistですから通じるものがあります。

なにより、『転乾坤(ニュウツァンチェンクン)』も『牛転乾坤(ニュウツァンチェンクン)』でもどっちも使う。

そういった自然の勢いは天地をもひっくり返す、という意味です。


丑年は、春の準備が地の中で着々と進んでいく時季なのです。



2020-04-07

名医の条件(神医)


 【おしらせ】 一壽は当面、お持ち帰りでどうぞ  



 一壽では、当面、電話で注文をいただいての、お持ち帰りでのご利用をお願いいたします。


 店内でご飲食の場合は、おそれいりますが、あらかじめ電話予約をお願いします。

 可及的に、同時に対応するお客さまは、一組だけにしたいと考えています。


 勝手ながら、どうかよろしくお願い申し上げます。




 コロナ禍に寄せて、神医扁鵲のお話し

 名医の条件  

 (神医) 



戦国期から秦代にかけての時代のお話しですから、もう2000年以上も前のことになります。

扁鵲(へんじゃく)と呼ばれた名医がありました。

まさかまさかの、「henjyaku[変換]」で一発で打鍵できたのには、実は少し驚いています。


本名は秦緩(チンフアン)、字は越人でしたが、黄帝の時代の神話上の医師に扁鵲という名医があり、秦緩もニックネームで扁鵲と称されていたのでした。

扁鵲は3兄弟の末弟でしたが、その3人ともがそれぞれ人に知られた医者でした。


ある日、魏の文王が扁鵲に訊ねました。


「あなたの家の3兄弟はみな医術の達人ですが、誰が一番に腕が立つのですか?」


扁鵲は即答しました。


「それはもちろん長兄です」


世間一般には、扁鵲が一番の名医ということでしたから、魏文王は訝ってさらに尋ねます。


「それは何故か、ご教示願えますか」


これに応えて、扁鵲はこのように述べました。


「長兄は、病が発現するまえに治してしまうのですよ」


長兄の治病は発病前に終わります。

患者自身には、病の自覚症状すらありません。

そんな初期のステージに、わずかの薬方で病根を絶やしてしまいますから、余人には彼がどんな医術を駆使したものか、見抜くことすらできないのです。

それ故に、他人の評判にはなりませんが、私どもの家中では大変に敬服されているのです。


次兄の治病は発病直後に終わります。

患者がこれからどのような病状を呈することになるか、まだ不確定で患者が苦痛を訴えるその前に、確かな処方で対処してしまいます。

なので郷人には次兄は小病専門のように思われてしまっています。


なのに、私の治病は発病してしまって症状が重篤になってからなのですよ。

患者さんは苦しみ悶えるし、患者さんの家人の方々も気が気でない。

そんな中で、私は経脈に穿刺し、放血し、時には毒を以て毒を制すような処置もします。

最終的には、手術に踏み切って病巣を切除するような真似までやる。

患者さんの家人の方々の目に前でです。

そのため、私が如何にも名医のように喧伝されているようですが、


「さて、一番に下手糞な医者は、私の3兄弟の内の誰なのでしょうね」


2000年も前の時代に、魏文王は、リスクマネージメントの大切さを知ったのでした。

もちろん、一番に好い処方は、初めから病に罹らないようにすることです。




2020-01-26

老鼠嫁女・禮鼠

  ついにネズミの婚礼の日取りが判明!  

  真説:ネズミの嫁入り 

  (干支) 


この鼠の嫁入りは西遊記のエピソード,右上に三蔵法師

旧くから、米穀商は倉神を祀ってきました。

倉神の誕生日は旧暦の1月25日とされていて、この日は填倉節といい、五穀豊穣を祈念して倉神を祭祀します。

主に北方の漢民族に見られる習俗ですが、地域により風習はさまざま、『填=天』『天倉節』とも称されます。


人々は家屋や倉の片隅にゴマや豆類を撒いたり、屋根裏や天井梁のきわに干飯や餅(ピン)を置いたりして、供え物を捧げます。

穀倉に見立てた絵や石台に穀物を撒いてます 

そして、夜は必ず灯りを落とさなければなりません。

暗闇の中、口も利いてはならず、黙って麺をすすったり点心をつまみながら過ごし、早々と寝てしまいます。

なぜなら、この日は倉神の婚礼が挙行される日でもあるため、邪魔にならないようにするのです。

首尾よく倉神の婚礼が成れば、倉の神が増えてくれるかもしれません。


夜半、チュー、倉神は供え物を引いて大喜び。

そう、倉神とは、実はネズミのことなのです。


だって、空っぽの倉にはネズミなんて出はしません。

ネズミが居るということは、それは豊かであることを意味するのです。


俵のねずみが米食ってチュー、日本でも米俵の上にネズミが座っている縁起物の置物なんかが有りますが、そういう訳で、


 ネズミ = 娘の結婚にも困らない程度の適度な財物の象徴


ということになりました。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇  


藁ぐろを花や稲穂で飾り付け

もっとも今時は、『嫁入り』なんて言い方もどうかと思うのですが。

そんな女性は家の付属物だなんて考え方は、周の時代の遺物です。

だいいち上海では、『嫁取り』だなんて言っちゃったら、男の方が万倍大変、長い独生児政策のせいでただでさえ男余りなのに。

正式な「嫁取り」となると、その労苦は日本の「婿取り」に匹敵します。

上海周辺の江南はもともと周礼とは無縁の蛮族の地域でしたから、現代でもカカア天下、結婚や家庭の主権は女性側にあります。

「日本版ねずみの嫁入り」だって、よくみれば、あれは『嫁入り』じゃなくって『婿取り』のお話しです。


ネズミは多産だから財物の象徴説は、中華ではマイナーなようでした。

日本でも多産は犬の領分だと思うのですが。

「おむすびころりん」ではお爺さんとお婆さんは、ネズミから小判入りの重箱や打ち出の小槌を貰っちゃいますから、日本のネズミも負けちゃいません。


倉神の正体はネズミ説だけに限らず、他に人の神格化説も普通にありました。

飢饉のおりに皇帝の食糧庫を強引に解放して民草を救う賢臣の話はいつの時代にもあり、そういった人が神格化して祀られた、という系統です。

そのひとつに、「項羽と劉邦」韓信が倉神として祀られているということでした。


また別に、『女媧補天』の故事に因む、というものもありました。

天井裏に餅(ピン)を置くのは、その餅は紅く着色していたりしますが、女媧(じょか)が天に空いた穴を埋めるのに使った五色の石の象征であるというものです。

天が壊れた原因は水神共工が大暴れしたためですから、中華の神様も正月早々迷惑なことをしたものです。

善意に解釈すれば、農閑期を狙った、ということにはなりますが。

なんでも女媧が補天したのが1月23日で、一段落した1月25日に女媧に謝意を捧げたものだということでした。

日本の「ねずみの相撲」では、神棚に供えた力餅をネズミに与えますが、この『女媧補天』の故事に通じるものがあって面白いなと思います。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇  


  【おまけ】煽り煽られ三千年、3000年前が現代を煽る!  

  礼節ネズミ 

  (節気) 



どうこう言っても、とはいえやはり、ネズミは嫌われ者。

それを逆手にとって、詩経に辛辣なものがありました。



   禮鼠(詩経) 


 相鼠有皮、人而無儀。

 人而無儀、不死何為?


 相鼠有歯、人而無止。

 人而無止、不死何


 相鼠有体、人而無礼。

 人而無礼、胡不死?



 ネズミでも体面は保つのに、威儀を知らぬ者がいるな。

 威儀も知らないというのに、何のために死なないのだろう?


 ネズミでも歯止めはあるのに、節度を知らぬ者があるな。

 節度も知らないでいて、死なないとはどういうことだ?


 ネズミだって体(體)はあるな、人には礼(禮)の無い奴もいるが。

 礼知らずは、早く死んだら?



鼠に小判、今年の鏡餅

うーんキツイ、煽る煽る、しかも漢字の駄洒落つき。

詩経は孔子の著作物、という訳ではなく、選りすぐりを編纂しただけですから、これは3000年近くも前のものということになります。

なんだか人間社会って、この3000年、あまり進歩してないような気がしてきました。





2020-01-12

鼠咬開天

  【中華トンデモ伝説】大宇宙は子年生まれだった?  

