【メモ】京杭大運河 ─ 中華伝説の必須アイテム(白娘子)
京杭大運河 |
今回、拾ってきたお話しの原文では「・・・回杭州来・・・許仙来到西湖断橋辺」。
許仙がどうやって鎮江から杭州まで戻ったのか、道のりがよくわかりませんでした。
そこで、「白娘子永鎮雷峰塔」を確認。
白娘子が結婚資金を両替商から妖術で盗み出して、その罪が許宣に被っちゃっいます。
許宣は蘇州へ流刑、その折に、杭州から蘇州までたった1日かそこらで到着している。
あれ?
杭州から蘇州までの移動なんて、最近でこそ高鉄で 上海 ─ 杭州 1時間半 +上海 ─ 蘇州 半時間ぽちぽちだけど、でも、あれ落ちたり燃えたりするし。
宋代に1日で移動なんて出来たのか?
そこで店長に質問してみたら、すると、
「知らない、でも上海から蘇州に行く船便は以前は有った」
え、船便?
もう1回よく読んでみると、許宣は蘇州まで文字通り船で流されていました。
京杭大運河、長江-淮河-黄河をまたいで、杭州から北京まで続く大運河。
紀元前486年から工事が始まって、西暦600年頃には開通していたようです。
そんな素敵なアイテムが有るなんて、それまで知りませんでした。
でもそう言えば「長江と黄河は水路で繋がっている」なんて話しは聞いたような。
残念ながら、長江以北は水路が寸断していて現代では船舶の航行はできないようです。
江南運河はまだ生きていて、店長調べでは、上海─南京の観光船がかろうじて残っているようでした。
うん、おしい、杭州-蘇州間の船便があったら、それが江船だったりした日には、乗りたい日本人はいっぱいいるだろうに。
なんか、近ごろは日本人向けに蘇州おしてるし。
大運河と、長江や黄河を始めとする7大水系と、そこからさらに張り巡らされた運河と。
Google地図で辿ったら、なんか杭州から北京まで、今でもボートで行けそうな・・・。
科挙の時代の昔の人は、なんでこんなにポコポコ遠距離を移動出来るんだって思ってました。
乾隆皇帝の下江南も、伍子胥が袋詰めで流されたのも、陸游も大運河じゃないけど船の中で生まれてるし。
その答えは、大運河でした。
ヨーロッパもそんなんだそうですね。
家なき子のレミが、運河を船であちこち旅してる。
上手に運河を辿ったら、ヨットで何処でも行けてしまう。
素敵だなあ、日本じゃ考えらんね。
せっかくなので、許仙には杭州まで自分でボートを漕いで帰ってもらうことにしました。
たぶん大運河には関所があったはずですけど、そこは適当。
第一リアルなら、定期船があったはずだし、荷船に乗せて貰ってもOKだし。
わざわざ苦労する必要は微塵も無い。
鎮江-杭州間の320km って設定も、Google地図で適当に距離を測っただけです。
自分で漕ぐんだし時速 10km/hr弱で計算して、杭州には朝に着くように鎮江は夕方に出発。
行程に使用した計算値のメモ。
時刻 | 地点 | 区間距離 | 総距離 | 消費時間 |
17:00 | 鎮江 | 0km | 0km | 0hr |
翌 1:00 | 常州 | 70km | 70km | 8hr |
7:00 | 無錫 | 50km | 120km | 6hr |
10:00 | 蘇州 | 30km | 150km | 3hr |
翌翌 7:00 | 杭州 | 170km | 320km | 21hr |
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