2017-07-18

皇帝の御筆(点心皇帝)

 ここはお前の家じゃない、和尚さんの悲劇 

 皇帝の御筆 

 (点心皇帝) 



霊隠寺

杭州の政治的、経済的な重要性を鑑み、なればこそ乾隆皇帝は杭州を視察します。

その証拠に、今回は西湖に異常がないかゆっくり視察したあと、周辺の山々まで視察することにしました。

山といっても、標高が200-300m程度の山ばかりなので視察するにはもって来いです。


「ああ、玉皇山だ、優美だなぁ

 あれはな、玉龍が山になったのだ

 その龍はな、金鳳のタマが好きだった

 金鳳のタマだから鳳タマ、金タ○ではない

 そのタマの雫がこぼれてな、西湖になったのだよ」


やめてください。

玉龍は、女性の格の代表。

金鳳は、男性の格の代表。


皇帝がそんなこと言ったら、男性のタマを女性が好きだったから雫がこぼれて西湖が生まれた。

そんなことになっちゃっいます。

玉龍と金鳳の磨いた玉が落ちて、西湖になったんです。

下品な伝説を作らないでください。


今日もくだらないことを言いながら、行幸は続きます。

 

霊隠寺、あの済公活仏が修行したという由緒ある山寺。

乾隆皇帝がやってくる、というので大わらわ。


鐘を突きまくり、太鼓たたいて寺中の僧侶を呼び集め、卸したての袈裟に着替えて香を炊き込め、手に手に法具を持って、

全員で皇帝をお出迎え、その数300人余り。


坊主300人が「なーもあーみだーんふぉ」と合唱しながらぞろぞろ行きます。

地元の茶農家の方々も驚いた。


「おい、ありゃ何だ、誰か死んだっけ?」


「いや死んでない、何があったんだろう」


ふもとの石蓮亭で皇帝一行をひろって、霊隠寺までご同道。

杭州の地方役人も加わってその数、推定500人余り。


地元の茶農家の方々、驚きません。


「おい、あれ見ろよ!」


「なんだ、また乾隆皇帝か」


乾隆皇帝は霊隠寺の境内を見学、和尚様自らご案内です。

緑に萌える山々、きれいな清水が湧き、艶々の赤い花が咲き乱れています。


霊隠寺庭園

「いーなあ、気に入った

 ところでさ、済公和尚がさ

 材木調達した井戸って、どこ?」


「えっ、醒心井ですよね

 それは浄慈寺です

 ウチじゃありません」


 「あ、そっか、ここは霊隠寺か

 済公和尚が逃げ出した寺だっけ」


 「・・・・・・・」


 「お腹が空いたな、お昼ごはん、ある?」


霊隠寺が気に入った乾隆皇帝、ご飯を食べると言い出しました。

大慌てで準備、酒膳を整えます。


ほろ酔いで詩を吟じる乾隆皇帝、たいへんに上機嫌。

詩も吟じれば書道もやります。

そんな乾隆皇帝は自称『風雅皇帝』、誰も言わない、自称ですが。

今度、生け花も習います。

乾隆皇帝は実際に、「俺は史上最も幸せな皇帝だ」と言ってのけています。


ひと息ついた和尚さん、つまらないことを考えつきました。

そこで、ヒマそうに飯を食っている地方役人に相談。


「ねえ、皇帝直筆の扁額(へんがく)がさ

 ほしいんだけど、いけるかな?」


「扁額?、なにそれ?」


「ほら、あのお寺の軒下なんかにかかってる

 『羅森全家』とかなんとか意味ありげな四字熟語の、

 んなの書いてる、大きな表札みたいなあれ」


「ああ、あれか、いいねえ

 杭州の観光スポットになるよね」

(注:羅森=ローソン、全家=ファミマ)


杭州の役人というものは、現地採用を除けばみーんな北京からの左遷組です。

それが、赴任してきたら杭州が気に入ってしまう、帰りたくなくなる、杭州のために働き始める。

杭州とはそういう困った地域、なにしろ皇帝にしてからがこの有様。


和尚さんと地方役人が密談していると、銭塘県の県長がやってきて、


「なになに、そんな面白いことすんの?

