野菜を売り歩きながら詩を吟じる名物小僧
状元及第粥(1)詩吟小僧
(お粥)
及第粥 |
娼楼の前を通りかかると上からクスクスと笑い声、詩吟小僧が見上げてみると2人の芸妓さんが彼の汚い身なりを指して笑っています。
そこで詩吟小僧は、すかさず詠んだ。
「女性が2人だ、タテヨコ4つのお口だね」
思わず顔を赤らめ、「いやーん」とか言ってはしゃぐ芸妓さん。
詩吟小僧が行こうとすると、お坊さんが3人も横並びでやって来ました。
これはじゃまだと、詩吟小僧はすかさず詠んだ。
「3連坊主、上下で6個のハゲ頭」
思わず股間を押さえて苦笑いをする3人のお坊さん、それを見て吹きだす2人の芸妓さん。
二女同行、横竪四張肉口。
三僧併列、上下六個光頭。
ホントに野菜を売る子供@深セン |
女性が2人でヨコのお口が2つなのは、わかります。
坊主が3人だからハゲ頭が3つなら、わかります。
では、女性のタテのお口って何でしょう?
坊主の下側のハゲ頭って、何なんでしょう?
うーんわからない、下品な詩です。
倫文叙(ルンウェンシュー)は、親の手伝いで野菜を売り歩く広州の名物小僧です。
詩を吟じながら売り歩いて行くのですが、それが面白いものですから界隈ではちょっと評判でした。
この詩吟小僧は、後に、広州から出る200年ぶりの状元となります。
科挙考試の第1位が『状元』です。
父親は若い頃に少し学問をした人ですが家が貧乏、志半ばに今は地主さんのところで小作人をしています。
忙しい合間を縫って息子の倫文叙(ルンウェンシュー)に学問を教えるのですが、学校、といっても当時は私塾ですが、そんなものにはとても行けません。
倫文叙は7歳の頃から野菜を売り歩くようになりました。
遊びたい盛りに労働ですから、道々、小僧が詩を吟じながら野菜を売り歩くようになったとのでした。
詩吟小僧は今日も、西禅寺の畑で野菜の手入れをしていました。
以前、悪友たちとお堂で悪戯しているところを見つかって以来、この西禅寺の普昭和尚には目をかけてもらっています。
普昭和尚に文字を教えて貰い、今は作詩も習い、境内の隅っこに場所を借してもらって自分でも野菜を作るようになったのです。
「おい小僧、おまえちょっと、この花椰菜を胡員外さんのところへ届けてくれ」
「わかりました和尚さま、胡員外さんですね」
花椰菜(はなやさい)はカリフラワーのことで、中原で広まったのは清代になってからですが、広州には明代にもうすでにありました。
胡員外さんの“員外”とは「正式採用でない官職」という意味ですが、明代の頃には金で売り買いできる只の箔付けの地位になっていて、実務はありません。
なので「員外」といったら「ただのお金持ち」、そう解釈して構いません。
詩吟小僧は胡員外さんが春聯(チュンリェン)を創るのを手伝ったことがあります。
それ以来、ヒマがあれば胡員外さんのお宅を訪れて、蔵書を読ませてもらったりしています。
花椰菜は詩吟小僧に好くしてくれる胡員外さんへの、普昭和尚の感謝の気持ちなのでしょう。
アニメ版倫文叙の百鳥図 |
「胡員外さん、西禅寺から花椰菜だよ」
「おお、詩吟小僧じゃないか
ちょうどよかった、ちょっと上がれ」
詩吟小僧が居間に入ってみると、そこでは数人の若者が頭をひねりながら一幅の絵を取り囲んでいました。
「京に出向いて見つけたんだがな、この百鳥図
これはな、あの蘇東坡(そとうば)の真作だ」
「えーっ、蘇東坡ですか!