  子為地支首、鼠乃生肖先(鼠咬開天) 

  (干支) 



中国の2020年(庚子)記念郵票の図案は「鼠咬開天」

遠古の昔、いまだ天地が相咬む混沌のさなか、陰陽の分別もさだかではありませんでした。

上下の別も、方角も、おそらくは時の流れすらなかったかもしれません。


ただ揺らぐ混沌の狭間にふと小さな泡粒が生じ、その刹那にだけ泡沫の時が流れまた消えていく。

泡粒が消えると時もまた失せ、それは刹那でもあり永劫でもありました。

このような泡沫の時に過去や未来の別はなく、過去と未来が互いに干渉しあう、その存在は純粋に確率的で不確かなものでした。

なにかが在るためには、もっと大きな時の流れを必要とします。

幾星霜の時を経るほどに、その存在は確かなものとなってゆくのです。


そして遂に、偶発的にも泡粒が幾つか集まり小さなものとなると、時の流れを得たその小さなものは、カジッ、なんと混沌に噛みついたのでした。

小さなものが混沌を噛む度にまた新たな泡粒が生じ、次第に小さなものは増えていきました。

カジカジカジ・・・・・・、小さなものたちは、よってたかって混沌を小さく噛み裂いていってしまいます。

すると、清澄なものは浮き漂いながらやがて天を成し、混濁なものは沈み降りながら地と成り、しだいに天地が分開しながら、ゆっくりとゆっくりと時が流れはじめていきました。


徐々に天から陽(ひ)が降り始め、小さなものたちが像(かたち)を取り始めると、それは小さなネズミたちだったのでした。

ネズミたちが最後のひと噛み、カジッ、その瞬間、天地が分かれ、白昼と黒夜が生じ、爆発的に時が流れはじめ、

天干(十干)と地支(十二支)が定まると、ようやく森羅万象の存在が確かなものとなり、

そうして世の摂理となる陰陽が発動したのです。


なので、子の刻は真夜中。

(ね)は太極の陰の頂点からしだいに陽へと転換する刻限となり、ネズミは地支の支首に位置付けられました。

子年はまた、新しい年輪がスタートする年となるのです。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


十二生肖の役割分担図

スケールが大きいんだか小さいんだかよくわからないお話しでした。

ビッグバンを意識したら、うっかり宇宙を子年生まれにしてしまいました。


(ね)とは逆に、陰の成分が極小となり陽の頂点となるのが午(うま)で方角は南。

これが西脇市と明石市を通り、日本でも標準時となる『子午線』の名称の由来です。


2020年は庚子(かのえね)なので、あと24年たったら十干十二支が一周することになります。

干支の一周は60年なので、もう成人なされている方は、だいたい次の一回しかあたりません。

今年お生まれになる方や未成年の方なら、頑張れば2回過ごせそうです。


歳神さまが開催したレースに出場し、ネコをだまして牛の背に乗り一番乗りを果たしたからネズミが十二支の一番目。

そのネズミが乗った牛さんは、実は老子の青牛だったりしますので、そちらのお話しはまた来年にでも。

このお話しは『鼠咬開天』という「突破口を切り開く」という意味の成語(なのかな?)についてくるものです。


そういえば超弦理論によると空間は9次元で記述され、時間軸を足して時空は10次元に・・・、あれ、10干?

空間が3次元に見えるのは6つの余剰次元が小さすぎて見えないから、え、地支の陰が6個?

ま、いいか、天干地支は、ただの記号でしかありません。


干支にネコが入っていないのは、単に干支が出来たころにはまだ、中華にネコが居なかっただけじゃないかと思います。

なにしろ干支は殷の時代にもう有ったけど、ネコはシルクロード経由のせいぜい隋か唐代以降であったはずです。


一方、ヒトあるところにネズミあり、ヒトとネズミは万年来のつきあいです。

もともとネズミは『 倉の神 』として祭祀されていました。

穀物を食い荒らしてしまう人類の大敵のはずのネズミが実は食糧庫の神だった?

次回、「真説・ネズミの嫁入り」




2019-10-20

しばらくお休みします

 暫時休業のおしらせ(令和元年10月) 



 一壽 上海特色点心店は、店長の一時帰国のため、



    しばらく休業いたします。



 営業開始は、11月末~12月末ぐらいの予定で、未定です。


 店長が戻りしだい、あらためてお知らせいたします。


 ご迷惑をおかけ致しますが、なにとぞ宜しくお願いいたします。



         一壽 上海特色点心店





2019-04-24

山陽催事出店で、4月いっぱい、お店は臨時休業します



4月いっぱい、お店の方は臨時休業いたします




4月30日(火)まで、山陽百貨店の地下食品売り場での催事出店をいたします



 うちの、あの店長が、デパ地下で務まるのか? と、思ったのですが、

店長友人で助っ人の『 張さん 』が神戸そごうにお勤めだったそうです

近くの店舗の方々や、山陽百貨店の職員の方々にも好くしていただき、
おかげさまで、店長でも、なんとかかんとかやっているようです。

お世話ばかりおかけしているみなさまや、お客様に、
深く感謝いたします。 

店長のことですから、平気で試食をやりまくっています。

(ネットでばらしてるのは店長には)
内緒ですが、夕方になったら「余らしてどーする、もったいないよー」  とか言って、
閉店前には、安売りもしまくってます。 

ついでがあったら、立ち寄ってみてやってくださいますようお願いもうしあげます。

              (老二)

この期間限定になりますが、店長手作りの『あんこちまき』を売っています

 ふつうの中華ちまきとはまったく違って、
白い、もち米飯に、甘いアンコが絶妙に合います。

旧い動画で申しわけありませんが

Youtubeの『粽情漂香 』です。



2019-02-04

春節に『あんこ春巻き』?

  春巻きは中華の七草粥? ─ 初春の点心 

春節に『 あんこ春巻き 』?

(春節)


手前は崇明糕(蘇州の年糕),春節は春巻きと右上にもちだんご

 なんで『春巻き』なの?

 店長に訊いてみたら、なんのことはない。


 「 春節に食べるから『春巻き』よ~ 」


 そうだったのね。


 店長が初めて、あんこの春巻きを作ったときは、

 餡が、小豆のアンコだったわけですが、


 「またこれは、ふざけた点心、作りやがって!」


 と、思ったのですが …… 、

 春節ぐらいしか作らないけど、ご近所でも好評なのですが ……、


 ネット漁ったら、ホントにあんこの春巻きがありました。

 称して、『 豆沙餡春巻き 』


豆沙春巻き

 北京やハルピンあたりの北方では、『あんこ春巻き』

 江南あたりの南方では、おなじみ『野菜と肉の春巻き』

 ということでした。


 上海人がハルピンに行って、アンコ春巻きに出くわしたら、

 名古屋の小倉トーストに出くわしたのと同じくらい衝撃を受けるそうです。


 って、…… おい、…… 

 じゃあ、なんで上海人のあんたが、あんこ春巻き知ってんだよ!


 問い詰めたら、どうやら元彼(何十年前だよ)の母親に教えられたのだと白状しました。




 その昔、宋代の福州にひとりの書生さんがおりました。

 言ってはなんですが、中原からははるか彼方のど田舎ですから、これといって特に産業も無い地域です。

 もう少し南に降った広州や広東あたりならまだ貿易港があったのですが、だから逆にこのあたりでは科挙に挑戦する者も多かったのでした。


 この書生さんも家族のために科挙に挑戦、日夜、寝食を忘れて四書五経に没頭します。

 食事もろくに取ろうとしない書生さんに、妻が一計を案じました。

 書生さんの妻は、米粉の皮に、野菜の細切りや肉絲(ロウスー)を包んで、机を離れようとしない書生さんに食べさせたのでした。


 これが広まって、春巻きとなった。

 という起源譚ですが、春巻きはもともと米粉の皮であったそうです。

 麺粉(小麦粉)の皮になったのは、おそらく宋代以降のことでしょう。

 清代の、やはり福州金門の蔡謙という人の同工異曲の伝説がありますが、その伝説ではもう清代ですから皮は麺粉となっていました。


 となると、ピンと来ちゃう。

 ライスペーパーで包むベトナムの生春巻き、シャキシャキと美味しいです。

 中華よりそちらの方が、起源に近いんじゃないでしょうか。


 春巻きは、チマキに負けず劣らず起源の古い、節季の点心です。

 『 春巻き 』は元来、『 春餅 』といいました。




 江南の正統な春巻きに、『五辛春巻』というのがあります。


 五辛 = 「 葱、蒜、韭、蓼、蒿 」 が入った春巻きですが、


  : ネギ 

  : ニンニク 

  : ニラ 

  : タデ 

  : 菊科の野草ですが、おそらく ヨモギ 


 つまりは、冬の終わりの春先に採れる野菜を巻いた、春巻き。

 近代では冬タケノコも定番です。

 これを、春節や立春に食べた。


 日本の七草粥のように、冬の終わりの、春の初めに食べる節季の点心が、『春巻き』です。

 北方では春節の時季にはまだ野菜が採れないから、アンコで春巻きをつくったのかもしれません。


 そういえば、店長曰く、北方ではチマキの餡も豆沙のが多いそうです。




2018-12-27

巳呼迎盛世、亥算得高年

 巳呼迎盛世、亥算得高年。 



店長一時帰国のため、

1月末頃まで、臨時休業いたします。



『 (ツー) 』は中華ではブタさんですが、亥年も中華では ブタ年です。

(イノシシは中国語で『 野猪 』、ブタは『猪』ですが特に区別する場合は『家猪』ともいいます)


