ネコ最強伝説 、 虎はニャンコ先生の弟子だった
生肖への道
(干支)
太古太古のその昔、地上は一面の森林で多くの獣たちが暮らしていました。
虎と猫も一緒に暮らしていましたが、虎は大力だけの無能で猫は武芸十八般、虎は猫に弟子入りすることになりました。
猫は虎に一招一式と武芸を教え、ついに虎は尻尾で岩をも砕くほどの武功を極め、森の中では誰も敵うものがなくなったのでした。
思いあがった虎は猫のスキをうかがうようになり、とうとうチャンスがおとずれました。
猫が木の下で昼寝をしている、気配を消してそっと近寄り虎は猫に襲いかかったのでした。
ところが猫はすでに気配を察していて、跳び上がりざま助走もつけずに木の幹を縦に駆け上がると虎を見下ろしました。
後を追おうとした虎でしたが、木に登れません。
それもそのはず、猫は虎に木の登りかただけは教えていなかったのでした。
猫は虎に言いました。
「おい、勉強になったか?
知人知面要知心、花言巧語不可信、まだちと頭が足らんな
力と技だけは有るんだから、お前は天宮で門番でもやっておれ」
虎は木に登れない、と説く中華の民話です。
中原周辺の少数民族、羌(きょう)族とか彝(い)族とか土家族とか、は祖先が虎であったとする伝説を持つものも多く、中原で虎を崇拝するようになった文化の源流は楚文化でした。
きっと虎に襲われた際の対処法を伝える民話だったのでしょう。
そんな殷商以前の昔に猫が居たかは疑問ですが。
虎は天宮で門衛をするようになりました。
その頃の山王を司る生肖は獅子でしたが、天宮では問題が持ち上がっていました。
ちょうど地上では、黄帝と共工が戦ったために不周山という天の柱が折れ、女媧(じょか)が崩れ墜ちようとする天を支えるために犠牲となり、そのため人間界では妖魔がはびこるようになってしまっていたのです。
ところが獅子ときたら気まぐれで命じるようには働かないものだから、短気をおこした玉皇大帝が獅子をクビにしてしまった。
すると獅子は地上に降りて妖魔たちと一緒に暴れるようになってしまった。
あいた生肖の座に誰かを据えて地上を治めるにしても、そんなことが出来るものは居そうにもない。
困った玉皇大帝は神仙どもを庭に集めて相談を持ちかけますが、みんな獅子のことをぼやくばかりで案を出そうとしません。
見かねた太上老君が玉皇大帝に声をかけました。
「なら、門衛の虎衛士でどうですかな、玉帝」
「え、虎衛士? 誰よ、それ?」
「天界では知られていませんが、虎衛士はあのニャンコ先生に師事した武芸十八般
地上の山林では怖れられ、知らぬものはありません
だいたい、アンタが癇癪おこして獅子をクビになんか……」
太上老君が言い終わらぬうちに玉皇大帝は決めました。
「よし、そうしよう」
民話のなかの玉皇大帝のキャラはだいたいこんな感じです。
玉皇大帝が虎衛士に打診したところ、虎は言いました。
「それならもちろん朝飯前、大事も小事もわたしは全力であたります
ただ、お願いがあるのですが」
「ん、なんだ、いいから言ってみそ」
「はい、わたしが功を立てるごとに、わたしに玉帝から記功の一筆をくださいませ」
虎が地上に降りてみると、果たして暴れていたのは東方の獅子怪、北方の狗熊怪、西方の馬怪でした。
虎は獅子怪に挑戦するやあっさり討つと、つづけさまに狗熊を撃破し、馬怪を咬み裂いたのでした。
一緒に暴れていた有象無象の妖魔どもも人のいない山奥へと逃げ込み、人間界には平和がおとずれ、虎は人間たちの勇猛な英雄となりました。
なお、狗熊ってのはただのクマです。
狗熊(いぬくま)があるんですから猫熊もある、いわずと知れたパンダです。
え……パンダは熊猫?
ああ、それ、パンダ捕まえてちゃんと横書きで「猫熊」って表示してたんですが、当時のことだから右から読まなきゃいけなかった。
だから表示は「熊猫←」、これを今風に左から読んじゃったもんだから熊猫になっただけです。
虎が天宮にもどると、玉皇大帝は約束どおり虎の額に3本線の『 三 』の字を描いてくれました。
ほどなく天宮に届いた知らせによると、今度は東海で亀怪が暴れて人間界が大洪水になっているといいます。
玉皇大帝から再び聖旨をうけた虎は亀怪を討ちに出向きました。
虎視眈々、現代ではマイナスイメージですが、元来は、力のある者が敢えて力を矯(た)めながら機会を待ちチャンスとみると一気呵成に行動に移し事を成し遂げるさまを表します。
亀怪が水面からほんの少し首を出すのを虎は見逃しませんでした。
猛スピードで水面を駆け抜け、すれ違いにざまに亀怪の首に牙を立てると一気に咬み裂いてしまいました。
これを人間以上に喜んだのが東海龍王、すっかり亀怪に手を焼いていた東海龍王は虎に礼を述べると、虎の功を称えるために一緒に天宮まで来ることになりました。
なのに玉皇大帝ったらもうベッドにもぐり込んですっかり寝ていた。
そんなところへ来られても、虎だけだったら明日にしろよと追い返すところですが、東海龍王が一緒ではそうもいかない。
玉皇大帝はもう一筆、虎の額に書いてくれたのですが、寝たまま描いたものだから、横線を描いたはずが縦線になってしまったのでした。
『 三 』の字に縦線1本書き足して『 王 』の字、こうして虎は百獣の王、山に棲むものたちの山王となりました。
なおこの後、天宮の門衛は狗(いぬ)が引き継ぎ、やはり後に生肖に入りましたから、どうも天宮の門衛は出世コースのようです。
いろいろと大変なことが続くこの数年ですが、この寅年が一気に山々を駆け越えて朝へ、春へと走り抜ける年でありますように。
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