凄いなー、初めて見ましたよ」
百鳥帰巣図、という山野を数多の鳥が飛んでいる構図の中国絵画のジャンルがあります。
蘇東坡は北宋末期の名臣ですが、「詩」と「書」と「画」を一体化するスタイルを確立しました。
このスタイルは後に、文人画と呼ばれます。
プロのイラストレーターが注文に応じて描くのではなく、つまり、しがらみに捉われず、詩作家が描く文学の技巧を取り入れた絵画。
これはなかなかに中華独自のスタイルです。
多くの文人画には漢詩が付いているものなのですが、
「ところが見ての通り、題詩がないんだ
そこで何か好い詩を考えて、書き足そうというわけだ」
せっかくの蘇東坡の百鳥図なのに詩が付されていない。
だから書き足そうと若者たちが寄り集まっているのですが、なにしろ蘇東坡の作ですから、ヘタな詩は付けられない。
みんなで頭をひねり倒す、ということになってしまったのでした。
「おまえも何か、考えてみろよ」
「はい、胡員外さんのご下命とあらば
蘇東坡の書なら西禅寺で見せてもらった事があります
句の字格には、神がかったものが有りますよね」
「胡員外さん、こんなやつに何をさせるんですか」
若者のひとりが口をはさみました。
科挙を目指して学問を修めている自分たちを差し置いて、こんな小汚い小僧っ子にやらせるなんて。
そんな若者の思いを知ってか知らずか胡員外さんは、
「まあ、いいじゃないか
誰か、筆と硯を用意してやってくれ」
無理でしょう、蘇東坡の百鳥図ですよ、若者は文句を言いながらも筆と硯(すずり)を出してくれました。
「あれ、これは?」
詩吟小僧のテンションが上がります。
「ああ、湖筆(湖州産の筆)の硬毫(こうごう)だよ
これは紫毫といって、兎の背毛を使っている
蘇東坡はこの硬いタイプの筆を愛用していたんだ
大事に使ってくれよ、はい下書き用の懐紙がこれ」
「ありがとうございます
わたしが使っても好いんですか?」
「ああ、出来るんならね」
胡員外さんがニヤリと笑う。
詩吟小僧が悪戯心を抱いたのを、見てとったのです。
あーーーっ!
若者たちの悲鳴があがった。
なんと詩吟小僧は下書きもしないで、いきなり蘇東坡の百鳥図に直書きしてしまったのです。
天から1羽、また1羽
それだけ書いて、詩吟小僧の筆は止まり、そのまま考え込みはじめてしまった。
「おいおい、大丈夫かよ?」
「あーあ、やっちゃったよう」
天生一隻又一隻
隻(簡体字では只)は鳥や動物の量詞で、日本語なら、“羽”とか“匹”になります。
腕を組んで首をかしげながら、次の句ひねり出そうとする詩吟小僧に、若者たちはやきもき。
自分たちなら、次の句をどう続けるだろう?
胡員外さんがかすかにうなずくと、詩吟小僧はゆっくりと続きを書き始めました。
天生一隻又一隻、三四五六七八隻
天から1羽また1羽、345678羽
「ひえー、なんだよ、それはー」
「やっぱりなー、どうすんだよー、これ」
「蘇東坡だぞこれ、あーあ、駄目にしちゃったー」
もう、けなすどころじゃない、詩ともいえないこの文章。
若者たちは怒るどころか、すっかり落胆してしまいました。
頃合いを見計らって胡員外さんが号令をかけます。
「よし、詩吟小僧、行け」
「はい、胡員外さん」
こんどは詩吟小僧、すらすらと書き足していきました。
天生一隻又一隻、三四五六七八隻
鳳凰何少鳥何多、啄尽人間千石万
天から1羽また1羽、345678羽
鳳凰少なく鳥ばかり、人世の千石喰いつぶす
おおっと、これは、これは意味深だ。
肝を潰す若者たち、この句が何を意味しているかは彼らにだってわかります。
もしかしてもしかして、穀潰しの鳥って、俺たちのことか?