猪は 6千~1万年前から家畜化されていたらしく、家畜としての古さは犬といい勝負で、

六畜=「犬、羊、牛、猪(ブタ)、馬、驢(ロバ)」の首位とされます。


ブタはもともと、『 豕 』の字があてられていました。

『  』のなかには、いまでも(シ,ぶた)が一匹いて、お家の経済力を担当してくれています。


亥の月は 10月で、巳の9月に収穫を終えたあとの豊かな状態を示します。

また、翌年に芽を出すために、内に力を蓄えている状態でもあります。


ブタさんの存在は、決して単なる食料ではなく、人の生活にもっとも密着した重要な地位を占めてきました。

ブタを詠んだ漢詩はあまり多くなく、陸游や梅堯臣のもありますが、ここは豚肉大好き蘇東坡のを。


 食猪肉詩(蘇軾) 


黄州好猪肉、價銭如糞土。 

富者不肯吃、貧者不解煮。 

慢著火、少著水、火候足時他自美。 

毎日起来打一碗、飽得自家君莫管。 



うーん、宋代の古詩でもやっぱりブタさんは食料でした。

排骨酢豚、一壽 上海特色点心店の定番メニューになっています。



      己亥歳始 



2018-04-09

白娘子フォークロア(9)雷峰塔の倒壊

 道教 VS 仏教、千年修巧の真仙、白娘子の得ようとしたもの  

 白娘子フォークロア(9)雷峰塔の倒壊  

 (白娘子)




鞘に収めた剣、抜く ── 同時に突く。

突き切ったら引く、斬りも打ちもしない、抜くと同時に突く。

峨眉山の山深く、小青はそんな修練を繰り返していた。



小青は思い出していた。

もう500年以上も前のこと、まだ小蛇だった自分はここに居た。

あの時、猟師の罠にかかった白い小蛇を救おうと困っているところを、ひとりの人間の男が助けてくれた。

あの白い小蛇こそが今の白娘子、自分と白娘子の縁は、既にその時生じていた。

だが小青は、その男が許仙の前世であったことまでは知らなかった。


剣を鞘に収め、数抱えもある杉の大木の前に立つ小青。

対峙する、構えはとらない、距離は刀身の3個分。

気を矯(た)める。


《気を載せると同時に撃つ》 


抜く ── 気 ──  撃つ 


ぼすっ、と鈍い音をたて、こぶし大の孔(あな)が杉の幹を貫通していた。


孔の大きさを指先ほどにまで収斂(しゅうれん)、それが出来れば間合いを伸ばせるのだが。

もうそこら中の木は穴だらけだ。

気の載せ具合で間合いを変えられる、変化する間合い。

それを読まれなければ、勝機はある。

緊張を解いて、小青は考え続ける。


雄黄の剣、白娘子の遺した剣だが、彼女がいつ何処で手に入れたものかは知らない。

彼女はこの剣を使おうとはしなかった。

数年前、心停止した許仙を救うために彼女は崑崙山に出向いた。

その折にも携えては行ったが、結局使わなかったようだ。


数年間、毎日休まずコツコツ鍛錬、そんな事はしなかった。

1日丸々鍛錬、2日は休息。

2日ぶっ続けで鍛錬、3日休息。

3日眠らず続けて鍛錬、2日休息。

そうやって、今は7日間連続で修練を続ける事もできる。

スタミナ勝負、泥沼の白兵戦、それならばヘビに分がある。


白娘子に思いを巡らせる小青。


白娘子とは、ほんの1年ほどの縁だった。

彼女の一途(いちず)さ、それは千年修巧の真仙が採るべき選択ではない。

白娘子に逢うために傷だらけで戻って来た許仙。

雨の降る断橋で額を寄せ合って泣き伏す白娘子。

だが、最後は蛇であるが故に、雷峰塔に封じられてしまった。


確かめたいことが有る。

彼女が得ようとしたものは何だったのか。

結局それは得たのか、得られなかったのか。


そんな事を考える、小青自身が既に白娘子に感化されています。

千年修巧の白娘子が許仙にかまけるべきでないなら、小青自身が白娘子にかまけるべきではありません。

それを何故に白娘子を救おうとするのか、小青は自身でも理解してはいなかったでしょう。


袖振り合うも他生の縁、などと言いますが、

袖振り合うその縁、それは100年の縁。

そして夫婦となる縁、それは1000年の縁(えにし)


法海和尚の行方(ゆくえ)を追わねばならない。


小青は山を降り、杭州へと向かいました。



杭州西湖、南屏の浄慈寺。

小青はそこで、法海和尚の行方を尋ねようとしました。

ところが、法海和尚はそこに居た。


この坊主はずっと塔を看守して白娘子を呪縛し続けていたのだ。

しかも山門の外で待っていた。

知っていたのだ、自分が来るのを。

心構えの出来ぬうちに、いきなり決戦に突入してしまった。


法海和尚が手にした青龍禅杖、まずこれを封じねばならない。

(せん)の先(せん)、相手の攻撃の直前のスキを突いての攻撃。

法海に術を使わせてはならない。


「なるほど、しつこいものじゃな蛇というのは

 せっかく拙僧が見逃してやったものを、それを・・・」


杖を握る法海の左腕、くだらない能書き、言い終わる直前に抜き撃った。


法海の腕が消えた、青龍禅杖だけが立っている。

悠然と右腕に杖を持ち替え、法海が振る。


突風、膨大な圧力、横ざまに飛んでくる。

吹き飛ばされた。


法海の真言 ── 唱えさせてはならない、懐に跳び込んだ。

地獄の間合い、至近距離で法海の背に斬り付ける。


鈍い衝撃、斬れない。


法海の袈裟は、いや袈裟は斬れている。

法海自身の背中が斬撃を受けたのだ、信じられない。


法海の首、身を翻して斬り付ける。

法海の首が消えた。


妖物?

ヒトではない、何なのだコイツは!


