本当にあった、干支は老子と荘子が決めた説
牛転乾坤
【干支】
これは、老子と荘子のお話しです。
日本でなら、彼らの言葉を借りて高尚な人生訓が垂れられるのですが、残念。
中華の庶民はコイツらをそんな高尚には扱いません。
ある日、虎が荘子に言いました。
「荘子さま、私は老子さまを訪ねたいのですが、よかったらご一緒しませんか?」
「老子さまか、いいね、一緒に行こう」
「老子さま、何か大切なご用があるそうなんです」
正月早々ちょっとアレな話しですが、荘子は3連発で妻を失い意気消沈していたところだったので、虎は荘子を誘うことにしたのでした。
荘子の故事の有名どころは、荘周夢蝶と鼓盆而歌(こぼんじか)。
荘周夢蝶は、例の、荘子が夢で蝶になって、目覚めてから荘子が蝶になった夢をみたのか、それとも蝶の夢が今の荘子なのか分からなくなっちゃったという故事です。
鼓盆而歌は荘子が1番目の妻を病で亡くしたので、友人の恵施が見舞いにいったら、荘子は盆を叩きながら歌って踊っていたという故事です。
なんでも、宇宙も人も混沌から生じて混沌に還っていくんだから、何も嘆き悲しむこともないだろう、と言い放ったとか。
だったら歌い踊る必要もないだろうと思うのですが、これ、ダウト。
だって、その御友人の葬式に荘子は出席してるけど、鼓盆而歌なんて失礼なことしてないし。
荘子は2番目の妻には性格の不一致で逃げられ、3番目の妻を失った原因はどう考えても荘子自身が原因だし。
その3回目のあとで、荘子は悲しみのあまり仙人になって老子の仲間入りしちゃってるし。
その3回目は荘子戯妻というマイナーな故事ですが、めでたくないので割愛。
呂洞賓もそうでしたが、どうも中華の聖人は妻を自分の過失で失ったら仙人になっちゃう傾向があるようです。
その当時、老子ももう200歳オーバーだったはずですが、荘子を見ると大喜びで言いました。
「おう荘ちゃん、ちょうど好かった
いや、混元祖師から呼び出しがかかってさ
ちょっと嘉峪関(かよくかん)まで出向いてこいってんだよ」
嘉峪関といえば、老子が道教・徳経五千字を記して弟子の伊喜に賜った場所(と伝えられる場所のひとつ)ですから、荘子にとっても聖地です。
老子は青牛にのって、荘子は虎にのって、ふたりでのんびり出かけていきました。
嘉峪関のすぐ手前まで来たその時、祥雲にのった混元祖師が天から降りて来て、払子(ほっす)を振りながら叫んだのでした。
「はいっ、そこまでー」
荘子は師匠の老子より3歩後ろに居ましたから、青牛が前で、虎が後ろ。
突如、虎が青牛めがけて飛び跳ね、勢いつけて青牛を飛び越えようとする。青牛は角を振り回して阻止しようとする。
老子と荘子は「ひえぇぇぇーーー」。
じりっ、じりっ、虎がまるで猫科の獣の如き身のこなしで青牛の隙を突こうと窺う。
青牛も身を低く構えて目を逸らさず、尻尾ふりふり虎の動きを許さない。
両者は相譲らず動けなくなってしまった。
すると、青牛の耳もとで「チューーーー」、ネズミが飛び出して先頭に立った。
振り向き、猛然とネズミを踏み潰そうとする青牛。
混元祖師が大慌てで、叫ぶ。
「こら、またんか畜生、天意は既に定まった、争いは不要である」
その声に、青牛が振り向いてみると、虎の後ろには、玉兎、金龍、烏蛇、斑馬に綿羊、玄猴、公鶏、毛狗が整然とならんでいて、その後ろから肉猪がちょうど走ってきているところでした。
「盤古が天地を開闢したはいいが、世の摂理はいまだ定まっておらなんだ
これより、男女を問わずその年の生まれはその生肖を属相とする
この序は、千古の時を経ようと不変である」
「そんなこと言っても、混元祖師さま、ネズミが……」
「だーかーらー、ちゃんと天意になってるだろー」
混元祖師が青牛を諭します。
ネズミは天地開闢にも関わったから、地支の先頭。
先頭っても、司るのは夜の天で水属性だぞ。
そして丑は地を司り、土属性。
実に牛は夜明け前から地を切り拓き、耕し、そうすることで草木が萌え盛る春を迎えることが出来るんじゃないか。
ほらな、これが天意なんだよ。
子が天で丑が地、子が水をもたらし丑がこれを享ける。
天地がしっかりしていないことには、
特に地の生肖こそは、お前のように盤石な者でないことにはだ、
「摂理が働かず、万物の流転もクソもないんだよ」
こうして十二生肖が定まり、地支は荘子が請け負うことになりました。
天干は老子が担当することになり、五行の木火土金水 × 陰陽の十干が配されました。
兄(え)を陽、弟(と)を陰とし、
木の陽が甲(きのえ)で、陰が乙(きのと)
火が、丙(ひのえ)と丁(ひのと)
土が、戊(つちのえ)と己(つちのと)
金が、庚(かのえ)と辛(かのと)
水が、壬(みずのえ)と癸(みずのと)
ネズミの子は、陽・天・水
牛さんの丑は、陰・地・土
まずこの2つが機能しないことには、陰陽は廻りません。
丑は「春先に植物の蔓がうねり伸びる様子」を表す字で、晩冬に地中で春の準備が整っていく時季を指します。
って、まあそうなのでしょうが、中国語でも丑は“丑(チョウ)”ですが、
その繁体字は“醜(チョウ)”で不細工って意味になっちゃいます。
どうもイメージにそぐわない。
“丑”の現代漢字に相当するのは“扭(ニュウ)”なのでしょう。
意味も turnやtwistですから通じるものがあります。
なにより、『扭転乾坤(ニュウツァンチェンクン)』も『牛転乾坤(ニュウツァンチェンクン)』でもどっちも使う。
そういった自然の勢いは天地をもひっくり返す、という意味です。
丑年は、春の準備が地の中で着々と進んでいく時季なのです。
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