【中華トンデモ伝説】大宇宙は子年生まれだった?
子為地支首、鼠乃生肖先(鼠咬開天)
(干支)
中国の2020年(庚子)記念郵票の図案は「鼠咬開天」 |
遠古の昔、いまだ天地が相咬む混沌のさなか、陰陽の分別もさだかではありませんでした。
上下の別も、方角も、おそらくは時の流れすらなかったかもしれません。
ただ揺らぐ混沌の狭間にふと小さな泡粒が生じ、その刹那にだけ泡沫の時が流れまた消えていく。
泡粒が消えると時もまた失せ、それは刹那でもあり永劫でもありました。
このような泡沫の時に過去や未来の別はなく、過去と未来が互いに干渉しあう、その存在は純粋に確率的で不確かなものでした。
なにかが在るためには、もっと大きな時の流れを必要とします。
幾星霜の時を経るほどに、その存在は確かなものとなってゆくのです。
そして遂に、偶発的にも泡粒が幾つか集まり小さなものとなると、時の流れを得たその小さなものは、カジッ、なんと混沌に噛みついたのでした。
小さなものが混沌を噛む度にまた新たな泡粒が生じ、次第に小さなものは増えていきました。
カジカジカジ・・・・・・、小さなものたちは、よってたかって混沌を小さく噛み裂いていってしまいます。
すると、清澄なものは浮き漂いながらやがて天を成し、混濁なものは沈み降りながら地と成り、しだいに天地が分開しながら、ゆっくりとゆっくりと時が流れはじめていきました。
徐々に天から陽(ひ)が降り始め、小さなものたちが像(かたち)を取り始めると、それは小さなネズミたちだったのでした。
ネズミたちが最後のひと噛み、カジッ、その瞬間、天地が分かれ、白昼と黒夜が生じ、爆発的に時が流れはじめ、
天干(十干)と地支(十二支)が定まると、ようやく森羅万象の存在が確かなものとなり、
そうして世の摂理となる陰陽が発動したのです。
なので、子の刻は真夜中。
子(ね)は太極の陰の頂点からしだいに陽へと転換する刻限となり、ネズミは地支の支首に位置付けられました。
子年はまた、新しい年輪がスタートする年となるのです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
十二生肖の役割分担図 |
スケールが大きいんだか小さいんだかよくわからないお話しでした。
ビッグバンを意識したら、うっかり宇宙を子年生まれにしてしまいました。
子(ね)とは逆に、陰の成分が極小となり陽の頂点となるのが午(うま)で方角は南。
これが西脇市と明石市を通り、日本でも標準時となる『子午線』の名称の由来です。
2020年は庚子(かのえね)なので、あと24年たったら十干十二支が一周することになります。
干支の一周は60年なので、もう成人なされている方は、だいたい次の一回しかあたりません。
今年お生まれになる方や未成年の方なら、頑張れば2回過ごせそうです。
歳神さまが開催したレースに出場し、ネコをだまして牛の背に乗り一番乗りを果たしたからネズミが十二支の一番目。
そのネズミが乗った牛さんは、実は老子の青牛だったりしますので、そちらのお話しはまた来年にでも。
このお話しは『鼠咬開天』という「突破口を切り開く」という意味の成語(なのかな?)についてくるものです。
そういえば超弦理論によると空間は9次元で記述され、時間軸を足して時空は10次元に・・・、あれ、10干?
空間が3次元に見えるのは6つの余剰次元が小さすぎて見えないから、え、地支の陰が6個?
ま、いいか、天干地支は、ただの記号でしかありません。
干支にネコが入っていないのは、単に干支が出来たころにはまだ、中華にネコが居なかっただけじゃないかと思います。
なにしろ干支は殷の時代にもう有ったけど、ネコはシルクロード経由のせいぜい隋か唐代以降であったはずです。
一方、ヒトあるところにネズミあり、ヒトとネズミは万年来のつきあいです。
もともとネズミは『 倉の神 』として祭祀されていました。
穀物を食い荒らしてしまう人類の大敵のはずのネズミが実は食糧庫の神だった?
次回、「真説・ネズミの嫁入り」
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