やはり、正しい修行は出来なんだか


言いながら、首と左腕が生えてきた。

正面に青龍禅杖、また吹き飛ばされた。


雷峰塔の前で、仕掛け合う泥沼勝負に入った。

対峙する、法海の攻撃、その直前を衝いて斬撃を入れる、法海が受ける。

それが、延々と続いた。

法海は攻撃の全てを受けた。

こいつは、首と腕だけでなく、脚も消すことができた。

そして背中だけでなく、腹も斬れなかった。


泥沼勝負を続けながら、戦いは2日目の夜を迎え、3日目の朝になった。

全然平気だ、むしろ、攻撃のペースを上げていった。

法海は息を切らせ始めている、戦いながら気が付いた。

法海はカメだ、カメが変じて坊主に化けているのだ。


雷峰塔を背にして立つ法海和尚。

首を狙って、雄黄の剣を刀身全体で抜き撃った。

消える法海の首、代わりに雷峰塔の礎石が吹き飛んだ。

こうやって、雷峰塔を少しずつ破壊していった。

今、塔は傾(かし)いできている。


雷峰塔を背にして立った。

正面に法海和尚、法海の真言、青龍禅杖。


上から襲い来る圧倒的な圧力、構わず背を向け、雷峰塔に対峙する。

気を矯める、抜く、気 ── 全てを込めて、撃ち放つ

吹き飛ぶ雷峰塔の基礎石、塔が傾ぐ。

青龍禅杖の膨大な圧力、受けきれない。

だが、雷峰塔もその圧力に耐え切れなかった。


 ずんっ  


地響き、塔の内部で何かが破壊した。

轟音が上から降ってくる。

煙のように砂塵を巻き上げながら、雷峰塔がゆっくり倒壊していった。


想像以上に激しい砂埃、法海を見失った。

瓦礫の山に身を伏せる。

土埃(つちぼこり)の臭い、その中に漂う微かな蓮の花の匂い。

その時、強烈な朝日が差してきた。

白い光、法海和尚の姿が見えた。

そのまま目を見開いて突っ立っている、何かに怯えている。


素早く起き上がり、瞬時に気を矯め、抜き撃つ、

法海の左腕が青龍禅杖ごと吹き飛んだ。

法海が背を向けて駆け出してゆく。



瓦礫と化した雷峰塔、白い強烈な光、光の中に人影。

白い光の中には、蓮座に乗った普賢菩薩が立っていた。


「小青っ」、一声だけかけて普賢菩薩が駆け出した。

いや、白娘子だ、青龍禅杖を拾い上げ法海の後を追ってゆく。


たちまち西湖に姿を消した法海和尚。

白娘子が湖面を駆け抜け、蘇堤を突っ走る。

東浦橋から、再び湖面を駆けて、孤山路。


白娘子の金簪(かんざし)、小さな令旗に変じる。

小青が受け取る、青龍禅杖を振る、白娘子。


湖面が対岸の湧金門まで真っ二つに割れた。

割れ目を中心に湖水が津波のように西湖から溢れ出し、裂けた湖底に湖水が濁流となって流れ落ちる。

湖底が姿を現した、逃げる法海、北に向かって突っ走っている。


令旗を振る小青、湖底から大量のカニが湧き出して法海和尚に纏いつく。


カニに埋め尽くされる法海和尚。

白娘子と小青が追いついてみると、法海和尚の姿が消えていた。

ただ、小さなカニまみれになった袈裟だけが残っている。


どこに逃げたのか、ふと気付くと、カニが横ばいをしていた。

先ほどまではちゃんとタテに這っていたのに。


小青はカニを1匹捕まえ甲を剥いでみた。

中に小さな法海和尚が居た。

指先で捻り潰した。


気の毒なカニたちだ、法海なぞが中に逃げ込んだがために、横這いしか出来なくなっている。

やがては全てのカニが、横這いをするようになるだろう。


ふんっ、西湖の水は涸れたし雷峰塔も倒壊した。

白蛇は再び出現し、自身はカニの眷属が絶えるその日まで出られはしない。

そんな事は考えもしなかったろう。



その時、西湖に鳴き声が響き渡った。


 んもーおお  


何時の間にか、金牛が出現していた。

あれは一体、何だろう?

西湖の湖水が涸れそうになる度に出現し、水を呼び寄せる。

いずれ、自分たちヘビと同じく、水の眷属ではあるのだろう。


物凄い土砂降りがやってきた。

山が水を噴出して、湖の水位はたちまち回復していった。

白娘子が青龍禅杖を湖に投げ捨てる。


「ねえ、お姐さん」


白娘子に問いかけようとした。

だが、白娘子はじっと断橋の方を見つめていた。

間抜けなことに、やっと気付いた。


法海が北に向かって疾走していた理由。

白娘子が西湖を割ってまで法海を仕留めた理由。


雨に煙る断橋の大柳。

その下には、すっかり大きくなった子供の手をひいて、許仙が立っていた。


白娘子が得ようとしたもの。

それが何なのか、少し解ったような気がした。




2018-04-08

白娘子フォークロア(8)金の鳳冠

 満月酒の別れ、ついに法海和尚に調伏された白娘子  

 白娘子フォークロア(8)金の鳳冠  

 (白娘子)


雷峰夕照

翌年の元宵節(陰暦1月15日)、月が満ちて白娘子は子供を生みました。

色白で、ころころした感じの男の子、赤んぼの傍を許仙が離れようとしません。

くそ寒いのに鼻歌歌いながらオムツの洗濯なんかしてるし。

赤んぼが起きたら抱き上げ、寝たら寝たで寝顔をツンツン突いたりなんかしている。


「あんた居候なんだから、ちょっとはウチの用事しなさいよ」


姉が弟の許仙を叱り飛ばします。


「ごめん、ねーちゃん、今ちょっと忙しいから

 もうすぐ起きるの、こいつ

 あ、わるいけど哺乳瓶の消毒しといて」


どうにもしようがない、穀潰しの本領発揮。

ダンナさんも家に帰ってきたら、許仙や小青と一緒に赤んぼツンツンして喜んでるんだから文句も言えない。

許仙の姉も、苦笑するしかありません。


白娘子は産後の肥立ちの真っ最中だし、小青が雑用をしてくれるといっても、

この頃、一番大変なのは許仙のお姉さんだったことでしょう。


中華では生まれてから1年間は、出生日が毎月毎月ぜんぶ誕生日。

この子だったら1月15日生まれ、だから2月15日も、3月15日も、ぜんぶ誕生日として扱います。

中華で誕生日に食べるもの、それはラーメン。

いえ、本当です。

湯餅会(タンピンフイ)と称するラーメンパーティーをやるのです。

もちろん現代ならケーキだってちゃんと出ます。

でも、ラーメンも出てきます。

(この場合のラーメンを長寿麺(ツァンソウミェン)といいます)


そして、一番大事なのはやはり生後1ヶ月。

満月酒(マンユェチュー)という儀式をやります。

出生したらその当日に、父親が岳父と岳母(女房の両親)に御報告をしておきます。

岳父と岳母は『満月酒』に、衣服や玩具、揺り篭なんかの子供用品をプレゼントします。

端的に言って子供のお披露目パーティー、親類縁者や友人を呼んで宴会をやるわけです。


許仙もやります、満月酒。

許仙は無職ですが、義兄の李仁(リレン)は立派な立派な官僚さん。

広く周知して、それはそれは盛大な満月酒になりそうです。

もう、湯餅会と満月酒の同時開催をやっちゃいます。


白娘子は早朝から起き出しました。

髪を梳き、紅を差して化粧を整えていきます。

傍らで見惚れる許仙、実姉と小青が宴会準備でバタついてるってのにねぇ。


清明節の西湖、遠くの雷鳴、そぼ降る雨の、小舟の中で、

出会った頃の恥ずかしそうに俯く白娘子、白梅のようでした。

保和堂のカウンターでお澄ましの白娘子、桃の花のよう。

今、白娘子が装いを終え衣装を纏いました。


小春日和の陽が窓から差して黒く光る髪、

凛として、それでいて柔らかな面立ち、

立っている、ただそれだけで暖かい、

開花した桜。


次は何の花が咲くのでしょう?


遠くで雑貨売りの呼び声、雑貨屋さんの流し売り。

グッドタイミング、聞きつけた許仙は飛び出していきました。


今日は親類や友人がいっぱい来るのに。

身の回りの品は全部、保和堂に置き去りです。

白娘子のアクセサリーだっていっぱい有ったのに。

せっかくの満月酒、母親の白娘子をもっと綺麗にせねば。


許仙の目を引いたのは、鳳冠でした。

それも金鳳冠、ちょっと大き目のティアラみたいな髪飾りです。

ラッキー、ツキが回ってきた、なんて考える根が無精者の許仙。

鎮江で真面目に働いていたのは、白娘子の尻に敷かれていただけです。

さっそく買い込んで、女房の許に馳せてゆく。


「かあちゃん、金鳳冠だよ、ほら

 合うかなぁ、ちょっと被って見てよ」


胸に嬉しさが込み上げる白娘子、許仙に載せてもらいました。


金鳳冠が頭に吸い付く。

違和感、白娘子、脱ごうとするが脱げない。

髪ではなく頭に貼り付いている。


法海出現

金鳳冠が頭を締め付ける。

いや、吸い込もうとしているのか。

視界が暗くなり、昏倒する白娘子。


異常な金鳳冠、あの雑貨売りのオヤジは、まさか?