“隻”が簡体字の「只」になってる |
今度は、詩吟小僧が問いかけました。
「わかりますか?」
「あはは、無理だろう
おい詩吟小僧、解説してやれよ」
「わかりました、胡員外さん
天生一隻又一隻で、2羽ですよね」
3×4で、12羽。
5×6で、30羽。
7×8で、56羽。
「ほら、全部足したら、ちょうど100羽だよ」
この後、若者たちはますます真面目に学問に勤(いそ)しむようになったということです。
詩吟小僧が胡員外さんに目をかけて貰うようになった逸話も伝わっています。
ある年の大晦日の頃、例によって詩吟小僧が野菜を売り歩いていると、大きなお屋敷の門口に早くも春聯(チュンリェン)が貼られていました。
春聯は正月用の、おめでた系の対聯(トイリェン)です。
それを見て、詩吟小僧は大笑い。
子当承父業
臣必報君恩
うーん、今時はちょっとアレな堅苦しい句なのですが、どこが変なのでしょうか?
そこへ出て来た胡員外さんが問いかけた。
粤劇(えつげき)の倫文叙 |
「何を笑っているんだね、小僧さん
これは我ながら、名聯だと思うんだがなあ」
「いやいや、おかしいでしょ、これ」
「失礼なやつだなあ、お前どこの小僧だよ」
この小僧こそが、西禅寺で野菜を作って、面白げな詩を吟じながら売り歩いている名物小僧。
あー、お前が例の詩吟小僧か、話しを聞いた胡員外さんもその評判を知っていました。
「あのさ、五倫って、知ってる?」
君臣、親子、兄弟、夫妻、朋友、どっちが偉いじゃないけどさ、世の中の関係性には『序』ってものがあるんだよ。
君があってこその臣、親があるから子がある、逆だとダメだよ、物理法則に反するじゃないか。
(注:近頃の量子力学ではこれが逆になるそうで)
「これ先に子で父が後、臣のつぎに君、思いっきり逆になってる
臣が報いるから君恩が有るんじゃないよ
だから安定感が無い、句がなんか軽いんだよ」
「えー、じゃあ、どう書けと
なんなら、おまえ作ってくれよ」
「そんな必要ないよ、いい句だよ、これ
もうちゃんと整ってて、あとは調整をいれるだけじゃないか」
父業子当承
君恩臣必報
語を足しも引きもしない。
ただ語順を変えただけで安定して、対聯にどっしりと重みがでました。
感心した胡員外さんは、以来、詩吟小僧の独学に手を貸してくれるようになったのでした。
このような対になった句を対聯(トイリェン)といいますが、上の句を『お題』として併せて下の句を創る。
そのような遊び、というか競技がありました。
上の句と下の句の、単語がきれいに対応していて、字数も合っていて、
上の句が韻は踏んでいたら、下の句も同様に韻を踏む。
韻の踏みぐあいを見るのは、普通に音読みでもまず大丈夫です。
対聯とは言ってみれば漢字を使ったアートデザイン、中身の大切さも然(さ)りながら、まずキレイでなければなりません。
中華の時代劇なんかでよく家の間口の両脇に、赤地に黒や金文字で何やら書き付けた紙を貼ってありますが、あれも対聯。
冒頭のちょっと下品な句も対聯です。
倫文叙(ルンウェンシュー)はこの対聯が特に上手で、逸話の大半は対聯に関するものです。
詩吟小僧は近所の悪ガキどもと、村はずれで球蹴り遊びをしていました。
ひとりが球を蹴ると大きく飛んできて、詩吟小僧が飛び蹴りをかますと球はさらに大きく飛んで、
向こうの王天禄さんのお屋敷に跳び込んでしまいました。
なんかドラえもんみたいな展開ですが、王天禄さんは広州鎮守府の将軍さんですから雷オヤジよりもうちょっと恐い。
悪ガキどもも怖くて近づけない、なにしろ将軍さんのお屋敷ですから門番がひかえています。
でも、詩吟小僧はその門番のところへまっすぐに向かっていった。
門を通して、その王天禄さんが庭先の東屋で将棋を指しているのが見えたのです。
球が入っちゃったんだ取らしてくれよ、駄目だ駄目だ帰れ、門番とそんな言い合いをしていたら、王天禄さんが出て来てくれました。
「おまえ、もしかして詩吟小僧じゃないか?」
「うん、そうだよ」