 ぜひやろう、今がチャンスだ

 皇帝はいい加減、酔っ払っている」


「そうか、おい和尚、おまえ行けよ」


てことになりました。

和尚さん、腹くくって交渉開始。


「皇帝、菩薩様の上をご覧ください

 ここにこう、皇帝直筆の扁額なんて素敵でございましょう

 ぜひ私どもにも皇帝の御威光を、お裾分け下さいましよ」


かゆいとこつかれた風雅皇帝(自称)、断れない。


「んーいいよ、でも酔い覚ましが欲しいなあ、お茶、ある?」


「ございますとも、龍井の明前

 当寺には、好い湧水も御座いますれば」


「なにそれ?、緑茶は虎だろう、虎泉」


泉とは、虎が運んできた泉。

そんな夢を村人全員が見たところ翌朝ホントに泉が湧いていた、という代物です。

龍井の明前と、虎泉の組合せが最高とされているのです。

和尚さん、大急ぎで虎泉に走ります。


息せき切って帰ってきた和尚さん、一瞬、寺を間違えたのかと思いました。

マンションなんかで同じドアがずらっと並んでいたら、間違えることはあります。

安アパートだと、そのままドアが開いちゃったりもします、実体験ですが。

でもお寺はそうそう間違えない、お寺の中がメチャメチャになっていたのです。


大声で歌うやつ、笛を吹きまくって踊るやつ、デタラメに琵琶を弾いたりマージャンやったり、

あっちでは、ひとりのオヤジが菩薩さまに泣きながら何か訴えているし。


 ごーーん、ごーーーん、ご~~ん、 


ああ、誰かが寺の鐘を突いている。

乾隆皇帝、大声で笑いながらお酒をクイッ。

完璧に酔っている、ここはお前の家じゃないってんです。

和尚様、合掌して思わず念仏。


「耶鮮基督被称為救世主」(Jesus Christ is styled the Savior)


動揺して、なんか間違えてます。


「ん、水が来たか、じゃあ書こう

 墨、磨ってちょうだい」


やっぱり酔ってます、お茶のこと忘れてる。

でも、そこはさすが皇帝です。

厳かに墨を磨る地方役人、大きな紙を前にして筆を握る皇帝。

とたんに背筋伸ばしてシャンとした、静まり返る堂内。


お題はズバリ、『霊隠寺』。

皇帝おおきく振りかぶり、「ふんっ」


  



そこで筆が止まりました、達人は一気に書き上げることなどしない。

のではなく、『雨』の字が、大きすぎたのです。


なにしろ旧字体の、『』です。

』の下に、が3個との字もついてる。

なのに雨だけで、紙の大半を埋めてしまった。

書けるはずがない、書き直しなど許されません、乾隆は皇帝なのです


思わず固まる乾隆皇帝、堂内全員が固まってしまった。

「皇帝、無理です、書き直しましょう」、なんて誰も言えない。


そこにそっと進み出たのが、高江村という若い僧でした。

『雲林』という字を手のひらに書き、墨を磨るふりをしながら、そっと手のひらを皇帝に見せました。

その手があったか、酔いの醒めた乾隆皇帝、一気に書き上げました。


 雲 林 禅 寺 



書き上げた皇帝、筆を放り投げる。

堂内全員、「ふうぅーーー」、息を吐く。


でもそれじゃあ和尚さん、おさまりません。

皇帝が書いたのです。

このままじゃ、霊隠寺が『雲林禅寺』になっちゃいます。


「皇帝、ここは『霊隠寺』ですよ

 なんで『雲林禅寺』なんて書くんですか

 皇帝・・・、書き損じ・・・しましたね


乾隆皇帝、目を見開きひと睨み、中指立てて、


「 放 屁 ! 」


放屁(ファンピー)』は、直訳で「屁をこいてろ」、意訳で「クソッタレ」、英語で”Fuck You!”

皇帝、全員を見回して、


「ここは、ナイスな山寺だ

 空を見上げると雲がある」


「うん、そーだ、そーだ」


「山寺だから、下は林だ」


「うん、まったくだ、まったくだ」


「だから『雲林禅寺』、素敵じゃないか」


そのとーりだー


いーぞー皇帝ー


さすがは、皇帝


皇帝だから偉い


これは書き損じじゃない、全然失敗じゃないぞー


雲林禅寺

あんな緊張はもうたくさん、ここらで収めたい。

全員で、皇帝を褒め称えます。

乾隆皇帝大笑い、すかさず扁額に彫り上げるよう申し付けます。

大慌てで準備、彫刻家を呼びに行きました。

彫りあがったら、金箔はって、漆を入れて、たちまち山門に掲げてしまった。


地元の茶農家の方々。


「おい、寺が『雲林禅寺』になってるよ

 経営者、替わったのかな?」


「ちがうよ、皇帝がやったんだ」


「なんだ、また乾隆皇帝か」


以来300年、『雲林禅寺』の扁額はかかってますが、いまだ『霊隠寺』と呼ばれています。



【メモ】


霊隠寺の天王殿にその扁額がかかっていて、上記のような謂れが付随していました。

ただちょっと気になったのですが、司馬遼太郎が『街道を往く』「『雲林禅寺』は乾隆皇帝の書」と書いていました。

現地の通訳さんがこの冗談の伝説を語って司馬遼太郎が真に受けた、なんて事を想像するんですが、

『雲林禅寺』の扁額は、乾隆皇帝ではなく、祖父の康煕皇帝です。

康煕皇帝もよく、江南に行幸していました。


 1689年、康煕皇帝は霊隠寺を訪れた

 早朝、康煕皇帝は諦暉法師と裏山に登った

 見下ろしてみると、朝霧の中に霊隠寺が沈んでいる

 詩情を興した康煕皇帝、「雲林禅寺」の書を残した


というのが、正しい謂れということでした。


中華の国に仏教が伝来したのが、丁度イエスが生まれた頃。

霊隠寺は、創建が西暦300年頃といいますから、かれこれ1700年の歴史を持つ古刹。

未だ仏教が普及するその以前から建っていました。

歴史が長いので何度も荒廃、復興を繰り返しましたが、最盛期には坊主が300人どころか3000人も居た仏教普及の一大拠点でした。

また、乾隆下江南は3000人どころか、5000人規模の大所帯です。





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