母を亡くし祖母に育てられた店長は、祖伝の点心を継いでいた
『もちだんご』の来歴
(もちだんご)
[関連・参考]【元宵姑娘物語り】(元宵伝説)
祖伝の『もちだんご』 |
“ちゃちゃ”は店長の幼名で、“佳佳(jiajia)”と記します。
今でも、上海の郷(さと)に帰ると皆、「ちゃちゃ~」と呼んでいます。
近頃では近在の方々にも、“ちゃちゃ”と呼び親しんで頂けるようになりました。
店長の本名をネットで晒すのは避けますが、氏は“姚(yao)”です。
姚の字は普通使いませんが、幸いJIS第2水準には入っていました。
“姚”の読みは音読みで“よう”、訓読みでは“うつく(しい)”。
上海語でも“よう”、北京語で“ヤオ”、きっと妖しいタイプの美しさを指すのでしょう。
っても、もう五十路のおばは、素敵なお姉さまタイプです。
ご来店の折にでも店長の名を、店内掲示の営業許可証でご確認いただければと思います。
日本人目線でみりと、かなり詩情溢れるDQNネームです。
佳佳は幼い頃に生母を亡くし、お祖母さんに育てられました。
お祖母さんが料理を作るときには、佳佳はいつも傍らで見ていました。
お祖母さんは安徽省の出身で、正月になると毎年『もちだんご』を作ります。
幼い佳佳は傍らでみていて、もちだんごの作り方をいつか覚えてしまいました。
実のところ、店長が上海の父親に「もちだんご作って売るよ」と伝えると親父さん、
「えー、お前にあれが作れるのかよ」、と驚いていたものです。
何年も作り続けて近頃は、お祖母さんの味に近付いてきたそうです。
九華山天台寺 |
店長曰く、「もちだんごは安徽省の正月料理で縁起物である」。
日本のお雑煮にあたるものだと云うのです。
正月前にはいっぱい作ってテーブルに山積み、小腹が空いたらひょいと抓(つま)んで食べる。
そんなイメージですね。
中国では普遍的にある点心で特に名称も無く、
単に糯米団子(ヌォミートゥアンツ)=「もち米の団子」。
九華山はお地蔵さまの本拠地 |
お正月に食べる糯米団子を特に『元宵(げんしょう)』といいます。
日本には各地に色々なお雑煮が有るように、中華全土でも地方によって様々な元宵団子があります。
北方では佳佳が作るような、日本人がイメージするタイプの団子。
上海あたりから南方の地方では『湯だんご』タイプ、概ねそんな分布でしょうか。
元宵という名が示すように、特に元宵節に食べる風習が有るわけです。
元宵節といえば1月15日(陰暦)ですから、15夜でこの日は満月です。
元宵節の満月 |
おやおや、満月の日に食べるお団子とは。
お雑煮にあたるものと言うよりも、お月見団子に通じるものが有るかもしれません。
現代は上海あたりでも、自分で作る風習が廃れてきて、買ってきて済ませたりします。
それは日本でも同様、端午の節句のチマキも同様。
自分で作る人は、だんだん減ってきてしまいました。
上海の親類連中にも作れる者はもう、1人か2人になってしまっています。
今でも実際に作っているのは、上海ではもう店長だけになってしまったようです。
お祖父さんとお祖母さんが上海に出てきて、店長の父親は上海生まれ。
店長自身は、もう生粋の上海っ子。
たぶん安徽省の姚の一族の中には、未だに作る者もあるとは思うのですが、
南京と上海に居る親類連中には、作る者は絶えてしまいました。
願わくば、娘が店長のもちだんご作りを受け継いでくれたら面白いのになあ、と思うのです。
[関連・参考]【元宵姑娘物語り】(元宵伝説)
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