「面白いな、1回、お前で遊んでみたかったんだ」
王天禄さんは、上の句を詠むから下の句を作ってみろ、と言います。
さっき王天禄さんが将棋を指していた東屋には、龍唸虎嘯図がかかげられていました。
あの、天から龍が降(くだ)り地では虎が吼えている、あの構図の絵画ですね。
王天禄さんは、その龍唸虎嘯図と詩吟小僧を見やって詠みました。
「なんだ絵じゃん、龍は唸らず、虎吠えない、それ見た小僧が、笑った笑った」
(王天禄)図画中,龍不唸,虎不嘯,看見童子,可笑可笑
(倫文叙)棋盤内,車無輪,馬無轡,喝声将軍,莫跳莫跳
「将棋盤、車輪の無い槍(香車)、クツワの無い馬(桂馬)、将軍かけ声、跳べない跳べない」
すると、詩吟小僧は逆に将軍のことを詠み返してきたのでした。
王天禄さんは大喜びで球を返してくれたそうです。
倫文叙の対聯譚はいくつも有るのですが、もう1つ。
大晦日の前日、詩吟小僧が叔父貴の家へ行ってみると、叔父の馬老二はちょうど門前で春聯(チュンリェン)を考えているところでした。
“老二”だから、たぶん2番目の叔父貴だったんでしょう。
「ああ、ちょうどいいや、お前なにか考えろ」
「うん、いいよ」
詩吟小僧があたりを見回してみると、道向かいは書生さんのお家です。
この書生さんはいわゆる『挙人』です。
『挙人』は『推挙を受けた者』という意味で、科挙の1次試験に既に合格して進士を目指しています。
まあ、事務次官を目指している国立大学の学生さんをイメージすればいいでしょうか。
そのお家には、見事な竹林が植栽されていました。
門対千竿竹,
家蔵万巻書。
「門前に千竿の竹、屋内に万巻の書」、そう詠んで間口に貼りだしました。
それを見た書生さん、これは詩吟小僧の作だなとピンと来た。
勝手に他人の家のことを春聯にしやがって。
そこでなんと、竹林を根元から伐ってしまいました。
これでは、この春聯は成立しません。
なのに、翌日の大晦日に見てみると、あの春聯に文字が書き足してある。
門対千竿竹短,
家蔵万巻書長。
向かっ腹をたてた書生さん、竹林をごっそり根元から抜いてしまいました。
なのに、翌日のお正月、書生さんが見るとまた文字が書き足してあった。
門対千竿竹短無,
家蔵万巻書長有。
あーりゃらん、春聯はやっぱり成立している。
竹はどんどん無くなっていくけど、蔵書はどんどん増えてくる。
無と有の対比が生じて春聯はもっとキレイに、なんだか、もっとお目出度くなっている。
すっかり懲りた書生さん、正月返上で勉学に勤しんだそうです。
そんなの、日本の受験生の皆さんはあたりまえですよね。
その日、広州の叢桂路を流しながら、1軒のご飯屋さんの前まで来ると、好い匂い。
思わずお腹が、「ググー」。
よお詩吟小僧じゃないか、と出てきたのがオヤジの張老三でした。
張老三は倫文叙をまねき入れ、
広州市叢桂路 |
「お前、なんで学問しに行かない?
野菜を売ってるだけなんて、もったい無いぞ」
「そんな言ったって貧乏だもんさ、そんなお金ないよ
もうずっと、お昼ご飯も抜きだよ」
西禅寺や胡員外さんのところで書物を読ませてもらっているといってもヒマが出来た時だけ、しかもほとんど独学です。
「ふーん、OK
じゃあ、お前、毎日ウチに来い
俺も野菜を買ってやろう
ついでに、お粥ぐらいなら食わしてやる」
それで本を読む足しぐらいにはなるだろう、と言うのです。
それ以来、倫文叙は毎日お粥にありつけるようになりました。
肉ダンゴ入りのお粥、豚肝のお粥、腸粉のお粥。
時には、3種全部が入ったお粥が出ることもありました。
かなりの助けにはなったでしょうが、やはり相当の苦学をしたことでしょう。
電気など無い時代、昼は労働だと独習するといっても、夜に灯りはもったいない。
時間との戦い、寸暇を惜しんで、ということになります。
それ故でしょうか、倫文叙は読んだ本を一発で記憶する特技があったようです。
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