真っ青になり、外に飛び出す許仙。

家の前には、青龍禅杖を担いだ法海和尚が立っていました。

弄じた策が功を奏したのを知り、冷笑する法海和尚。


「月日が経つのは早いのう、もう満月酒で御座いますかな

 聞き及んで、拙僧も御縁を賜ろうかと思いましてなあ

 それにしても、人の助言を聞かぬ施主さまじゃ

 今日こそお救い申し上げますぞ」


言いながら、家に押し入ってきました。


倒れたままの白娘子。

金鳳冠に手をかざし、気を当てる法海和尚。

金鳳冠が、金鉢に変じた。


それは法海和尚が盗み出してきた、あの如来さまの金鉢でした。

法海和尚の真言、輝き、光り始める金鉢。


金鉢の白光を浴びて、白娘子の躰が衣装の中で崩れていった。

騒ぎを聞いた小青が駆けつけ、法海和尚に跳びかかろうとしたが、白娘子はそれを制し、


永鎮雷峰塔では鎮められて終わり

「あんた・・大事に・・ね

 子供・・・お願い・・ね」


よろける許仙、どうしていいのか解らない。

声も出せずに、頷きながら、

抱き上げた子供に母親を見せようとしました。

でも生後1ヶ月、未だ目も開かぬ赤ん坊に母親が見えようはずもない。


この子は、母親の顔を知らないまま、


涙が溢れ出した白娘子の顔、徐々に縮んで小さくなっていく。

手を延ばそうとするが、その手はもう無かった。


  白い蓮の花が散り 

  一筋の白煙 


法海和尚は白蛇を金鉢に放り込んで、持ち去っていきました。


南屏山の浄慈寺、そのすぐ手前の『雷峰』

そこに法海和尚は金鉢を埋めて、塔を建立しました。

後に、この塔は『雷峰塔』と名付けられます。


 西湖水干、江潮不起。 

 雷峰塔倒、白蛇出世。 



法海和尚の偈(げ,仏教の予言・定理)


 西湖の水が涸れるまで、

 銭塘の涌潮消えるまで、 

 雷峰倒壊その日までは、

 白蛇再び出ずる能わず。





西湖の湖水が流れ込む銭塘江では、満月の大潮には毎年、津波のような大逆流が起こります。

南米アマゾンのポロロッカの中華版、8月18日が潮神の誕生日なのでそんな大逆流が起こります。

毎年毎年それが分かっていて、見物人が何人も巻き込まれて流されるのが中華クオリティ。


法海和尚の偈の「江潮不起」は、この涌潮(海嘯現象)を指しているんだと思います。

大学のセンセーの訳本では「江湖起こらず」なんて訳でしたが、それじゃ「戦乱が起こらず」になっちゃうし。




2018-04-05

【メモ】京杭大運河 ─ 中華伝説の必須アイテム(白娘子)

【メモ】京杭大運河 ─ 中華伝説の必須アイテム(白娘子) 


京杭大運河

今回、拾ってきたお話しの原文では「・・・回杭州来・・・許仙来到西湖断橋辺」

許仙がどうやって鎮江から杭州まで戻ったのか、道のりがよくわかりませんでした。


そこで、「白娘子永鎮雷峰塔」を確認。

白娘子が結婚資金を両替商から妖術で盗み出して、その罪が許宣に被っちゃっいます。

許宣は蘇州へ流刑、その折に、杭州から蘇州までたった1日かそこらで到着している。


あれ?

杭州から蘇州までの移動なんて、最近でこそ高鉄で 上海 ─ 杭州 1時間半 +上海 ─ 蘇州 半時間ぽちぽちだけど、でも、あれ落ちたり燃えたりするし。

宋代に1日で移動なんて出来たのか?


そこで店長に質問してみたら、すると、


「知らない、でも上海から蘇州に行く船便は以前は有った」


え、船便?

もう1回よく読んでみると、許宣は蘇州まで文字通り船で流されていました。


京杭大運河、長江-淮河-黄河をまたいで、杭州から北京まで続く大運河。

紀元前486年から工事が始まって、西暦600年頃には開通していたようです。

そんな素敵なアイテムが有るなんて、それまで知りませんでした。


でもそう言えば「長江と黄河は水路で繋がっている」なんて話しは聞いたような。

残念ながら、長江以北は水路が寸断していて現代では船舶の航行はできないようです。

江南運河はまだ生きていて、店長調べでは、上海─南京の観光船がかろうじて残っているようでした。


うん、おしい、杭州-蘇州間の船便があったら、それが江船だったりした日には、乗りたい日本人はいっぱいいるだろうに。

なんか、近ごろは日本人向けに蘇州おしてるし。


大運河と、長江や黄河を始めとする7大水系と、そこからさらに張り巡らされた運河と。

Google地図で辿ったら、なんか杭州から北京まで、今でもボートで行けそうな・・・。

科挙の時代の昔の人は、なんでこんなにポコポコ遠距離を移動出来るんだって思ってました。


乾隆皇帝の下江南も、伍子胥が袋詰めで流されたのも、陸游も大運河じゃないけど船の中で生まれてるし。

その答えは、大運河でした。


ヨーロッパもそんなんだそうですね。

家なき子のレミが、運河を船であちこち旅してる。

上手に運河を辿ったら、ヨットで何処でも行けてしまう。 

素敵だなあ、日本じゃ考えらんね。


せっかくなので、許仙には杭州まで自分でボートを漕いで帰ってもらうことにしました。

たぶん大運河には関所があったはずですけど、そこは適当。

第一リアルなら、定期船があったはずだし、荷船に乗せて貰ってもOKだし。

わざわざ苦労する必要は微塵も無い。

鎮江-杭州間の320km って設定も、Google地図で適当に距離を測っただけです。

自分で漕ぐんだし時速 10km/hr弱で計算して、杭州には朝に着くように鎮江は夕方に出発。


行程に使用した計算値のメモ。


 時刻   地点  区間距離  総距離  消費時間
17:00  鎮江  0km 0km 0hr
翌 1:00  常州  70km 70km 8hr
7:00  無錫  50km 120km 6hr
10:00  蘇州  30km 150km 3hr
翌翌 7:00  杭州  170km 320km 21hr



2018-04-02

白娘子フォークロア(7)断橋相会

 自分達だけが知る秘密の場所、杭州西湖へ  

 白娘子フォークロア(7)断橋相会  

 (白娘子) 



許仙は蒼白な顔で、鎮江の街を駆けていた。

保和堂薬店へ、白娘子のもとへ、許仙は駆け続けた。


脱出するのに半月近くかかってしまった。

監禁されて、翌日から脱走を試みた。

壁面は到底、破れはしない。

床下から逃げ出そうとしたのだが結局、床板すら外せなかった。


剥れてしまった爪が2枚、それを見て冷笑を浮かべたあの和尚。

法海和尚、あれは一体何者なのだ?

小青と白娘子は?

次第に色濃くなる焦燥、不安がつのる。


脱出路は天井にあった。

10日ほど前にどういう訳か、天井裏からカニが落ちて来てそれに気付いた。

それからずっと機を伺っていた。


ここ数日、法海和尚は外出することが多いようだった。

そして、昨夜は遂に戻らなかったのだ。


半月もかかってしまった、保和堂薬店、中に駆け込んだ。


人の気配がない、ふたりとも姿を消していた。

小青、あの少し気の強い義妹。

白娘子、女房の腹には子供がある。

それが、ヘビだと?

それでも、ふたりは無事なのだ。

仮にヘビだとして、調伏されたなら、ならば、法海和尚の挙動は必ず違ったものになったはずだ。


手がかりは無かった、当然だ、自分も手紙や書置きを置いていくような真似はできない。

だが、ならば何処を探せばいいのか?


保和堂の看板を外して大事に仕舞い込んだ。

グズグズしてはいられない。

法海和尚が来る、必ず探しにやって来る。

法海和尚の外出、あれは、女房達を探しに出ていたのだ。


傷の手当をした。

身の回りの物、少量の薬剤、家に有る食料、僅かの銭、衣類や家財にまでは手が回らない。

大急ぎで纏めて保和堂を飛び出した。

再び此処に戻ることは有るのか、わからない。


古運河、小船に潜んで日暮れを待った。

自分達だけが知る共通の場所、杭州西湖へ。


日暮れ前に漕ぎ出した。

江南運河に出る。

杭州と北京を結ぶ京杭大運河、その長江以南が江南運河だ。

紀元前には開通していたと伝え聞く。

その起点の鎮江は即ち水運の要(かなめ)、だから鎮江を選んで薬店を開業した。


杭州までの約320km、漕ぎ通す決心は固めていた。

江南運河の流れは幸いほとんど南向きだ。


古運河 ─ 常州

常州を通過したのは真夜中だった。

そのまま、漆黒の中を通り過ぎる。

こんな夜更けに運航している船は全く無かった。

暗闇に舟を漕いでいると、つまらぬ事を考える。

女房は本当に蛇なのか?


あの和尚が言うように、もし、本当に蛇だったなら、その時は、

その時は、だったらどうだと言うのか?

わからない、その時は、どうすれば好いのか分からない。

金山寺の、尋常ではない法力、あの法海和尚の言うとおり調伏すべきなのかもしれないが、しかし、


しかし、無職の穀潰しが、白娘子と出逢ってからは、他人並みに生活を送ってきた。

それを、こんな、理不尽な、

一家離散、なにか、根本的に納得できないものが腹の裡に居座って、

おのれの無意識が、全力でそれを拒否している。

まさか、自分はほんとうに、白娘子や小青がヘビでも構わないと、思っているのか?


