ついにネズミの婚礼の日取りが判明!
真説:ネズミの嫁入り
(干支)
この鼠の嫁入りは西遊記のエピソード,右上に三蔵法師 |
旧くから、米穀商は倉神を祀ってきました。
倉神の誕生日は旧暦の1月25日とされていて、この日は填倉節といい、五穀豊穣を祈念して倉神を祭祀します。
主に北方の漢民族に見られる習俗ですが、地域により風習はさまざま、『填=天』で『天倉節』とも称されます。
人々は家屋や倉の片隅にゴマや豆類を撒いたり、屋根裏や天井梁のきわに干飯や餅(ピン)を置いたりして、供え物を捧げます。
穀倉に見立てた絵や石台に穀物を撒いてます |
そして、夜は必ず灯りを落とさなければなりません。
暗闇の中、口も利いてはならず、黙って麺をすすったり点心をつまみながら過ごし、早々と寝てしまいます。
なぜなら、この日は倉神の婚礼が挙行される日でもあるため、邪魔にならないようにするのです。
首尾よく倉神の婚礼が成れば、倉の神が増えてくれるかもしれません。
夜半、チュー、倉神は供え物を引いて大喜び。
そう、倉神とは、実はネズミのことなのです。
だって、空っぽの倉にはネズミなんて出はしません。
ネズミが居るということは、それは豊かであることを意味するのです。
俵のねずみが米食ってチュー、日本でも米俵の上にネズミが座っている縁起物の置物なんかが有りますが、そういう訳で、
ネズミ = 娘の結婚にも困らない程度の適度な財物の象徴
ということになりました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
藁ぐろを花や稲穂で飾り付け |
もっとも今時は、『嫁入り』なんて言い方もどうかと思うのですが。
そんな女性は家の付属物だなんて考え方は、周の時代の遺物です。
だいいち上海では、『嫁取り』だなんて言っちゃったら、男の方が万倍大変、長い独生児政策のせいでただでさえ男余りなのに。
正式な「嫁取り」となると、その労苦は日本の「婿取り」に匹敵します。
上海周辺の江南はもともと周礼とは無縁の蛮族の地域でしたから、現代でもカカア天下、結婚や家庭の主権は女性側にあります。
「日本版ねずみの嫁入り」だって、よくみれば、あれは『嫁入り』じゃなくって『婿取り』のお話しです。
ネズミは多産だから財物の象徴説は、中華ではマイナーなようでした。
日本でも多産は犬の領分だと思うのですが。
「おむすびころりん」ではお爺さんとお婆さんは、ネズミから小判入りの重箱や打ち出の小槌を貰っちゃいますから、日本のネズミも負けちゃいません。
倉神の正体はネズミ説だけに限らず、他に人の神格化説も普通にありました。
飢饉のおりに皇帝の食糧庫を強引に解放して民草を救う賢臣の話はいつの時代にもあり、そういった人が神格化して祀られた、という系統です。
そのひとつに、「項羽と劉邦」の韓信が倉神として祀られているということでした。
また別に、『女媧補天』の故事に因む、というものもありました。
天井裏に餅(ピン)を置くのは、その餅は紅く着色していたりしますが、女媧(じょか)が天に空いた穴を埋めるのに使った五色の石の象征であるというものです。
天が壊れた原因は水神共工が大暴れしたためですから、中華の神様も正月早々迷惑なことをしたものです。
善意に解釈すれば、農閑期を狙った、ということにはなりますが。
なんでも女媧が補天したのが1月23日で、一段落した1月25日に女媧に謝意を捧げたものだということでした。
日本の「ねずみの相撲」では、神棚に供えた力餅をネズミに与えますが、この『女媧補天』の故事に通じるものがあって面白いなと思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【おまけ】煽り煽られ三千年、3000年前が現代を煽る!
礼節ネズミ
(節気)
どうこう言っても、とはいえやはり、ネズミは嫌われ者。
それを逆手にとって、詩経に辛辣なものがありました。
禮鼠(詩経)
相鼠有皮、人而無儀。
人而無儀、不死何為?
相鼠有歯、人而無止。
人而無止、不死何俟?
相鼠有体、人而無礼。
人而無礼、胡不遄死?
ネズミでも体面は保つのに、威儀を知らぬ者がいるな。
威儀も知らないというのに、何のために死なないのだろう?
ネズミでも歯止めはあるのに、節度を知らぬ者があるな。
節度も知らないでいて、死なないとはどういうことだ?
ネズミだって体(體)はあるな、人には礼(禮)の無い奴もいるが。
礼知らずは、早く死んだら?
鼠に小判、今年の鏡餅 |
うーんキツイ、煽る煽る、しかも漢字の駄洒落つき。
詩経は孔子の著作物、という訳ではなく、選りすぐりを編纂しただけですから、これは3000年近くも前のものということになります。
なんだか人間社会って、この3000年、あまり進歩してないような気がしてきました。
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