春巻きは中華の七草粥? ─ 初春の点心
春節に『 あんこ春巻き 』?
(春節)
手前は崇明糕(蘇州の年糕),春節は春巻きと右上にもちだんご |
なんで『春巻き』なの?
店長に訊いてみたら、なんのことはない。
「 春節に食べるから『春巻き』よ~ 」
そうだったのね。
店長が初めて、あんこの春巻きを作ったときは、
餡が、小豆のアンコだったわけですが、
「またこれは、ふざけた点心、作りやがって!」
と、思ったのですが …… 、
春節ぐらいしか作らないけど、ご近所でも好評なのですが ……、
ネット漁ったら、ホントにあんこの春巻きがありました。
称して、『 豆沙餡春巻き 』。
豆沙春巻き |
北京やハルピンあたりの北方では、『あんこ春巻き』、
江南あたりの南方では、おなじみ『野菜と肉の春巻き』、
ということでした。
上海人がハルピンに行って、アンコ春巻きに出くわしたら、
名古屋の小倉トーストに出くわしたのと同じくらい衝撃を受けるそうです。
って、…… おい、……
じゃあ、なんで上海人のあんたが、あんこ春巻き知ってんだよ!
問い詰めたら、どうやら元彼(何十年前だよ)の母親に教えられたのだと白状しました。
その昔、宋代の福州にひとりの書生さんがおりました。
言ってはなんですが、中原からははるか彼方のど田舎ですから、これといって特に産業も無い地域です。
もう少し南に降った広州や広東あたりならまだ貿易港があったのですが、だから逆にこのあたりでは科挙に挑戦する者も多かったのでした。
この書生さんも家族のために科挙に挑戦、日夜、寝食を忘れて四書五経に没頭します。
食事もろくに取ろうとしない書生さんに、妻が一計を案じました。
書生さんの妻は、米粉の皮に、野菜の細切りや肉絲(ロウスー)を包んで、机を離れようとしない書生さんに食べさせたのでした。
これが広まって、春巻きとなった。
という起源譚ですが、春巻きはもともと米粉の皮であったそうです。
麺粉(小麦粉)の皮になったのは、おそらく宋代以降のことでしょう。
清代の、やはり福州金門の蔡謙という人の同工異曲の伝説がありますが、その伝説ではもう清代ですから皮は麺粉となっていました。
となると、ピンと来ちゃう。
ライスペーパーで包むベトナムの生春巻き、シャキシャキと美味しいです。
中華よりそちらの方が、起源に近いんじゃないでしょうか。
春巻きは、チマキに負けず劣らず起源の古い、節季の点心です。
『 春巻き 』は元来、『 春餅 』といいました。
江南の正統な春巻きに、『五辛春巻』というのがあります。
五辛 = 「 葱、蒜、韭、蓼、蒿 」 が入った春巻きですが、
葱: ネギ
蒜: ニンニク
韭: ニラ
蓼: タデ
蒿: 菊科の野草ですが、おそらく ヨモギ
つまりは、冬の終わりの春先に採れる野菜を巻いた、春巻き。
近代では冬タケノコも定番です。
これを、春節や立春に食べた。
日本の七草粥のように、冬の終わりの、春の初めに食べる節季の点心が、『春巻き』です。
北方では春節の時季にはまだ野菜が採れないから、アンコで春巻きをつくったのかもしれません。
そういえば、店長曰く、北方ではチマキの餡も豆沙のが多いそうです。
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