古運河 ─ 無錫

夜が明けて早朝、無錫(ウーシー)に着いた。

手も腕も大丈夫だ。

鉄製の薬船(薬材を磨る器具、薬研)を毎日使ってきた。

手の皮は分厚く腕力だけはやたら有る。

だが足はダメだった、踏ん張り過ぎて水脹れになっている。

破って水を抜き消毒、酷く痛むが眠気覚ましになるというものだ。

食料と水を仕入れて、再び漕ぎ出した。


昼前には蘇州に着いた。

少し眠ろうとしたのだが眠れない、神経がささくれ立っている。

漕ぎ出そうとしたら櫂(かい)が折れた。

足の速そうな小船を盗んで乗り換える。

ついでにもう1本、櫂も盗んでおいた。

水と食料をもう少し調達、それから再び漕ぎ出した。


古運河 ─ 蘇州

蘇州を漕ぎ出したのは、まだ昼前だったはずだ。

なのにすぐ夜になってしまった、そんな気がする。

気付いたら何も考えず、ただ舟を漕いでいた。

何時の間にか、櫂が取り替えてあった。

また、櫂が折れたのだろうか?

いつ取り替えたのか覚えていない。

塩を少し、舐めた。


手の皮が破れていた。

闇夜に漕ぐ舟は、本当に前に進んでいるのだろうか?

だが右舷の彼方に山影、星明りに沈んでいる。

山影は、次第に見覚えのある形になっていった。


早朝の杭州、江南運河を外れて舟を捨て、西湖へと走った。

右手の前方、断橋が見える。


杭州は真夏になっていた。

断橋の大柳、湖を吹き渡る夏の風に揺れる鮮やかな緑の枝垂れ。

以前のままだ、懐かしいとも帰って来たとも思わない。

帰って来たのではないのだろう、白娘子たちを探しにきたのだ。

水を飲み、そのまま気絶するように眠り込んだ。


目覚めた時には、もうすぐ夕暮れだった。

断橋から西湖を眺め渡す。

やはり、小青も白娘子も居なかった。

曇り空から雨が落ちてきた。

断橋の大柳、ほんの半月前まではケンカしながらも普通に忙しく暮らしていたのに。

無職の穀潰しが得た普通の暮らし、今はもう離散してしまった。

次は何処を探せばいいのだろう?


「老(ラオ)ー婆(ポ)ー呀(ヤ)ー、小青(シャオチン)ーー」、夕暮れの西湖に許仙の叫びが木霊した。



西湖の湖底、気を練る小青。


こんな湖でいくら気を練ったところで、あの法海和尚に勝てる気は全然しない。

白娘子は戻って以来ずっとトグロを巻いて、「あんた、ごめんなさい、あんた、ごめんなさい」

そんなことを言っているが、無理は言えまい。

第一、彼女は子供を宿している。

白娘子が虚脱した顔つきで戻ってきた。


「どうだった、お姐さん」


「うん、まだみたい」


白娘子は時折、「あの人が来る」そう言っては断橋を覗きに行っていた。

もちろん許仙が断橋に来ている訳はない。

もしかしたらもう、あの法海和尚が言ったように、許仙は出家してしまったのかも知れない。


今朝がたは、「あの人が来た」そう言って見に行ったのだが、やはり許仙は居なかった。

昼間も見に行っていたが、許仙が居るはずはなかった。


「あ、声が、ほら小青、許仙の声が・・・」


そして夕刻になり、白娘子が今度は「声が聞こえた」と言い出した。

これに及んでさすがに心配になってきた、お姐さんのあとを追って湖面に上がった。

断橋の大柳の下、そこには許仙が居た。


落ち葉を拾って気を吹きかける。

小舟に変じて、お姐さんを乗せた。



雨の降る夕暮れの西湖。

断橋の大柳の下、何処にも動けずにいる許仙。

こちらに向かって来る小舟、なにか琴線に触れるもの。


髭まみれで手も足も満身創痍の許仙、すっかり痩せ細ってしまった白娘子。

くず折れる許仙、歩み寄りへたり込む白娘子。

ふたりは額を寄せ合って泣き始めた。


「あんた、・・・わたし、・・・ごめんなさい

 わたしたち、本当は・・・」


許仙はゆっくりと顔をあげ、白娘子の瞳を見つめ、手をあげて、

指先で、白娘子の唇に触れた。


「俺たちは、夫婦、だよな?

 俺はね、あんた等が無いと、ただの穀潰しなんだよ」


小青の胸を、何かが衝いた。


明らかに、自分の正体を白状しようとする白娘子を、許仙はとめた。

許仙は、こいつは、いったい何なのだ?

許仙はどうやって、あの法海和尚から逃れて戻ってきた?

白娘子には、なぜ許仙が戻ってきたと分かった?

このふたりは、いったい何なのだ?

言い知れぬ思いが、小青の胸に去来する。


こいつ、試してやろうか ── 


小青は、術を解き、青蛇の姿にもどって、鎌首をもたげてみた。

許仙は白娘子の頭を掻き抱いたまま、目を向けて、


「なにやってんだ、小青?

 でも、あんたらが無事で本当によかったよ

 オレがヘタこいたばっかりに、すまなかった」


清波門 ─ 現在はもうない

だから、このふたりはいったい何なんだ。

小青は何をどう解釈すれば好いのか分からないまま、許仙に声をかけた。


「さあさあ、逢えたんでしょうに、泣いてばっかり

 お義兄さんもどーするのよ、逃げ先、考えてよね」


「うん、・・・清波門に行こう」


またまた、姉の家に転げ込んで居候だ。

それも今度は、一家丸ごと。


夕闇迫る西湖、雨の中を小舟で清波門に向かった。






2018-04-01

【メモ】海部元首相の金山寺味噌(白娘子)

 【メモ】海部元首相の金山寺味噌(白娘子) 


海部元首相

金山寺といえば、そう、金山寺味噌。

鎮江(ツェンチャン)の金山寺で修行したお坊さんが和歌山に持ち帰ったとも、その坊主は空海だったともいいます。

違いますけど。


とりあえず鎮江の金山寺には、実際に『金山寺醤』と称する金山寺味噌があります。

ウチの排骨酢豚も、鎮江香醋という黒酢を使っています。

で、日本人が鎮江を訪れたら、金山寺で味噌を舐めることになっている。


でも残念ながら、日本の金山寺味噌は法燈国師径山寺(チンシャンスー)から持ち帰ったもの。

法燈国師の足跡は、金山寺(チンシャンスー)には及んでいません。


長江と焦山

ところが、2010年の4月のことでした。


海部俊樹元首相が、総勢75名で鎮江にやって来ました。

午前中は焦山を訪れて、午後から金山を訪問します。

海部元首相は中部日本書道会会長も歴任した立派な書道家でもあられ、焦山ははずせません。

(おっと、更新が2013年で・・、まさか・・)



焦山碑林のイーフーミン

焦山には石刻や石碑がいっぱいあり、これを焦山碑林といいます。

この焦山碑林には、『鶴銘(イーフーミン)』という石碑、というか摩崖仏ならぬ摩崖書があるのです。


この摩崖書がまた伝奇的。


その昔(AD510年頃?)、ある書法家が、飼っていた鶴が死んだのを悼んで銘文を刻みました。

(イー)”は「埋葬」を意味します。

鶴を飼うのが往時の文人墨客のある種のステータスになったのは、この故事が発端かもしれません。

これを陸游蘇東坡をはじめ、歴代の高名な書法家がみんな訪れ、臨書したり自分でも石刻を残してみたりしました。


そのため焦山碑林には、古の文字の書体がほとんど全て揃っている。

それ故、この鶴銘を『大字之祖』ともいいます。


イーフーミン

ただ、その『ある書法家』が誰か、諸説紛々でわからない。

わからないけど、一応、その有力候補に、王義之(おうぎし)の名も挙がってます。

王義之も2羽の鶴を飼っていました。


昔は長距離を移動するのは船で大運河、鎮江はその拠点でした。

それは通りかかったら、「ちょっと寄って行って臨書して行くか」となったのでしょう。


鶴銘は永年風雪に晒されて、北宋の時代に剥がれて長江に落ちてしまいます。

南宋になってから、運河の河川工事の最中に、5片の石塊となって長江の川底で発見。

史書を調べて「これはあの伝説の鶴銘だ」ってんでビックリ。

ところが明代の朱元璋の時代に、また長江に落ちちゃった。


次は清代の康熙帝の時代、大規模な捜索が為されて長江の川底から浚ってきた石塊が1000個あまり。

丹念に照合と検証がなされて、鶴銘と思われるものが数個。

もう落ちないように寺で保全されるようになったのは、乾隆帝の時代になってからでした。

刻んである文字は、当初160文字弱だったはずが、今は半分ほどになっているそうです。

2010年にも「長江から鶴銘らしき石塊があがった」というニュースがありましたが、真偽はアレです。


鶴銘は誰が作ったかはっきりしないけど、一応、王義之かもしれないという代物。


海部元首相は興味深げに観察し、そこに掲げてあったひとつの書に目を奪われました。


 天 上 大 風  


こ、これは、・・・「天上大風」といえば・・・良寛さんじゃないか!

