2018-02-25

梅と鶴の末裔(6)林和靖妻帯説

 歴史上幾度か浮上した「林和靖妻帯説」、作家の余秋雨が知る林和靖の秘密  

 梅と鶴の末裔(6)林和靖妻帯説  

 (杭州)  



当代でも後代でも袋叩きの林洪(りんきょう)・可山、さらに容赦なく陳世崇という人も著書『随隠漫録』で罵倒した。

梅尭臣「不娶無子」

「林可山が自身は林和靖の7代目であると称している

 梅聖兪(梅尭臣)が林和靖先生詩集の序に明記しているものを

 林和靖が妻帯しなかったのを知らぬとみえる」


ところが、その陳世崇の父親の陳郁・蔵一という人が、なんと林洪の友人でした。

林洪が梅村図と題した絵を画いた折に、陳郁が付した詩があります。


 当年一句月黄昏、香到梅辺七世孫

 応愛君詩似和靖、為君依様画西村


完璧に林洪を林和靖の7代目と認めています。

しかも、その才能を受け継いでいるとまで賞賛しています。


そういった「林和靖妻帯説」というものは歴史上、幾度となく浮上してきました。



明代の歴史学者、楊慎・升庵が認定、「林洪は和靖先生の子孫である」


不娶以梅為妻以鶴為子非也

清代の学者、杭世駿『訂訛類編』に記載。

「林和靖には妻子が有った

 いわゆる『宋史』『不娶、以梅為妻、以鶴為子』には非ず」


清朝末期の学者、曹聚仁『万里行記』に記載。

「孤山、里湖と外湖を隔てる白堤に連なる、この小さな山丘

 その名は林和靖に因む。林は北宋年間、宋真宗の代の隠士で・・

 梅妻鶴子と伝えられる。今日の孤山にも鶴の家(放鶴亭)はある。

 その実、彼には妻も子も有った.・・・」


歴史に名を残すような学者さんが幾人も、梅妻鶴子の定説を否定してきました。

しかし、その明確な論拠が提示されることは、常にありませんでした。

「林和靖妻帯説」の根拠が何であったのか、現代ではさっぱりわかりません。


文化苦旅

これらはずっと、「そんな意見もあるさ」、その程度の扱いだったのですが、

しかし近年も近年、作家の余秋雨といえば著名も著名で、現在(2017年)もまだ生きている。

その余秋雨大先生が、『文化苦旅』という散文集の『西湖夢』という編でまたまた「林和靖妻帯説」を打ち上げました。

(注:文化苦旅は大阪の上海新天地で見つけて買いましたが、アマゾン漁ったら今は訳本もありました)


これに上海の編集者である金文明が噛み付いた。


「余秋雨ほどの大先生が明確な論拠も示さず

 こんな駄説を述べるなんて・・・」


そう嘆き、猛反論を繰り広げていきました。


時は既にネット社会、余秋雨の「林和靖妻帯説」に議論が沸騰炎上。

ネット社会の怖さ、その議論は「林和靖妻帯説」を唱えた余秋雨への一方的な非難の嵐となっていきました。


なのに、「林和靖妻帯説」を翻さない著名作家の余秋雨。

食下がる金文明に対し、余秋雨は根拠を明示しようとしなかった。

逆に、「曹聚仁先生がそう述べてるさ」、そんな発言をして火に油を注いだ。


西湖夢

 「文化苦旅・西湖夢」(余秋雨) 


「数多有る西湖を語る文章を歴代の高名作家は大勢書いてきた。

 その上でまた自分が書くなど愚蠢というものだろう。

 幾度と無く逡巡したが・・・

 或いはその湖水は帰結性の意義に満ちているのやも知れない。

 やはり、避けては通れないのだ。」


そんな書き出しで始まる『西湖夢』


「西湖が生んだ可愛的生命、彼女は妖そして仙」


淡々と白娘子(はくじょうし)を語り、さんざん林和靖を語った後でやらかした。


「梅妻鶴子有点煩難」

「然しながら、林和靖に追随するのは才の有無に拘わらず困難はあるまい。

 梅妻鶴子には些か難が有る。その実、林和靖自身には妻も子も有った。」


なぜ、歴代の学者や作家は、梅妻鶴子の定説を否定することが出来るのか。

余秋雨は、林和靖の秘密を何か知っているのか。



杭州西湖、孤山の北嶺、処士・林和靖の墓。

時代が南宋に入り、杭州に臨安府(臨時政府)が設置されると、皇家の廟を築くために孤山にある史跡は撤去されてしまいました。

しかし、林和靖の墓だけはそのまま留め置かれたということです。


林洪・可山が生きた南宋の末期、その南宋が終焉を迎え元の時代に移行する混乱期。

孤山にある林和靖の墓が、盗掘されるという事件が起きました。


時の皇帝にあれほど称揚された林和靖ですから、きっととんでもない宝物があると思ったのでしょう。

しかし、墓の中にあったのは、


と、(すずり)と、(かんざし)が1つだけだったということです。


この簪がまた様々な憶測を呼びますが、この1000年に亘る騒動。

林和靖の子孫を名乗る者達と、それに対する非難の嵐。


知ったその時、孤山に眠る林和靖の魂は悲嘆をどれほどかこつのか。


「ワシの子孫を騙るとは、この不届き者が!」


そう怒鳴るのか、それとも、


『私の後裔になんという事をするのですか

 なんとか助けてやれないものでしょうか』


そう嘆くのか。


そして元代に入り、日本に饅頭を伝えた林淨因命(りんじょういんのみこと)

林淨因は、林和靖の子孫であると名乗っていました。




【メモ】まさか梅と鶴の子供ではあるまい(梅と鶴の末裔) 


果たして林和靖には妻子が本当に無かったのか?

はいその通り、それが分からない。

無いはずなのに、有りそうで、中華の『林和靖萌えポイント』


林淨因は中華では叩かれていません。

日本で林淨因が「林和靖の後裔である」と公言したなんて、そんなこと中華は知らなかったからです。

でも、後の世に日本では一部で叩かれていました。


「白娘子」のお話しを書いてるときに参考にした、中華伝説の解説本。

大学のセンセーが、孤山についてひとくさり述べた後でついでに、


「饅頭の発音は杭州ではマンディウ(mandiu)となる

 日本に饅頭を伝えたとされる林淨因は林和靖の子孫

 であるというが、まさか梅と鶴の子供ではあるまい」


原本は手元にないんですが、なんかそんな書きようでした。

実は、この記述を見て饅頭を調べ始めたら、こんなんになっちゃったんですけど。

そのセンセーに感謝。


明らかに林淨因を、姜石帚に代わってお仕置きしてます。

例の戯歌(ざれうた)まで引用しちゃって。


「林和靖には妻も子もない」、当時はそれが定説でした。


林淨因さんが林和靖の子孫であるためには、定説が覆らなければなりません。





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