良寛さんが子供にせがまれて、凧に書いたのが「天上大風」

それが、なぜか、ここに有る。


職員さんが解説をします。

(元ネタの新聞記事からは、発言したのは中国側の職員さんか日本側かは分かりませんでした)


「これは江戸期の著名な書法家の良寛さんの書です

 良寛さんは、鶴銘を模写して名を成しました」


「おお、良寛さんの書をここで見るとは、また親しみを感じますね」


あらら、苦しいお返事。

「へー、なんで良寛さんが中国の鎮江にあんのよ?」、ってツッコんで貰ってよかったんですが。

ホントにそんなのいつも有るのか、海部元首相用に掲示したのか知りませんけど。


それはたしかに良寛さんは王義之を研究したし、鶴銘は王義之かもってことになってるけど、

「天上大風」には王義之の風格があるそうだけど、

 良寛さんが鶴銘で、ってのはどうなのよ?


1825年、大嵐のため峨眉山で橋が1つ落ちました。

橋の欄干だか橋桁だかは、江を流れ、長江を下り、日本海に出て、1826年、岩手県柏崎市の宮川の浜に流れ着きました。

当時、折れた橋杭の「峨眉山下橋」の文字を見て、良寛さんは萌えまくった、という話しでよければ、有るようです。

良寛さんは、行きたくて行きたくて、でも、鎖国だから。

現在の峨眉山には、良寛さんの詩碑があるそうです。


 題蛾眉山下橋杭(沙門良寛)


 不知落成何年代(去年ですよ良寛さん) 

 書法遒美且清新(きっと峨眉山のお坊さんの書ですね)

 分明我眉山下橋(峨と我を掛けて?、萌え萌えですね) 

 流寄日本宮川濱(見たのが良寛さんでよかったです) 



その折れた橋杭は今でも貞観園で保管されてるそうですが、もしロシアに流れ着いてたらゴミじゃん。

日本に流れ着いて、良寛さんが知ったから、『宝物』になったんです。


日本海側では、今でも、大陸からゴミがいっぱい流れ着きます。

現代では、バーゼル条約で変な廃棄物は越境禁止ですから、ゴミは全部、着払いで大陸に送り返してよいと思います。



 海部元首相は、午後から金山寺です。

金山寺には、『金山醤(チンシャンチャン)があります。

日本の金山寺味噌の発祥は、径山寺です。


元首相は、ひととおり寺を見学して、方丈の心澄和尚にお尋ねになりました。


西太后60歳記念の慈寿塔

「日本の金山寺味噌は、金山寺が発祥ですか?」


方丈の心澄和尚が、笑顔で応えます。


「金山醤是源自我們金山寺的,現在還在做」


─ 金山醤は私ども金山寺が発祥です

  今でもまだ、作っておりますよ


「おお、これで私は朋友たちに金山寺味噌の由来を語ることができます

 私の説を、金山寺の方丈が証明してくれたのですから」


え・・・あの、元首相...なんか、誤解してね


元首相は自分の書を、金山寺に寄贈したそうです。


うん、日本の黒歴史、いや是非とも大切に保管してくださいね。

言っとくけど、あいつら記録魔だから、本気で永遠に保管しちゃうよん


「鎮江のお酢は日本でも有名です

 ウチにも鎮江黒酢が有るんですよ

 鎮江黒酢を飲んでるから、ほら私はこんなに元気!」


そう言って、海部俊樹元首相は金山寺を去っていきました。


いや、あの、鎮江香醋は飲むものじゃなくて、料理に・・・。

それに、どうせだったら、他に聞くことが・・・。


法海禅師の正体とか、許仙はどうやって逃げたのとか、

雪舟のこととか、


あの涙でネズミを描いた雪舟は、留学して金山寺にもしばらく滞在しました。

鎮江では、雪舟は「禅と絵画を融合した傑物」として、芸術家筋では有名だそうです。

きっと金山寺には、雪舟の墨絵だったらあると思うんですが、どうなんでしょ?

1956年に鎮江の画家が描いた、雪舟の絵画がありました。


金山寺味噌をなめる雪舟

海部元首相、いつまでもお元気で。

縁があったら、ウチの排骨酢豚も食べてくださいね。




2018-03-31

【メモ】法海禅師の白蛇伝説(白娘子)

【メモ】法海禅師の白蛇伝説(白娘子)



「白蛇伝説」は、実際の風俗や地理や施設を舞台に制作されました。

許仙と白娘子の「保和堂」も杭州には実際にあり、作者はお話しの中に盛っています。

「貧乏人には無償で処方します」は、どうも実際の保和堂がやっていた事のようです。

この保和堂が、民間伝承の『白娘子』では鎮江に移転しています。


現在も杭州には「保和堂」があり、店先には許仙の像(しかも西湖に遊びに行くとこ)がありますが、

清末に一旦廃業しているので、現在の「保和堂」が白娘子に縁があるかは怪しいところです。

もしかしたら、許仙と白娘子にもモデルがあったかもしれません。


法海禅師にはモデルが有り、とりあえず実在しました。

きっと徳の有るお坊さんだったのに、『白娘子』ではすっかり悪者にされてしまい気の毒な事です。


ただ、「法海」なんて法号は史料のなかにはいっぱい有り、どの法海さんが白ヘビを調伏したのかが分からない。

それは、霊坦という武則天の子孫だとも、また潤州にあった鶴林寺の僧の法海さんだとも、他にも幾人かの法海和尚がありました。

古法海洞

おそらく、時代設定の宋代とは限らず、『白蛇伝説』が成立した時期以前に居た「法海さん」であったはずです。


金山寺の開祖は裴頭陀(ひとだ)という、唐代の宰相だった裴休の子、とされています。

この裴頭陀さんと、実際に居たであろう「法海さん」が併さって、『白娘子』「法海禅師」になったと考えられています。

以下は、その裴頭陀さんの伝説です。




唐代のお話しになります。

裴頭陀さんは幼い頃にお寺に出されました。

「含悲送子入空門、朝久応当種善根」という父親の裴休さんの詩がありますから、きっと深い事情は有ったのでしょう。

この裴頭陀さんが通常は「法海禅師」として語られますので、以下、法海禅師とします。


当時の金山は、「浮玉」という長江に浮かぶ小島でした。

この小島には、晋の時代に創建された澤心寺という寺がありました。

法海禅師がこの澤心寺を訪れてみると、人が誰も居らず、堂于も荒れ果ててしまっていました。


「浮玉」は長江に浮かぶ小島なので、幾つも洞窟があります。

その洞窟のひとつに白蛇が棲み付いて、人々を害するようになったため、誰も来なくなってしまったのでした。

法海禅師は白蛇と格闘、激闘の末、白蛇は長江へと逃れていきました。


法海洞で修業中の法海禅師

その後、法海禅師は寺を再興する志を立て、白蛇が棲んでいた洞窟で修行を重ねます。

この洞窟は現存していて「法海洞」と称し、拝観可能です。


ある日、法海禅師は寺の補修で土木工事をしていて大量の金を発見します。

金20両を一束にしたものが数個、といいますから、現在の金相場でもせいぜい 2~3千万円ほどでしょうか。

法海禅師はネコババせずに、鎮江の太守に届け出て、鎮江太守は皇帝の唐宣宗に報告します。


坊主丸儲けにせずにちゃんと届け出た法海禅師に、唐宣宗はいたく感心。

出土した金は法海禅師に下賜され、そうして現在の金山寺が興りました。



白龍洞

うーん、ヘビは金気(かなけ)が好き、蛇は金の神でもありますから。

裴頭陀さんが財宝を掘り当てたのが事実にせよ伝説にせよ、これが先で、白蛇はあとから湧いて出たんでじゃないかと思うんですが。

そんな大量の金が埋まってたなら、きっと白蛇が護っていたはずだ、なんて。


金山には幾つか洞窟がありますが、法海洞と別に、『白龍洞』というのがあります。


金山寺で法海禅師に捉われた許仙は、そのあと自力で脱出します。

その際に、許仙に同情した小坊主さんが、許仙白龍洞に逃がしてくれた。

此洞直通杭州西湖

この白龍洞杭州西湖まで続いていて、許仙は西湖まで逃げることが出来た。

おっと、許仙の自力じゃありませんでしたが、そんな伝説があります。

洞窟の中には、白蛇と青蛇が祀ってあって、お賽銭あげて拝んだら恋が叶うようです。


なんか白娘子が、ちょびっと神格化してるし。

でも、なにも、敵の本拠地に店を構えなくても・・・。

白龍洞の白娘子

お賽銭はきっと、ぜんぶ法海さんが貰っちゃうんだよ。






2018-03-30

白娘子フォークロア(6)金山水没事件

 帰らぬ許仙、待ち受けていた法海和尚、第1バトル  

 白娘子フォークロア(6)金山水没事件  

 (白娘子)


鎮江の金山寺

如来さまの説教、もう何年こうして聴いて来ただろう。

蓮坐の下、16人の仏弟子たちの読経。

覚醒した、自分でそう感じた時にはもう、法術が身に付いていた。


自分は草叢で甲羅干しをしていただけなのだ。

そこを子供に捕まった。

子供は「お父さん、草亀だよ」、と親父に手渡した。

親父はあろうことか、自分を売り飛ばした。


甲羅を割られて調理されてしまおうという、まさにその時。

また、自分を譲り受けた者がいた。

それは変な瘋癲和尚だった。

その変な和尚は妙な言い掛かりをつけて、銭も払わずに自分を譲り受けたのだ。


変な和尚は「お前さんもドジだなあ」、そう言って自分を放り投げた。

投げられて、気が付いたら、西天の蓮池の中にいた。

以来毎日、自分は蓮坐の陰で如来さまの説教を聴いてきた。


沙羅双樹の下で瞑想する如来さま、これはチャンスではない。

あれは眠っているようでいて、恐ろしく鋭敏になっている。

水音ひとつ、枯葉ひとつ落ちても、それを知っている。

それが今の自分にはわかる。


そして、チャンスは突然にやってきた。

どうしたことか、今日は誰もいない。


如来さまの三宝  金鉢袈裟青龍禅杖

盗み出して下界に駆け戻った。

ここはひとつ、坊主に化けるとしようか。

法術は誰にも退けはとるまい。

法力無辺、海裂山崩、名は『法海』とした。


江南、やはり水の傍がいい。

鎮江、長江の畔(ほとり)だ。

金山と焦山の山勢、長江の壮大で優美なうねり。

気が一点に集中している、理想的だ、金山寺、ここにしよう。



草ガメは、鎮江の金山寺に棲み付きました。

秘密裏に妖術で住職を殺害して自分が取って代わり、法海と名乗りました。


次に、鎮江の街に疫病を撒き散らします。

そうすれば、庇護を求めて香を焚きに大勢の人が参拝するだろう、という作戦です。


ところが、法海和尚の疫病が流行らない。

どうもおかしい、調べてみると、保和堂の処方が効いているらしい。

『避瘟丹』『駆疫散』、なぜ人間にそんな医薬が処方できるのか?


法海和尚は、諸国行脚の僧に化けて保和堂の様子を伺いにやってきました。

見ればなるほど、若夫婦が忙しそうに製薬をしている。

くそ腹立たしい、近所で聞き込みをやってみると、女房の白娘子の処方だといいます。

そこで白娘子をよく看てみると、


 人ではない? 


あれは、白蛇、じゃないか。

如来さまの説法で覚醒したカメが、白蛇ごときにしてやられる。

そういうわけにはいきません。

白娘子が2階に上がった隙を突いて、法海和尚は店内に入り、


「施主さま、商売繁盛で結構で御座いますな

 どうぞ、拙僧にも御縁を賜りますよう」


と合掌。


「どんな縁を賜るの?」、と許仙。


「7月15日は盂蘭盆会、当金山寺でも法会を執り行います

 どうぞ施主さまも御来寺賜り、ご焼香なされませ」


許仙、喜捨をして檀家帳に名前を書いてしまいました。


あっという間に、7月15日

許仙は早起きして身繕い。

白娘子に、


「かあちゃん、今日は金山で盂蘭盆会だってよ

 オレたちも行って、ちょいと焼香してこよう」


「私は無理ですよ、金山を登るなんて」


と膨らみ始めたお腹をさすりながら、白娘子。


「アンタ行って来なさいよ

 焼香すんだら、とっとと帰って来んのよ」


ひとりで金山寺を訪れた許仙、山門をくぐったとたんに、法海和尚に捕まった。

そのまま寺の庫裏に連れ込まれ、


「よう来なされた、実はお話が御座いますのじゃ

 貴殿の奥方、あれはな、紛う事なき妖精じゃ」


「うんそーだろ、妖精なの、やだなあ、もう」


法海和尚、慈悲深く微笑みながら、


「無理もない、魅入られておるのう

 アレはな、白蛇が変化したものじゃ

 ワシには看えるんじゃよ」


脳裏を過ぎる、端午節の出来事。


「もう家に帰るのは止しなされ

 ワシを師として仏弟子になるのじゃ

 ワシの法術があれば、あんなヘビはな

 恐るるに足らん、よいかな、施主どの」


 ぽかっ 


坊主頭を張り倒す許仙、思わず首と手足を引っ込めそうになる法海和尚。

許仙、立ち上がって法海和尚に指突きつけて、


「ほう、クソ坊主、よく分かったな

 そーだよ、ヘビなんだよ

 もうすぐ、そのヘビの子も生まれる

 だがな、おい、ヘビは女房じゃなくってな、」


許仙は自分を指しながら、凄みを効かせて、


「 俺なんだよ 」


そのまま立ち去ろうとする許仙だが、足が動かない。

法海和尚の妖術、許仙は法海和尚に監禁されてしまいました。



帰らない許仙、不安が募る白娘子。

許仙が出掛けて、もう4日目です。

今日の天気は荒れ模様、小青とふたりで長江の岸辺に向かいます。


長江は白波がたって大荒れ。

揺れる小船に乗り込む、白娘子と小青。

小青が船の艫(とも)に立ち、ひと息吐いて、川面に気を叩きつける。

漕ぎもしない小船が大荒れの長江を、白波を切り裂きながら猛スピードで突っ走っていきました。

金山の船着場、登っていくと、山門で小坊主さんが掃除をしていました。


「こんにちは、小さなお師父さん

 お尋ねしますね、許仙って人が来てないかしら」


「うん、居るよ、奥さんが妖怪なんだってさ

 だから、お師さまが出家するよう勧めたんだけどね

 聞き入れないもんだから、今、お師さまに閉じ込められてるんだ」


聞いた小青、もの凄い形相で、


ちょっとそのハゲ、呼んできな

 ちっとばかり、話しがあるから


大慌てで石段を駆け上がる小坊主さん、見あげる白娘子と小青。

そこには法海和尚が立っていた。

石段を降りながら、


「人を誑かす妖蛇めが、我が法術を破りおって

 許仙は既に我が仏弟子となった

 苦海無辺回頭是岸、仏の慈悲を以って退路は絶たぬ

 正しき修行を積み直すのじゃ

 ならば見過ごそう、もう人の世に現れてはならん

 さもなくば、拙僧の無情を知ろうぞ」


白娘子、怒気を込めて、


「夫を返してください

 あんたは和尚、ウチは薬屋

 何の因果があるのです

 変な無理強いは止してください」


法海和尚、いきなり青龍禅杖を振り下ろす。

突風、吹き飛ぶ立木の枝、白娘子と小青を襲う、膨大な圧力。

足許の石段が割れる。


腹の中の、子供、受けきれない。


金山の船着場まで退却して、金簪(かんざし)を抜く白娘子。

振りかざす、水紋波浪の令旗に変じる金簪。

小青が受け取り、令旗を振った。


金山の山じゅうから蟹が湧き出し、山門に逃げ込んだ。

荒れ狂う長江の波濤、膨れ上がる。

吹き荒れる風と共に、洪水が湧き起こった。

山肌を這い上がり、山門に立つ法海和尚に向け鉄砲水が雪崩れ込む。


袈裟、慌てて脱ぎ広げる法海和尚。


鉄砲水を受ける袈裟、長大な堤防に変じる。

波頭に立ち、令旗を振る小青。


第2波、さらに大きな洪水、大木を薙ぎ倒す。

堤防を越えようとする洪水、さらに高くなり延びる堤防。


第3波、さらに延びて堤防は洪水を防ぐ。


スーパー堤防に変じた袈裟、真言、法海和尚が唱える。


洪水が土石流となって、山肌を削りながら長江に雪崩落ちた。


御しきれない、撤収。


白娘子と小青は、波濤吹き荒れる長江へ身を投げた。



杭州西湖へ、仰せの通り、修行を再び積み直す。

そして、夫は必ず取り戻す。